第58話 ストーカーの悪意

 悲鳴。それは日常生活において、滅多に耳にするようなものではない。

 だから最初は軽く考えていた。周囲のざわめきに溜息を吐きながら、ゴキブリでも出たのかと。こんな忙しい時に勘弁してくれよと。


「うぐぁっ!?」


 ──だが続けて上がった男性の、恐らく店長が発したであろう苦痛が伴った呻き声によって、尋常ならざる事態であることを強制的に理解させられた。


「何が……!?」


 急いで悲鳴が聞こえた方向を振り向く。発生源は出入口付近。俺のいる場所からはあまりよく見えないが、それでも分かることがある。

 飛び交う怒声と悲鳴。パニックになるお客様。狼狽えるホールスタッフ。そんな中で聞こえてくる『切られた!』、『店長の腕から血が!』などの言葉。


「オイオイ……!!」


 そして血の気が引いた。出入口付近で呆然と立ち尽くす近藤さんと、何処となく見覚えのある男の横顔が視界に入ったから。


「マジかマジかマジか……!!」


 事態を把握し、急いで駆け出す。ここまで情報が揃えば、何が起こったのかは明白だ。

 想定していた最悪が本当に起きた。逆上したストーカーが、刃物を持って店に乗り込んできやがった!

 いやでもふざけんなよ!? そりゃ確かに『最悪の場合』なんて言って警戒してはいたけど、まさか本当にこんなことするとか思ってなかったぞクソが! ましてや店に直接乗り込んでくるとか正気か!?


「はいどいて! ちょっと通して!」


 大勢が事態を把握し、パニックが店内全域に広がる。そこまで大きくない店内で、我先にと出入口付近から離れようとするお客様をなんとか掻き分け、ようやく現場に辿り着く。


「うぐぅぅっ……!」

「嘘……何で……」

「は、ははっ! こ、近藤ちゃんが悪いんだよ? あ、あれだけ思わせぶりな態度とって、いざ俺がその気になったらす、ストーカーなんて! け、警察まで巻き込みやがって! ふふっ、ふざけんなよ!?」


 左手首から血を流し、痛みに呻く店長。呆然とした表情で震える近藤さん。そして包丁を構えながら、逆恨みを叫ぶストーカー。

 視界に収めて思わず舌打ち。実に胸糞悪い光景だ。それでいてタチも悪い。ストーカーは興奮で完全に目がイッているし、数少ない男手である店長は負傷中ときた。

 ああもう! 何でよりにもよって今日の今なんだ!? 刃物を持った男と対峙できるスタッフ、戦力になるであろう男手が少ないんだよ! 俺と店長除けば、キッチン組の二人だけだぞ!? そんで店長は脱落してるし、キッチン組の一人ヒョロだし!

 お客様に協力を求めるのは論外! そもそも客層と時間帯的に男性客が少ないし、わざわざ危険を犯して協力してくれる人間がいるとは思えない。騒ぎを聞き付けて乱入してくれる奴も同様。現れるかも不明の勇気ある協力者なんて勘定に入れられない。

 かと言って、一番頼りになる警察は絶対にまだこない。通報は……お客様にしろスタッフにしろ、誰かしてるとは思いたいが、物理的な距離がある。どんなに早くても十五分ぐらいは掛かるんじゃないかと予想。

 つまりその間、この刃物を持った人間の屑を相手にしないといけないわけだ。近藤さんを含め、これ以上被害が広がらないよう抑えながら! ……ちなみに俺の装備はサーブで使ってた銀トレイのみである。クソがよ!!


「近藤さん大丈夫!? 早く奥行って! あとついでに怪我した店長も連れてって!」

「み、水月さん? て、店長が! 店長がいきなりあの人に切られて……!」

「うん知ってる! だから下がって危ないから! 店長も動けます!?」

「おお、お前! こ、近藤ちゃんに馴れ馴れしくしてたクソ野郎! いきなり出てきて、なななんだよ!? 王子様気取りか!?」

「うるせぇんだよカス野郎!!」

「ヒッ!?」


 壁に銀トレイを叩きつけて威嚇する。キャラじゃないことは重々承知だが、流石にもう我慢の限界だった。

 いや分かるよ? こういう場合、相手を刺激するような言動は慎むべきなんでしょ? 全力で宥めつつ会話で時間稼いで、警察が来るまで耐えるべきなんでしょ?

