第16話 シルキー救済ルート
冬華が蘭に助け舟を出し、その詳細を聞いたあと。私たちはひとまず腰を落ち着け、冬華の語った可能性を吟味していた。……なお、蘭は変わらず正座+重しのスタイルである。
「……それでまず確認だけど、店員さんは今日いるんだね?」
「うん。遥斗君のシフトは把握してるし。今日は九時までだったはず」
話し合いでなんだかんだ時間が流れ、現在時刻は夜の八時ちょっと前。いまから店に向かって軽く飲み物を頼めば、ちょうど退勤時に合わせられるといった感じだ。……まあ、それはそれとしてだ。
「何でアンタは店員さんのシフトを把握してんのさ……」
「だってそうじゃなきゃ都合が悪いじゃん」
「都合が悪いって何なの? もう完全にストーカーの理論じゃん……ストーカーだったわ」
平然とふざけたことをのたまう蘭の姿に、思わず頭を抱えてしまう。
いや、言いたいことは理解できるのだ。対象のスケジュールを把握してなきゃ、ストーキング行為に支障があるということだろう。
特に蘭は不法侵入までしていた筋金入りだ。いまでこそ在宅時に堂々と突撃していっているようだが、それ以前は鉢合わせないように細心の注意を払っていたはず。それには対象の詳細なスケジュールが不可欠だ。
だからこそ調べたのだろうし、そのついでに自分の欲望を満たしていたと考えれば……まあ、うん。なんとも嫌な一石二鳥だけど、ロジカルではあると思う。
「ま、いるならそれで良いか。それなら冬華の挙げた可能性も検証できるし」
「うん。店員さん、蘭がストーカーしてることに気付いてない説」
冬華が挙げた可能性。それは店員さんの中で、ストーカーと蘭がイコールで結ばれてないのではというもの。
最初訊いた時は、そんなまさかと思ったぐらいにはトンデモな説。だが詳しく聞くと、無駄に説得力があったせいで否定できなかった説。
「本当にそんなことあるのかなぁ……?」
「可能性はなくはない。蘭が店員さんにストーキングをバレてからも、私たちはそんなこと知らずにマリンスノーに通ってた。当然、店員さんにも接客してもらってる」
「あー……。思い返せば、確かに普段通りだった気がする。毎回毎回いつもと同じ。メンバーから犯罪被害にあっているとは、微塵も感じさせないぐらい普通だった」
ストーカーが所属するグループが来店すれば、被害者なら何かしらのリアクションを起こしても不思議じゃない。
苦情を伝える。嫌悪感を滲ませる。警戒する。簡単に想像できるリアクションとしてはこれぐらい。これ以外でも、最低限なんらかの素振りを見せるのが普通だろう。
しかし、店員さんは違った。完全に普段通りだった。蘭のこれまでの話を聞いて、それはおかしいと冬華は感じたのだ。
「特に蘭の場合、普段の格好にかなり差があるタイプ。接点の少ない店員さんが、その辺りを判別できなくてもおかしくない」
「分からなくもないかなぁ。蘭ちゃんってその日の予定次第で、ビックリするぐらい雰囲気変わるし」
バンド関係の時は、しっかり気持ちを切り替えるためにパンク系。逆にそれ以外の時は、かなり落ち着いた感じのコーデを多用している。
マリンスノーに寄る時はバンド関係の時が多いし、店員さんの中の蘭がその時の姿で固定されている可能性はある。
「でもさ、ワンチャン店員さんが、完全に公私を分けるタイプの可能性もあるんじゃない? 気付いてるけど、トラブルを避けて気付いてないように振舞ってるだけとか」
「もちろん、その可能性もある。それでも本人を前にすれば、表情を動かすぐらいはするはず。だからまず、蘭をナンパから助けたってエピソードで鎌を掛ける」
「いや、遥斗君に鎌を掛けてどうするのって話なんだけど……」
「気付いていたら、最初の方針通り進めればいい。でももし気付いていなかったら、その前にやるべきことがあるってだけ」
「やるべきこと?」
「自己紹介」
簡潔に、それでいて真っ直ぐ蘭の目を見て、冬華は語っていく。
