第55話 遥斗の不快

「じゃあ、お疲れ様です」

「うん。お疲れ様」


 頭を下げて事務所を出る。色んな意味で憂鬱な会話だったが、まあ仕方ないかと小さく溜息。

 俺の経験と言うか、前例が前例なせいで勘違いしそうになるが、『犯罪』は基本的に関わるだけで身も心も磨り減るものだ。

 俺と千秋さんの関係性が極めて異質であり、近藤さんとストーカーの関係性こそが真っ当なもの。……犯罪に対して真っ当なんて言葉を使うのはかなり抵抗があるが。

 だが身勝手な加害者と、怯える被害者。そして振り回される関係者及び第三者という形は、こうして確実に存在しているわけで。

 一人の悪意、身勝手な願望によって、大多数が迷惑を被っているこの状況は、決して見過ごせるものではない。


「あ、水月さん! すみません、待たせちゃいましたか!?」


──ましてや、何の罪もない女の子が、それも成人すら迎えていない子供が、標的になって良いわけがない。


「……いや別に。大して待ってないよ。俺も今さっき着替え終わったところだし」

「あ、そっすか。良かったぁ」


 俺の答えにホッとした表情を浮かべながら、パタパタと近藤さんが駆け寄ってくる。

 その姿はまるで飼い主を見つけた大型犬。近藤さん自体が大分能天気な性格をしているので、傍から見たら微笑ましいものだろう。


「んじゃ、帰ろっか」

「……あ、はい。分かりました」


 俺が椅子から立ち上がると、ススっと近藤が密着してくる。

 随分近いが、既に違和感はない。戸惑いの感情などとっくに消え失せるほどに、近藤さんのこの立ち位置は恒例となってしまっている。

 事情を知らなければ、恋人同士のイチャつきのようにも見えるのかもしれない。……俺個人がそう思っているのではなく、あくまで客観的な意見として。


「……はぁ」

「ちょっ、いきなり溜息とか止めてくださいよ! 何か怒らせたかなってビビるんですけど!」


 だが現実はそんな良いものではない。お気楽なものではない。この距離感は結局、理不尽と恐怖とやるせなさによって築かれたものである。築かれてしまったものなのだ。


「あー、ゴメン。近藤さんがどうこうじゃなくて、この状況がねぇ……。店長とちょっと話したせいで、改めて面倒な気分になった」

「それは……何かゴメンなさい」

「いや謝らなくていいから。何度も言ってるけど、近藤さんが悪いわけじゃないし」


 まあ確かに、最初は『巻き込んでくれたな』とは思いもした。近藤さんの対応と言うか、判断がアレだったのは否定しようのない事実である。

 だが判断云々については、正直仕方ない部分もあると思う。ストーカーなんて普通の人には縁のない存在だ。ましてや人生経験に乏しい高校生が、適切な対応を取れるかと問われれば否だろう。

 なにより、一番悪いのは加害者であるストーカーだ。そこを履き違えてはいけない。近藤さんは完全なる被害者である以上、被害にあっていることに対して罪悪感を抱く必要はない。


「何度も言うけど、これは年上の義務みたいなものだから。俺は大人ってほどじゃないけど、それでも子供が危なそうなら助けるのが普通だよ。実際、俺がやらなくても、店長とかがやっただろうしね」

「いや、その……」

「ほら、口ごもってないで行くよ。別にまだ暗くはないけど、それでも早く帰った方が安全なんだから」

「うっ、はい……」


 先を急ぐように促すと、近藤さんは多少の逡巡をしてから俺の後を追ってくる。

 その姿が、この反応が地味に嫌だ。ちょっと前までは、つい頭の心配をきてしまうほどにあっけらかんとしていたのに。

 それが今はどうだ。一見すれば普段通り、能天気で明るい近藤さんのままだが、この一件の最初から付き添っている俺には丸分かりだ。

 明らかに無理している。取り繕っていても、ふとした拍子に曇っている。その姿を何度目にしたことか。

 俺に対する態度も違う。会話の合間合間で、機嫌を窺うような言動が垣間見える。まるで俺の機嫌を損ねて、付き添いが終わることを恐れているかのように。

 近すぎる距離感は不安の裏返し。怖いから引っ付いている。いや、俺の背に隠れている。隣を歩こうとすらしないのは、それだけ怯えている証拠。


「……」


 そんな近藤さんが本当に嫌だ。そんなキャラじゃないだろうに。もっと能天気に騒いで、俺を心の底から呆れさせていたキミは何処に行ったんだ。


「今日は……見当たらないね」


 マリンスノーを出て、辺り見回す。幸いなことに、憎きストーカーの姿はない。少なくとも、見えるところには存在しない。

 それを小声で伝えると、近藤さんがホッと胸を撫で下ろすのが分かる。……その動作がまた癇に障り、心の中で盛大に舌打ち。


「一応、急ごうか。さっさと帰ろう」

「うす」


 社員用の駐輪場から自転車を回収。跨りはせずに、押しながら近藤さんの家に向かって歩き出す。

 歩幅は近藤さんに合わせつつ、気持ち早足で。それでも文句が飛んでこないあたり、その内心が察せられる。早く帰りたいと、そう思っているのだろう。


「「……」」


 無言の時が流れる。なんとも居心地が悪い。本来なら、もう少し……いやもっと騒がしい帰路になっているだろうに。

 実際、付き添いが始まった当初はそうだった。近藤さんのマシンガントークが炸裂していた。ああ本当、こちらがうんざりするぐらいには凄いものだった。

 しかし時が経つにつれ、ストーカーの影がチラつくにつれ、段々と勢いが減っていく。最初も無言となるタイミングはあれど、それは会話の息継ぎのため。こんな重苦しい沈黙はなかったのに。


