第25話 次回、シルキー死す
千秋さんからのライブのお誘い。個人的にはとてつもなく面倒くさかったのだが、必死の頼み込みを前に仕方なく折れる羽目になった。
一番の理由は、メンバーである他の常連さんたちだろう。千秋さんの先走りとはいえ、俺のシフトに合わせて例外的な日取りを組んでくれたと言われれば、流石に無下にはできなかった。
「ここかぁ」
というわけで、やって来ましたホロスコープ。千秋さんたちのホームだというこのライブハウスは、何だかんだ俺にとっても印象深い場所だったりする。
というのも、ここのライブのスケジュールによって、バイトの忙しさがかなり変動するのである。本来スカスカな客入りの時間が、一転してピークタイム並の忙しさになったりするので、店の売上など関係ないバイトとしては……ねぇ?
そんなわけで、極めて個人的な理由かつ、一方的に辟易とした感情を向けていたホロスコープなのだが……。
「……なんか、入りずらいな」
こうして改めて直視すると、随分とまあアングラな雰囲気の漂う場所だなと思わずには居られない。
夕暮れとなり、薄暗くなった道。そんな輝くネオン看板と、それに吸い寄せられていく客と思わしき人々。
全体的に人数が多いわけではない。ただその少ない人数の中、そこそこの割合で服装が過激というか……パンク系やらゴシック系やら、物珍しい感じの見た目の人が見受けられるせいか、雰囲気が無駄に怪しい。
いや、あくまで雰囲気である。法的にアウトな場所と思っているわけではない。ただそれはそれとして、踏み込むには勇気がいる敷居の高さがあるというか……。
「──店員さん?」
「ん?」
ライブハウスの近くでもたついていると、後ろから声が。
自身が呼ばれたという確証はない。ただ『店員さん』という肩書きに反射的に振り返ると、そこにはなんとなく見覚えのある女性が。
「……常連さんですか?」
「あ、そうですそうです。憶えていてくれましたか」
「いえいえ。こんばんはです」
「こんばんは」
ふぅ、危ない。一瞬だけ悩んだが、なんとか女性の素性を思い出すことができた。千秋さんとの縁によって、お客としてやってくる他のバンドメンバーも印象に残るようになった結果だろう。
とはいえ、顔だけである。千秋さんところのバンドメンバーということは分かっても、名前までは分からない。正確に表現すると、顔と名前が一致しない。
一応、千秋さんとのお喋りで、常連さんたちの名前は大まかには知っている。だが顔を指して誰々と紹介されたわけではないので、誰が誰かまでは知らないのだ。
いや、別に訊こうと思えばどうにでもなっただろうが、わざわざ千秋さんの人間関係を訊ねるのもね……。かといって、接客中に名前を訊ねたりしたらクレームに繋がるし。
まあ、つまるところアレだ。呼び方が定まらないせいで、挨拶から先に話題が繋がらない。こちらから名乗るべきだろうか?
