第59話 店員たちの溜息
「ぐぎっ、あぁぁぁ!?」
銀トレイの一撃を顔面に受けたことで、ストーカーが苦悶の叫びを上げながら転がり回る。
やはり鈍器による殴打は強いなって思う。惜しむらくは、入りが斜めになったことで『線』から『面』の一撃に変わってしまったことだが……まあ、それでもストーカーの反応を見る限り十分か。
実際、ぶん殴った銀トレイが見事にひしゃげているわけで。成人男性の突進に対してカウンター気味にぶち当てたことと、トレイ自体がやっすいアルミか何かで大して頑丈じゃないことを考慮しても、そこそこの威力があったことは窺える。
少なくとも、このストーカーに対しては効果覿面だろう。だって明らかに喧嘩慣れしていないし。そんな奴が思いっきり顔面ぶっ叩かれて堪えないわけがない。
現時点でも痛みで半分ぐらい戦意喪失しているし、顔を押さえて悶絶するのに必死で包丁を振る余裕すらなさそうだ。……てか血凄いな。承知の上でやったとは言え、絵面としてはかなり酷い。よく見たら歯っぽいのも転がってるし。
「っと、フンッ!」
「ぎぃ……!?」
とは言え、それで手を緩めるかと問われればノーである。犯罪者に同情なんかしても良いことなんてない。相手が情状酌量の余地なしの完全逆恨み野郎なら尚更だ。
そんなわけで容赦なく追撃。ストーカーが痛みに慣れて行動を再開する前に、包丁を持ってる方の腕を踏み付け一気に体重を掛ける。
「ほらさっさとそれ離せ……!」
「い、ぃぃっ、あぁぁでっ……!?」
「シャッオラァ!」
痛みでストーカーが包丁を取り落としたのを確認。即座に足で蹴飛ばして凶器を無効化し、そのまま距離を取って警戒態勢。
いやでも良かった。これで一気にストーカーの脅威度は下がった。包丁を持った何するか分からない危ない奴から、顔面を血だらけにした哀れな社会不適合者野郎にクラスダウンだ。
「誰か……あ佐藤さんそれ回収して! てか後ろで見てないで無力化手伝ってくれません!? 数少ない男手なんだからさ!」
「いや普通刃物持ってるやべぇ奴に立ち向かえないから! むしろ水月さん度胸ありすぎない!? 攻撃も躊躇ないし喧嘩慣れしてたりする!?」
「やけくそに決まってんでしょクソ怖いわ! 良いから早く包丁拾って! そんで木下さんと一緒にお湯か火にかけたフライパン持ってきて! 熱した油でも可!」
「後半何で!?」
「コイツ仕留めるために決まってんでしょ!?」
「殺しちゃ駄目だよ!?」
んなこと言ってる場合じゃないから! ともかく警察が来るまでこのクソ野郎を暴れさせないようにしなきゃなんだから、余計なことさせないように武装して威圧すんのが最善手でしょうが!
いくら凶器を奪ったからって、襲撃かますような頭おかしい奴相手に油断なんかできないんだからさぁ!
