第8話 シルキー先制
「ふんふーん♪」
今日も今日とて、ストーカーは我が家に不法侵入している。……もはや法的には『不法侵入』なのか怪しいが、なんかもう心情的には不法侵入ということで通したいので、今後もその体でいこうと思う。
まあ、それはそれとして。我が家での初遭遇から、もうすぐ二週間。俺以外の声や足音が聞こえてくるのが、すでに当たり前になり始めている今日この頃。
「……」
ここで思うのは、よくもまあ未だに機嫌を保っていられるものだということ。
ストーカーが堂々と不法侵入をかますようになってから、約二週間。その間も俺は無視を続けている。話しかけられても一切反応していない。
普通に考えれば、ここまで無視されれば聖人ですら悪印象の一つも抱く。惚れた弱味なんて言葉はあれど、それにしたって限度というものがある。
コミュニケーションすら成立していない、いや成立させようとしない相手に、何故そこまで好意を抱くことができるのか。どういう精神構造をしているのか、不気味を通り越して興味が湧いてくるレベルだ。
正直なところ、当初の予想では早々にヘラると思っていた。犯罪上等の執着心を見せる相手が、徹底的に無視されれば短期間でメンタルがやられるだろうと。
もちろん悪いことではない。むしろ不幸中の幸いというやつだろう。下手に病まれてしまえば、俺とて対応を変える必要があった。
最悪の場合は大事にしなくてはならなくる。そうなれば俺のいままでの苦労はパア。だからいまの状況は望外の幸運と言える。
「はいっ、洗い物おーわり! 今日の家事はお終いだよ!」
部屋に響くストーカーの声。声色からは溢れんばかりの好意が。浮かべる表情も、ニパッとしたな能天気な笑みを相変わらず浮かべているのだろう。
未だに一度も直視したことはなく、それでもなお容易く想像できるぐらいには日常の一部となってしまったその姿。
どんなに悪様に扱われても、延々と曇りない好意を向けることができるその精神性は、犯罪者であることを考慮しても尊敬に値する。
だが同時に恐ろしくもある。言葉はアレ……いや、実際その通りとしか表現できないか。ストーカーのその心の在り方は、カルト的な信仰心が根っこにあるように思えてならないのだ。
尊敬五割、不気味さ五割。比率としてはそんな感じ。それでも好意的な感情を少なからず抱いてしまっているあたり、不本意ながら俺も多少は絆されてしまっているのかもしれない。
だがまあ、そこは仕方ない。対人能力が終わってようが、俺も一応は男である。好意MAXの美人に献身的に世話され続ければ、多少なりとも揺らぎはする。
といっても、揺らいだところで犯罪者ブレーキが掛かるので、いまのところはそれ以上の感情を抱くことはないのだが。
「でねでね! 今日はちゃんと時間作ってきたんだ! このあとは特に予定ないし、そっちもバイト休みでしょ!? だから夜までずっと一緒にいられるよ! 一応、明日は用事があるから、八時ぐらいには帰るけど。……泊まりはまだ恥ずかしいから、その、ゴメンね?」
「……」
今日ほど自分のスケジュールを呪ったことはないかもしれない。バイトは常々かったるいと思いながら働いているが、今日だけは応援依頼が飛んでこないかなと願ってしまう。
現在時刻は午後の三時過ぎ。大学は三限で終了。バイトのシフトもないので、今日一日の予定は特になし。
つまるところ、これから約五時間は二人きりということ。いままでなんとかなっていたのは、短時間かつ、そのほとんどが家事と多少の雑談(独り言)に消費されてたが故。
その薄氷のバランスが崩れたいま、一体どうなってしまうのか……。
「じゃ、隣失礼しまーす」
──戦慄している俺の内心など知らぬとばかりに、ストーカーが隣へと腰を下ろしてきた。
「……」
ソシャゲの周回を進めるフリをしながら、心の中で愚痴を吐く。ワンルームの独り暮らし、というか俺の生活スタイルが仇になった形だ。