「……あ、すいません。そういえば、ちゃんと自己紹介したことはありませんでしたね。春崎恵と申します」
「これはこれはご丁寧に。こちらこそ失礼しました。水月遥斗と申します」
悩んでいたら、先に春崎さんが名乗り上げてくれた。察しの良さに感心してしまう。流石は千秋さん、世間一般における癖の強い人物とバンドをやっているだけはある。
見た目はちょっと近寄り難い、気の強めなギャルっぽい感じの人だけど、こうして会話をしてみると礼儀正しい人だというのが分かる。
第一印象と、なにより恵という名前。ここまで揃えば察せもする。この人が千秋さんの話に出てくるメグさんなのだろう。
「えーと、ライブ観に来たんですよね? 蘭がはしゃいでました」
「あー、そうですか。……てことは、やっぱりアレですか? 千秋さんからいろいろ聞いてる感じで?」
「はい、そうなりますね……」
返ってきたのは、凄まじく苦い表情による肯定。千秋さんの名前が出てきたことから、もしやと思ったのだが、この反応からして案の定というべきか。
いや、本人から『江戸時代の拷問を受けた』と聞いていたので、俺たちの関係性はある程度把握しているであろうことは知っていたのだ。
ただこうして顔を合わせての反応と、これまでの付き合いで形成された千秋さんの印象、具体的にはお喋り具合を考えるに、こちらの予想より数段上の把握レベルの可能性が高そうだなと思った次第である。
「その節は本当に、うちの馬鹿が大変なご迷惑をお掛けしました」
「いやいやいや! そんな頭を下げないでください。すでに終わった問題ではありますし、当事者同士の話ですから。春崎さんが謝られるようなことでは」
「いやもう、本当にすみませんでした……。そう言っていただけると助かります」
結果として、全力の謝罪が飛んできた模様。いくらバンドメンバーといえ、他人のやったことにここまで熱心に頭を下げるとは。随分と気苦労の多そうな性格をしていると思う。
あの絶妙に常識の有無が不明な、控えめに言ってもアレな千秋さんとは相性が悪いようにも思えるのだが。それでも一目でいい関係だと分かる辺り、人間関係というのは謎である。
「ところで、水月さん……えっと、水月さんと呼んで大丈夫ですか?」
「あ、はい。お好きなように。こちらもすでに春崎さんと呼んでしまっているので」
「いえ、失礼しました。で、話を戻すんですけど、水月さんって音楽、特にインディーズ系ってお好きなんですか?」
「あー、いえ。その、お恥ずかしながらあまり詳しくは……。千秋さんに誘われて、初めてこういう場所に足を運んだぐらいでして」
「そう、なんですか……」
俺の返答に対して、何故か春崎さんは微妙な表情。一瞬、初めてと伝えたことが気に触ったのかとも思ったが、すぐに違うと脳内の考えを打ち消した。
返答としては別におかしい失礼でもないし、こんな普通の内容で機嫌が悪くなるような人物ではないだろう。少なくとも、春崎さんのイメージには合わない。
なにより気になるのは、春崎さんの表情である。アレだ。不快感というよりも、訝しげと表現したほうがいいような、そんな表情。
「えっと、何か変なこと言いましたか?」
「あっ、いえ! そういうわけじゃないんですけど。その、随分と早くいらっしゃったので、インディーズ系が好きなのかと」
「随分早く? え、時間間違えました?」
「いや、入場時間にはなってます。ただ開演は一時間先ですし、私たちのライブも後ろのほうなので。えっと、チケットの裏に時間は書いてあるんですけど……」
「裏……」
春崎さんの言葉に従い、鞄からチケットを引っ張り出して裏面を確認。すると確かに、アバンドギャルドという名前とともに、かなり先の時間が記入されていた。
「なので私はてっきり、早めにきて良い場所を取りにきたのか、全部のバンドを観に来たのかなと。その、途中入場も可能なので、一つのバンドが目当てなら直前にやってくればオーケーですし……」
「いや、そういうのは知らなかったですね。チケットもちゃんと確認してなかったです。千秋さんから、この時間に来てほしいと伝えられたので……」
「……なる、ほど。つまり、こんな早い時間に水月さんが来たのは、うちの蘭が原因と」
どことなく気まずい空気が流れる。なんというか、沈黙が痛い。
いや、別に何が悪いってわけではないのだ。やらかした訳ではないし、究極的に言ってしまえばチケットを確認しなかった俺が悪い。
「とりあえず、入りましょう。そして馬鹿を問い詰めましょう」
ただそう主張したところで、さっきまで本気で謝罪してた春崎さんが止まるわけもなく。
「えっと、できれば拷問は止めてあげたほうが……」
「っ、あの馬鹿は本当にっ! やっぱり〆る!!」
あ、やっべこれ逆効果だ。……とりあえず、千秋さんに会ったら合掌だけしておこう。
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