第56話 後輩の安堵
『──水月さん! やりました!!』
ある日の夕方。大学から帰宅し、バイトもなく空いた時間。暇潰しついでにイラストを描いていると、近藤さんから電話が掛かってきた。
すわ非常時かと慌てて電話に出れば、聞こえてきたのはそんな声。ここ最近ではあまり聞かなくなった、近藤さんの心の底からの元気な声。
とりあえず、悪い報せではなさそうで一安心。内心でホッと息を吐きつつ、要件について訊ねてみる。
「偉くご機嫌だけどどうしたの? 何か良いことあった?」
『はい! ありました! 私もさっきお母さんから聞いたんだけど、警察が遂に動いてくれたって!』
「え、ガチ? ストーカー捕まったってこと!?」
思わず声を上げてしまう。警察云々の話は聞いていたし、パトロールとかもやってくれているのは知っていたけど、まさかここで動くとは。
ストーカーに対して後手に回りがちと言うイメージがあったのだが、中々どうして。この段階で決着までいくとは思わなかった。
逮捕できたと言うのならば、警察に対して抱いていた印象を撤回せねばなるまい。迅速な対応ありがとうございます。
『あー、いや、流石にそこまでは……』
「え、あ、違うの? 話の流れ的に、てっきり捕まったのかと思ったんだけど」
『えーと、私もぶっちゃけよく分かってないのでアレなんですけど。お母さんが言うには、呼び出し……いや任意同行? あー、ともかくですね、ストーカーに警察から接触禁止令ってのが出されたみたいで』
「接触禁止令」
ふむ。話を聞く限りだと、どうやら俺の早とちりだったっぽい。若干の肩透かしを感じなくもないが、それより気になる単語が出てきた。なんなの接触禁止令って。そんなのあるの?
「意味合い的には、文字通り近づくなって命令なんだろうけど……」
『はい。そんな感じです。私も初めて知ったんですけど、警察ってそういう命令を出せるみたいで。お母さんが聞いた話だと、ストーカーに対して行われる一般的な処置の一つなんだとか』
「ほーん?」
近藤さんの話を聞きながら、パソコンでちょっと調べてみる。……接触禁止令ねぇ。一体どんなものなのやら。
「接触禁止……いや接近禁止か? あー、これか。出てきた。禁止命令ってやつかな」
『そうですそうです! 多分それです! 何かサイトによって表現違うんで若干怪しいんですけど、とりあえずこれでストーカーも迂闊に近くことはできなくなったのは間違いないかなって!』
「ふーん。禁止命令……効果一年……聴、ぶん? いや、もんか。聴聞って読むのかこれ」
なるほどねぇ。ざっくり調べてみた感じだと、ちゃんと公的な力のある命令ではあるのか。加害者側の証言も加味した上で、発行された場合は一年間有効。
その上でなおストーカー行為を続けた場合は、一気に逮捕の可能性が高まると。つまりサッカーのイエローカードね。
「あー。分かった。何か最近は現れないなって思ってたけど、原因コレか。ガッツリ釘刺されたか、現在進行形で監視か何かされてんのかもね」
『やっぱり水月さんもそう思います!? この話を聞いて、実は私もそうかなって考えてたんですよ! これやっぱそういうことですよね!?』
「お、おう……」
かなりテンションが高いなー。いやまあ、それだけ鬱屈としてたってことだろうし、その上で事態が良い方向に動いたのだから、この反応も仕方ないことなんだろうけど。
ただなぁ……。これ、個人的にはあんまり進展してない気がするんだよなぁ。いや、確かに事態は好転してるんだろうけど、かなり微々たるものな気配をヒシヒシと感じると言うか。
なんなら、中途半端に刺激したことで、ストーカーが暴発する危険性も同じように高まっている気もすると言うか。
「近藤さんさ」
『はい! 何ですか!?』
「喜んでるところに水差すようで悪いんだけど。まだ安心するの早いと思うよ。あくまで、俺の感覚としてはだけど」
『……と、言いますと?』
「うん、だってさ? 別にストーカーが拘束されたわけでも、遠くに行ったわけでもないでしょ? 相手が野放しになっている以上は、あんまり気を抜くのは危ないかなって」
『なる、ほど? いやでも、警察からの命令ですよ? 流石に大人しくはなるんじゃ……』
「ストーカーだよ? 警察に注意されたぐらいで大人しくなるわけないでしょ。ましてや、近藤さんに目を付けてるの相当にアレだからね?」
未成年に手を出そうとしてる社不のオッサンとか、間違いなく『本物』だ。そんな大人しい性格をしているとは思えない。
そもそもの話として、警察が怖くて動けないなら、犯罪者なんて生まれない。私情のために法律を二の次、三の次にしてしまうから、彼らは罪を犯すのだ。
千秋さんを、逮捕されてないだけの犯罪者を身近に置いているから分かる。あの手の人種はマトモじゃない。認識が常識の外にある。