面倒だから、あっても邪魔だからと、俺は基本的に床に座って生活している。なので我が家に椅子はない。
あるのはパソコン用の座椅子とビーズクッション。で、俺がいま使ってるのはビーズクッションのほう。
クッションは、二人ぐらいなら問題なく使用できるビックサイズ。せっかくだからと奮発して、肌触りなど最高のお高い一品。
一人で埋まるように座るなら、それは幸せな贅沢だ。では、二人で使えばどうなるか。
「……よ、よく考えれば、こうしてくっ付くのって初めてだよね。私たちって」
結果はご覧の有様。近い。比喩でもなんでもなく近い。ほぼゼロ距離なんてものではなく、完全に互いにもたれかかる体勢だ。
我がもの顔で侵入してくるストーカーも、思わずといった様子でどもっている。顔を覗くわけにはいかないので確信はないが、雰囲気から顔を真っ赤に染めているのが想像できる。
「……えへへ」
だがそれでも、ストーカーの猛攻は止まらない。照れくさそうな声とともに、肩に加わった重さ。頬を刺激する細いナニカ。そして鼻を擽る甘い香り。
確認しなくても分かる。肩に頭を乗せられた。しかも頭を擦り付けられるオマケ付き。
なんともこそばゆい。そして鬱陶しい。唐突に、それでいてえげつない勢いで詰められた距離。急接近としか表現できない状況に、心の中でなんとも言えない感情が溢れてくる。
このストーカーは犯罪者だ。だが同時に美人だ。犯罪者であるという忌避感と、未だに素性不明なことによる不気味さ。そしてそれすら霞ませる、気恥ずかしさと性的なアレコレ。
ああ、もう正直に吐露してしまおうか。ストーカーの行動を可愛いと思ってしまう自分がいる。なんだかんだと魅力的に感じてしまう自分がいる。
何度も言うが俺だって男だ。普通に性欲だってある。それでいて女性経験など皆無なのだ。……これは別に誇らしげに言うことではないが。
そんな非モテ男子が、美人に言い寄られて動揺しないわけがないだろう。こんなはたから見たらバカップルそのものな状況に叩き込まれれば、そりゃあもう愉快なまでに慌てふためくに決まっている。
動揺が表に出てないのは奇跡に近い。自分のメンタルコントロールと、あまり動かない表情筋に拍手喝采を贈りたいぐらいだ。……それでも微かに手が震えているのだなら、俺がどれぐらい動揺しているか客観的に分かると思う。
多分、いまの俺が中身入りのティーカップを手に取ったら、漫画みたいにカタカタと愉快なことになること請け負いだ。
「……良い匂い。知ってる? 体臭を良い匂いって感じられると、その人と遺伝子的に相性が良いんだって」
「……」
いや本当に止めてほしいんだが。人の体臭をガッツリ嗅ぎにこないでくれ。これに関しては美人とか関係無く気色悪い。
……やはりストーカーはストーカーか。絶妙に言動が怪しいおかげか、最後の一線を超えるのはまだまだ先になりそうだ。
性欲的な部分ではすでに陥落寸前でも、感情の砦は未だに健在。どんなに動揺しても、最終的には『コイツ犯罪上等のヤバい奴だし』と理性が踏みとどまってくれる。
現状ですらコレなのだから、もし悪い方向にエスカレートしたらと考えれば、興奮してようがすぐに『スンッ』となる。だからまだ大丈夫。
「──ままならないなぁ」
「え、何が?」
「……」
「あ、ゲームか」
周回のことである。思わず零れた失言は、ソシャゲを注視することでどうにか誤魔化せた。危ない危ない。
だが、ついつい失言してしまうぐらいには、口惜しい思いがあるのは事実。この恵まれた容姿のストーカーと、普通に出会っていたら。
──そうなれば、俺は大手を振ってコロッといけたのに。どうして理性が踏みとどまる形で出会ってしまったのかと、俺は心の内で嘆かずにはいられなかった。
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