「……あ、あはは。今日はいなくて良かったですね。警察の人らもパトロールを増やしてくれてるみたいですし、その効果っすかね?」

「かもね。案外もう捕まってたりして」

「だったらめっちゃ嬉しいんですけどねー」


 また影のある笑顔を浮かべている。沈黙に耐え兼ねての話題振りだろうが、無理をしているのは丸分かりだ。

 かと言って、俺の方からウィットに飛んだ話題を提供するのも難しい。いや、本来なら俺が気を遣うべきなのは分かっているのだが、悲しいことにそんな余裕はないのだ。

 近藤さんがストーカーの影に怯えているように、俺もまたストーカーを警戒しているから。

 漫画のキャラのように、人混みから特定個人の気配を探るなんてことは不可能。てかそもそも論として、俺はそこいらにいる大学生。つまるところ素人だ。

 当然、漫画に出てくるようなビックリ技能なんて習得してないし、現実に則ったボディーガードのノウハウだって知らない。

 だから素人なりに、周囲に気を配るしか警戒の方法がないのだ。いくら現状見当たらないとは言え、完全にいないという確信がない以上、警戒するに越したことはないのだから。

 そんな中で、気の利いた会話なんか提供できるわけがない。神経を張り詰めているだけで精一杯だし、気まずさと安全なら優先すべきは後者だ。

 それはそれとして嫌になる。何でバイト先から帰るだけで、こんなに苦労しなければならないのか。こんな重苦しい空気を背負わなければならないのか。


「……あの、水月さん」

「ん、どしたの?」

「……私って、バイト辞めた方が良かったりするんですかね……」

「ない。それはない。絶対にない。百パーない」

「いやでもっ、水月さんも最初は辞めるべきだって! ……実際、こんなに迷惑掛けちゃってるし」


 ああ、本当に嫌になる。何だこの会話は。確かに沈黙は気まずいが、だからと言ってこんな腹立たしい会話をしたいわけじゃない。


「確かに最初はそう言ったよ。でも最初は最初、今は今。もう状況が違ってる。ここまで来ると、近藤さんが離れる方が困る。俺や店長の目の届かないところにいかれる方が、ずっと怖い」

「そ、そうかもしれませんけど……!」

「シャラップ。何度も言うけど、近藤さんが気にする必要はない。てか、この際だからぶっちゃけるけどさ。俺が嫌なんだよ。近藤さんに辞められんの」

「え……?」

「俺は別に正義感に熱くはないし、なんなら捻くれてる方だけどさ。それでもムカついてるの。こんな面倒なことをやらかしたストーカーに」

「……そうなんですか?」

「当たり前でしょ。俺のこと何だと思ってんのよ近藤さんは。ここまで振り回されて、腹が立たないわけがないでしょ」


 そんなの聖人や仏……いや違うな。普通に頭のおかしい異常者か。犯罪者に振り回されて、怒りを覚えない人間なんてまずいない。こんな理不尽、許容できるわけがない。


「そしてなによりイラつくのは、ストーカーのせいで近藤さんが諦めることだ。親誤魔化すぐらいにやりたいんでしょ? マリンスノーのバイト。それをいい歳した社不のオッサンのせいで辞めなきゃとか、ふざけんなって話だろうが……!」


 あってはならない。そんなことはあってはならないのだ。たった一人のクソ野郎のせいで、近藤さんの、子供の居場所が奪われるなど、絶対に認めてはいけない。

 身の安全には変えられないことは分かっている。最初は辞めるべきだと主張していたのは百も承知。

 だがそれでも、俺の中の良識が否と言っているのだ。短い期間ではあるが、この一件に最初から関わった者として。

 近藤さんの変化を見てきた立場として、これ以上の不幸を背負わせるようなことを許してはいけないと。


「だから近藤さんは気にしないで良い。これはもう俺の意地みたいなもんだから。キミは普通に働いて、普通にしてれば良いの。問題が解決するまでは、俺がちゃんと付き合うから」

「っ……!」

「ほら、家見えてきたよ。早く帰って、お母さんにただいまって言ってあげな」

「……ぁ、い。っ、りがとう、ございます……!!」


──願わくば、また頭の悪い会話に辟易としたいものだ。近藤さんの震える声を無視しながら、そう小さく息を吐いた。





ーーー

あとがき


主人公、ひっそりバチ切れしてた模様。


熱血漢ではないし、正義感に燃えるような性格はしていない。お人好しと言えるようなタイプでもない。

だがそれはそれとして、ニュートラルで善良な一般市民なので、害のある犯罪者は普通に嫌い。知り合いが被害にあってるなら尚更。

被害者が知人+女性+未成年なら無条件で手助けするし、状況次第では身体を張ることも厭わない。


ちなみにシルキーがセーフ判定だったのは、被害に遭ってるのが自分だけかつ、付属していた家事のメリットが被害(不快感)より高かったから。

そうじゃなければガチで警察呼んでた。被害者が他にもいたり、周囲に迷惑が掛かりそうだった場合も同上。


なので、マジでシルキーさんは綱渡りだった。早々に知人カテゴリーに向けてスライディングかましたことも功を奏した感じ。

ある意味で奇跡のような関係性。

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