「っ、うわぁぁぁっ!?」
「どわっ!?」
突然の絶叫に肩が跳ねる。後ろでビビっている男連中に指示出してたせいで、若干意識が逸れていたことが原因だ。
咄嗟に銀トレイを構え、動き出したストーカーに対して再びぶちかまそうと腕を振り上げた──
「……あ?」
ところで変な声が出た。隙を付いてタックルでも仕掛けに来るのかと警戒していたのだが、予想に反してストーカーとの距離は狭まるどころか離れていた。
「……」
そしてカランコロンと、店内にドアベルの音色が響く。
視線の先では店の雰囲気に合わせたクラシックな木製扉が揺れ、少し遅れてバタンと音を立てて閉まる。
「……逃げた?」
呟きつつも、警戒は解かない。……が、やはり目の前の光景は変わらない。先程まで痛みで蹲っていたストーカーの姿は既になく、あるのは床に広がった血溜まりのみ。
つまるところ、そういうことだろう。己の不利を悟ったのか、それとも痛みで完全に心が折れたのか。ストーカーはこれだけの騒ぎを起こしながら、尻尾を巻いて逃げたのだ。
こっちが迎撃態勢を取った瞬間、視界に入ったのは小汚いオッサンのみっともない後ろ姿。何だそれはと呆気に取られてしまったのも仕方ないと思う。
「……はぁぁぁぁぁ」
とは言え、ここまで時間が経てば状況も咀嚼できる。そしてだからこそ力が抜けた。
大きな溜息とともにその場にへたり込む。遅れてカランと音が鳴る。視線を向けると銀トレイが手から零れ落ちていた。
「んだよもう……本当に何なんだよマジで……」
あー駄目だ。一度気が抜けたらもう駄目だ。力が全っ然入んねぇわ。手も酷いぐらい震えてるし。今になって怖くなってきた。
「ちょっ、水月さん大丈夫!?」
「あー、はい……。大丈夫です。ちょっと気が抜けただけです。それより佐藤さんたち、お湯とフライパンは?」
「いやもういらないでしょ……。男の絶叫が聞こえたから急いで二人で戻ってきたんですよ」
「あ、そっか。……はぁ、駄目だこれ。頭回んねぇ」
「とりあえず怪我はなさそうですか?」
「そっすね。怪我……あっ!? そうだ木下さん店長は!? あと近藤さん!」
「店長たちは奥なんで正直……。大丈夫だとは思いますけど」
「あー……まあ、二人ともさっきまでキッチンにいましたもんね」
「むしろ何で水月さんは突っ込んでいけたんです……?」
「店長も近藤さんも危なかったんだから、あの状況だと割って入るしかないでしょ……」
「勇気ありますねー……」
勇気って言うか、ただ事情を知ってるから危機感がMAXになってただけと言うか。あと近藤さんに守るって言っちゃったし、義務感もあるか。
「はぁぁ。にしても、あのクソ野郎マジで何なんだよ……。逃げるぐらいなら大人しくしとけよ。いや逃げてくれて助かったけども」
「あれは逃げると思うけど……」
「あんな殺意マシマシな指示してたら当然としか……」
「んなわけ」
あんなのどう考えてもその場限りの出まかせだろうに。いや俺は全部本気で言ってたけど。ただ犯人側からすれば、マジには聞こえないと思うんだけど。
「だって水月さん、躊躇ゼロでトレイ顔面にフルスイングしてたし……」
「言動がもう説得力マシマシだったんですが。あの、本当に元不良だったりしません? 実は高校時代ゴリゴリのヤンキーで喧嘩三昧だったとか」
「それならこんなみっともない姿見せてないっすよ。喧嘩なんて滅多にした経験ないですし、それだって精々が口喧嘩だし。今腰抜けてますからね俺」
「それはそれで素質ありすぎて怖いんだけど。キャラとか全然違ってたし」
「あんなの無理してたに決まってんでしょー……」
なんだったら反動で今口調がゆるゆるになりそうだわ。頑張って堪えてるけど。
「ちなみにですけど、水月さん立てます?」
「……ちょっとすぐには無理そうなんで、ちょっと任せて良いですかね?」
「あ、はい。了解です」
「まあ流石に無理はさせられないよね……」
いや本当にね。マジで頼みますよ二人とも。一番危ない場面で、男連中の中で俺だけ矢面に立ったんだから。せめて後始末はやってくれなきゃ不公平だ。
「はぁぁぁぁぁ……」
最後にもう一度デカイ溜息が出た。
ーーー
あとがき
遅れましたー。
そしてストーカー即終了のお知らせ。バトルものじゃないし、舞台も現代だし。戦闘描写なんてもんがほぼないのは仕方ないね
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