第36話 シルキーのいぬ間に

 家事を任せるということは、家の中の支配権のようなものを讓渡するようなものであると、最近になって気付いた。一番分かりやすい例が、最近起きた『歯ブラシ事件』であろう。

 ということで、ちょっとした確認がてら、久しぶりに自分で家事をやってみようと思う。ちょうど休日で時間はあるし、鬼のいぬ間になんとやら、というやつだ。


「ふーむ……」


 まず全体を確認。ぶっちゃけ、わざわざ掃除するほど散らかってはいない。


「まあ、そりゃそっか。ライブが一ヵ月前だから、なんやかんやで千秋さんとは付き合い長いし」


 千秋さんが家政婦モドキにエントリーしてから、もう結構な日数が経っている。家事を溜めることなく、日常的にアレコレしてくれているのだから、汚いわけがないのだ。

 なのでやはり、家事の方は二の次。やるべきは千秋さんの成果……いや暴挙……まあ、主張の強さを確認することがメインとなる。

 千秋さんが、家事をしながらどれだけ我が家に手を加えているか。具体的な例を挙げるなら、どこまで私物の類いを持ち込んでいるかを探る。

 先日の歯ブラシ事件から分かるように、千秋さんの頭の辞書には『さりげなく』なんて言葉は存在しない。ガッツリ我が家を侵食しにきているのは明らかなので、軽く探すだけでもわらわら物が出てくるのではないかなと。

 まあ、ちょっとした釘刺しである。千秋さんが我が家を侵食しようが、私生活に支障が出ない限りは気にしない。……しないのだが、先の一件を考えるに、放置すると妙な方向で悪化しそう気配を感じたので、余興ついでに現状把握ぐらいはしておこうと思った次第。


「まずは……」


 シンク、かな。ちょうど使った食器もあるし、それも洗ってしまおう。二の次とはいえ、ちゃんと家事もやるのである。


「んー、やっぱり増えてるなぁ」


 カチャカチャと皿とコップを洗いながら、食器棚の中身に苦笑する。

 予想通り、買った記憶のないコップ、いやマグカップか? ともかく、食器が幾つか増えていた。

 我が家の食器は無地がデフォなので、見慣れない物があるとひと目で分かるのである。……それらが総じてセット商品的なアレである辺り、下心満載なのがありありと理解できる。


「うし終わり。次は……」


 んー、洗面所にでも行くか。今日は風呂場を洗う日なので、その辺をこなしつつ確認するとしよう。

 まずは風呂場の全体にバス用洗剤をぶっかけ、軽く放置。湯を抜く手間がないので、こういう時シャワー派は楽だ。

 ま、それはそれとして。洗剤がいい感じになるのを待つ間に、洗面所周辺のチェックに移ろう。


「……歯ブラシに洗顔系か」


 そしてやっぱり増えている小物。歯ブラシは例の一件から知っていたが、洗面台の引き出しの中に女性用と思われる洗顔料、あとよく分からないスキンケア用品らしき物が幾つか。


「……」


 いや、別に良いんだけどさ。本当に着々と私物で侵食してきてるよね、千秋さん。

 あと、歯ブラシにしろ洗顔系にしろ、明らかにラインナップがアレというか、普通に訪ねてくるなら不要な代物なのがまた……。

 確実に泊まる気だろ、千秋さん。そのための下準備バッチシじゃないか。図々しいがすぎる。

 というか、流石に泊まらせる気はないんだけど? 家政婦までは許したけど、居着くのを許した記憶はないのだが、その辺は理解しているのか? ……してないよね知ってる。


「はぁ……」


 近いうちに宿泊許可の攻防が待っているなと察し、自然と溜め息が漏れた。コントやってるんじゃないんだからマジでさぁ……。

 そんな風に内心で頭を抱えながら、風呂場の掃除をササッと開始。浴槽を中心にスポンジで擦って、終わったら水で流して、最後に排水口のゴミを取って終了。


「あとは……何だ?」


 掃除機、は掛けるほどでもないか。洗濯物も溜まってない。そう考えると、もうすでにやることがない気がする。

 やはり日々の積み重ねは大事だと思う。掃除しようにもすることがほとんどないのだから。まあ家事やってるのは千秋さんなんだけども。


「んー、まあいっかぁ」


 少し考え、最終的に諦めた。家事はもう終わりにしよう。あくまで二の次なのだから、わざわざタスクを探してまでやる必要もあるまい。

 ということで、普通に部屋の中を探す方向にシフト。千秋さんの性格と、目的やらを考えた上で、侵食されてそうな箇所を漁ってみることに。


「むむむ……」


 とはいえ、パッと見では『らしい』物は見当たらない。分かりやすい場所に、小物などを置いている感じではない。

 これまでの傾向を考えるに、千秋さんはある程度意味のある物しか持ち込んでいない。日用品の類いはあれど、インテリア的な小物類は皆無なのだ。……これを家主に遠慮していると取るか、目的を優先しているだけと取るべきかは謎である。