「店員さんが気付いていなかった場合、蘭が警戒されている一番の理由は、恐らくだけど素性が不明な部分。誰だって正体不明の人間は怖い。だから無視して触れようとしないんだと思う」
コレだ。これが中田冬華という女の怖いところだ。後ろから全体を把握するドラムだからか、冬華はこの手の俯瞰がとても上手い。
今日蘭が追い上げてくるまでは、アバンドギャルドの『ヤバい奴』枠だった女。的確に状況を把握して、ローテンションのまま相手を言葉で刺していく。
「大方、蘭は自分が店員さんを知っているから、店員さんも自分のことを知っていると考えてるんだと思う。でもそれは間違い。そうやって自分を中心に考えるから、ストーカーなんて馬鹿なことをする」
「うぐっ」
「信頼を得るには、最低限の前提というものがある。名前すら知らない相手を信頼しろなんて、土台無理な話。その前提を疎かにするのは、ただ相手に甘えて、いや迷惑を掛けているだけ。人間関係の基本である、相互理解からは程遠い」
「うぐぐっ……」
容赦のないダメだしが蘭を襲う。うん、コレはキツイと思う。こうやって淡々と正論で刺された場合、逆ギレするぐらいしか反撃の手段がないから、自覚がある場合はサンドバッグになるしかないのだ。
「だからまずは自己紹介。『私は○○です、よろしくお願いします』と頭を下げて、初めて正しい人間関係がスタートする」
「うーん正論。コレは蘭の負け。というか、店員さんがどっちにしろ自己紹介したほうが良くないコレ?」
「それはそう」
自己紹介。なるほど確かに盲点であった。ストーカーなんてやってる奴が、まずこなしていないであろうタスク。素性の有無は信頼に直結するのはその通りであるし、進んで開示することは誠意の証明にもなる。
なにより蘭、ひいては私たち側にデメリットがないのが素晴らしい。警察に通報されれば、一週間も経たずにストレートで逮捕されかねない現状では、素性を隠す意味はない。
ならば自ら進んで開示して、信頼を稼ぐ土台にしたほうが効率的だ。
「んー、それは分かったんだけど……。冬華ちゃん、そこからどうして蘭ちゃんにチャンスがあるって思ったわけ? 状況はそこまで変わってないように感じるのだけど」
「そうでもない。相手はストーカーすら受け入れる変人。それは度量が広いか、採点基準が独特な可能性が高い。となれば、『ストーカー』がデメリットにカウントされてない、なんて場合も考えられる」
「それは、確かに……」
私の予想でしかないが、店員さんは蘭の家事を目当てに、ストーキング行為を筆頭とした諸々を黙認している。
つまるところ、『ストーカー』と『ロボット掃除機』を天秤に載せたら、後者が勝つぐらいにはストーカーであることは大した問題ではないのかも。
「なら正直に謝罪すれば、まだまだ挽回は利くかもしれない。今後も家事をやることを誓えば、ストーカーから公認の家政婦までランクアップもワンチャン」
「な、なるほど……!」
お、おう……。常識的にどうなんだそれ、という部分に目を瞑れば、確かに説得力がある。
これなら外聞のよろしくないセフレルートを経由しなくても、恋人ルートに至ることができる気がする。
うーむ。これは完全に私の落ち度だな。店員さん視点での蘭の評価の部分で分析を止めてしまったせいで、危うく友人を難しい道に追いやってしまうところだった。
「良かったね蘭ちゃん! まだチャンスはあるってさ!」
「……」
オイ何でそこで無言になる。
「蘭ちゃん?」
「っ、あ。ゴメンゴメン! ちょっと考えごとしてた」
「考えごと?」
このタイミングで? ストレートな恋人ルートが開拓できたかもしれないのに、当事者であるはずのストーカーが?
「……アンタまさか、セフレルートに変な未練を抱いてるわけじゃないでしょうね?」
「……てへぺろ」
「冬華、夏帆。追加できそうな重し探して」
「「了解」」
「そんなぁぁぁ!?」
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