普通は人の家に無断で忍び込もうとしない。忍び込んだ上で家事なんかしない。ましてや、諸々の行為がバレた後に距離を詰めようとしてこない。
いや本当、改めて考えるとおかしいだろ。そりゃストーカー行為に関しては俺が許したし、こうして身近に置いていることも俺の意思ではあるけれど。
経緯的に考えても、普通は負い目の一つや二つ、最低限の気まずさやらは抱いて然るべきだろうに。千秋さん、その手の意識皆無だぞ。今日まで元気に家事してるんだぞ。
はっきり言って、常人とはかけ離れた思考回路をしている。そんな千秋さんと言う前例を考えれば、件のクソ野郎も普通の思考回路をしていない可能性の方が高い。
「まあ、間違いなく事態は好転してるから、張り詰め続ける必要はないんだろうけどね。ただそれでも、まだ油断はしない感じで。付き添いもこれまで通り続けるつもりだから、そこはよろしくね?」
『あ、はい。が、頑張ります! 付き添いについては本当にありがとうございます!』
「はいはい。それじゃあ──」
話をまとめにかかろうとしたところで、ガチャリと玄関の方から物音。そして続くように千秋さんの声が聞こえてくる。
「ただいまー。遥斗くーん、ねぇ聞いて……おっと。電話中だった?」
「うん」
「それは失敬。あー、邪魔しちゃ悪いし、お風呂の掃除してるね」
「ん。お願い」
「はいはーい」
回れ右して、廊下に消えていく千秋さん。相変わらず、変なところで常識的な行動をする人である。何でそんな気遣いができて、ストーカーなんかやってしまったんだろうか?
「っと。ゴメンね。人来ちゃったから、そろそろ電話切るね」
『あ、はい……。あの、ところで今のって? 女の人の声みたいでしたけど……も、もしかして、彼女さんだったり?』
「彼女ではないね」
『あ、あー。そうなんですか。じゃあご家族ですか? お姉さんか、妹さんとか?』
「いや血の繋がりはないよ。普通に知り合い」
『……友達なのに、お風呂の掃除とかするんです?』
「友達ってのも怪しいかなぁ」
『……え、いや、え?』
電話越しではあるが、近藤さんの頭の上に凄まじい数の疑問符が浮かんでいるのが分かる。
実際、俺と千秋さんの関係性はとても奇妙だ。簡単に説明できるものではないし、説明するとなると千秋さんの違法行為に触れなきゃなので、積極的に行うようなことではない。
一応、近藤さんは俺にストーカーがいたことは、かつての会話で知ってはいる。だが現在の関係性までは知らないのだ。だからこそ、詳しく語るわけにはいかない。
「あー。説明すると大分ややこしいから、ざっくり話すけど。彼女とはちょっとした知り合いで、その縁で家政婦の真似事をしてもらってるんだよね」
『なる、ほど……?』
「家に上げてるだけあって、かなり親しくはあるんだけど、かと言って遊びに行くような仲ではないしでねぇ。まあ、微妙な関係性なんだよね」
『……とりあえず、彼女さんとかではないんですね?』
「そうね」
『なら良いです』
「何がよ」
そこで何故『なら』なんて言葉が出てくるんですかねぇ……?
『あー、その、ほらアレです! 彼女さんがいたら、凄い申し訳ないなって。水月さんを私の事情で引っ張り回してますし、その……ちょっとモーション掛けたりとか、前にかなり失礼なことをやってるんで』
「ああ、そゆこと」
確かにそれは分からなくはない。実際問題、交際相手がいる男に付き合わせるようなことではないし。……千秋さんもちょくちょくキレてるしなぁ。
「そこは気にしなくて良いよ。何度も言うけど、近藤さんは被害者なんだから」
『……本当にありがとうございます。じゃあ切りますね』
「うい。そんじゃ、また次の出勤で。お疲れ様です」
『お疲れ様でしたー』
電話が切れる。そして小さく息を吐く。今回の報告が、良い方向に転がってくれれば良いのだが。
ーーー
あとがき
活動報告でも既にお知らせしましたが、こちらの方でもスペースを借りて報告をば。
本作ことシルキーですが、なんとスニーカー文庫様で書籍化することと相成りました!
発売日は5月1日予定。イラストレーターは『あゆま紗由 様』です!
なお、書籍化に伴い、タイトルも変更させていただきます。
【家で知らない娘が家事をしてるっぽい。でも可愛かったから様子を見てる】
が、書籍版タイトルとなります。こちらのタイトルは混乱を避けるために、今週金曜日にWeb版の方にも適用させていただきます。
いやはや、長かった。実は一身上の都合が発動した時から話は決まってたのですが、ようやく発表できましたわぁ。
ちなみに新タイトルですが、私自身もまだあやふやだったり。なんならWeb版のタイトルすら怪しい。シルキーで完全に通してた弊害っすわぁ。
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