 ま、つまりだ。フォーカスするべきは日用品。それらが置いてそうな場所を探るべき。


「となると、まずはクローゼットか……?」


 そうして最初に思い付いたのは、洋服関係であった。というのも、こちらに泊まらせる気はないが、洗面所の品々を見るに千秋さんはその気であると思われる。

 ならば着替え、いやパジャマの一つぐらいは仕込んでいてもおかしくないという判断だ。そうでなくても、ブランケットや室内用のカーディガンぐらいはあるだろう。

 そんな予想のもと、クローゼットをオープン。上段のジャケットゾーンはひと目で分かるので、下段のカラーボックスを重点的に。

 特にカラーボックスの内の一つは、俺の手持ちの関係でスッカスカなので、候補として一番可能性が高いのだ。


「えっと……ってうぉい!?」


──で、該当するカラーボックスを引っ張り出した結果、一瞬で元に戻す羽目になった。


「……マ?」


 思わず放心。というか呆然。それぐらい中身が予想外だった。

 入っていたのは見知らぬタオル、カーディガンっぽいもの、女子がよく着てるふわもこな部屋着。……ここまでは良い。ここまでは普通に予想通りであり、許容範囲だったのだが。


「なんでガッツリ下着類まで置いてあるのさ……!」


 流石にブラとショーツは聞いてないのよ。いや冗談抜きで。


「えぇ……」


 恐る恐る、再びカラーボックスを引っ張り出す。……やはり入ってる。気の所為じゃなかった。


「……」


 サッと見る限り、四セットほど。それが綺麗に畳まれて、カラーボックスの中に収納されている。

 なんというか、アレだ。女性の下着などマジマジと見るようなものではないのだが、ツッコミどころがありすぎて目が離せないというのが正直なところ。

 まず大前提として、何故下着を当然の如く持ち込んでいるのか。百歩、いや万歩譲ってパジャマなどはそういうものだと受け入れるが、流石に下着は駄目だろう……。

 シンプルに反応に困るんだよ。あと下着のタイプも疑問符しか出ない。コレが勝負下着、分かりやすいぐらいスッケスケだったり、穴空いてたりする系のやつとかなら、まだネタにもできるんだが、雰囲気が完全に普段使いしてますって感じのだから……。

 レース付きの薄緑のやつとか、綿製の飾り気のないやつとか、純粋に『何でこれ選んだ?』って言いたくなるようなのしかないのが、その、うん。

 なんて言うんだろうね。勝負下着の類いがゼロなことが、逆にフェチズムに溢れているというか、エロティカというか、生々しすぎて頭が痛くなってくるよね。

 というか、マジで何で勝負下着がゼロなのよ。レースのはともかくとして、抜くべきは色気ゼロの綿パンとかだろ。女の人って、こういう下着は見られたくないのかと思ってたんだけど。


「いやそもそも、これどっちだ……? 俺のとこ用にわざわざ買った未使用の新品? それとも普段使いしてる使用済み?」


 駄目な思考である。女性の下着をマジマジと見てる時点でアウトだし、使用済みかどうかで悩むなどアウト・オブ・アウトである。

 しかし、それでもなお気になるというのが本音。性欲由来の興味があることも素直に認めよう。だがそれ以上に、ツッコミどころと純粋な疑問のせいで意識が逸らせないのである。

 そもそも論として、男の部屋から不意打ちで女性下着、それも付き合ってもいない(重要)知人女性のそれが出てきたら、どれだけインパクトがあると思っているのか。

 これを無視しろと言うのは無理がある。一度脇に置いたとしても、絶対に頭の中でチラついて離れない。

 ならもう開き直って、落ち着くまで堂々と観察した方がマシというものだろう。流石に手に取ったりしないが。

 幸いにして千秋さんは今日こないそうだ──


「ただいまー。聞いてよ遥斗君! 会う予定だった友達から、『彼氏できたからメンゴ』ってドタキャンされちゃっ……て……」


 何でこのタイミングで千秋さん来るんですかねぇ?


「……」

「……あの、遥斗君? そこ、確か私がいろいろ入れて……」

「……そうね」

「……見た?」

「……なんなら適当に掲げようか?」

「ヤメテ!?」


 いやマジでやりはしないけども。……駄目だ俺もちょっと動揺してるなコレ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る