 でもさぁ……。近藤さんが怯える姿を間近でずっと見せつけられ、こっちのスケジュールもめちゃくちゃにされ、ついでにターゲットが移るかもと神経をすり減らされたんですわ。こちとら。

 他にも不愉快な点は多数。挙げていけばキリがないのに、挙句の果てがコレである。店でこんなクソみたいな騒ぎを起こされ、店長は負傷し、意味不明な理由とともに包丁を向けられるとかマジでさ……。

 温厚かつ人とズレてる自覚のある俺でもキレるわこんなの。許されるなら、こっちだってキッチンから包丁持ち出して刺しにいきたい気分だっての。


「散々、散々人様に迷惑掛けといて? 女子高生の営業スマイル本気にして付きまとった屑が? 警察のお世話になって逆上した社会不適合者のオッサンが何だって? ブーメラン飛ばしてんじゃねぇよ! クソ野郎はテメェだろうが! この社会不適合者のロリコンニートが!!」

「お、俺はニートじゃない! ライターだ!」

「知らねぇよクソが! どっちにしろテメェはもう犯罪者だろうが!!」


 再び銀トレイで壁を叩いて威嚇。お前の職歴なんてどうでも良いんだよこっちは! 包丁持って人を傷付けた時点で職歴もクソもないだろうが!


「な、なんなんだよお前! さっきからガンガンガンガンッ……! こ、こっちに刃物あるの見えないのか!? ぶぶぶち殺すぞクソガキ!?」

「包丁怖くてキッチンやれるか!! こっちはそんなの常日頃から使ってんだよ! ビビらせたいならサバイバルナイフか中華包丁持ってこい!」


 虚勢張って構えてるところ悪いけど、見た感じ百均で売ってるようなちゃちい出刃包丁だろそれ。それがどんなものかはお前よりも知ってんだわこっちは。

 そりゃ刃物だしブスリと刺されれば危ないだろうけど、安い出刃とか切れ味自体はそんなにだぞ。それは店長の傷が証明している。

 状況的に不意打ちでズバッといかれたんだろうが、出血自体はそこまでだ。手首だったから動脈とかやられてないか心配ではあるけど、あの感じだと何針か縫えば十分な気がする。

 ちゃちい包丁なんてそんなものだ。漫画じゃないんだから、攻撃力なんてタカが知れてる。

 俺が今着てんの厚手のコックスーツだし、布があるところに当たれば大怪我はしない。そりゃ多少は皮膚もきれるかもだが、逆に言えばそれだけ。

 キッチンで働いてれば一度はザクッと腕を切るもんだし、今のテンションなら痛みより先に怒りがきてどうにかなる気がする。

 いわゆるアドレナリン。それで誤魔化せる範囲だろう。店長が痛みで呻いてたのだって、不意打ちかつ予想外、あと恐怖で動揺してたのが大きいだろうし。

 そうじゃなければ、普通に傷口押さえながら自分で動いてたはずだ。今みたいに近藤さんに引っ張られる形で退避するんじゃなくて、逆に近藤さんを下がらせて自分が矢面に立ってた可能性が高い。


「刃物あるからってイキるなよなオッサン。そんな震えながら構えててもカッコなんかつかねぇんだわ」


 まあつまりだ。包丁なんて向けられたところで大して怖くないのである。持ち主が明らかに運動不足なオッサンなら尚更に。

 この状況で警戒するべきは、包丁での刺突ぐらい。任侠映画とかであるようなドスアタックとか、滅多刺しとか言われる系の振り下ろしとか。

 それ以外はそこまで脅威ではない。あとは急所と素肌の部分だけ気をつける。焦らなければどうと言うことはない。ビビらなければどうと言うことはない。


「う、うるさいうるさいうるさい! なら殺してやる! お望み通り殺してやるぅぅっ!!」

「うるせぇ死ねぇ!!」

「へぶっ!?」


 ──てかシンプルな話として、包丁なんか振り回すより、縦にした銀トレイで顔面殴った方がずっと強いんだよバーカ!! リーチが違ぇんだわ! 素人は刃物より鈍器なんだよ不良漫画読んだことねぇのか!?






ーーー

あとがき


遅れました。いや私、基本的に深夜に執筆するんですけどね? 昨日寒くて。布団に入ってスマホポチポチしてたら寝たった。


ちなみに主人公のメンタルですが、諸々の鬱憤からのブチ切れブースト&殺る気スイッチでウルトラバフ掛かってます。つまりヤケクソ。

そこに漫画の『こういうのはビビったら負け』理論、『炎が怖くて料理人ができるか』理論で追加バフ。


下手に手加減して殺されても困るので、とりあえず殺す気でやる。法律守って命守れなかったら本末転倒の精神が芽生えていたり。

ぶっちゃけストーカーより覚悟ガンギマってます。温厚な奴はキレるとマジで怖いのです。

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