第5話 シルキーなんて知らない
意識を研ぎ澄ませながら、玄関に入る。現時点では人影は見当たらない。とりあえず、初っ端から鉢合わせという展開ではないらしい。
ただ見知らぬ靴、それも女性物があったので、侵入者が件のストーカーであることはほぼ確定だろう。
「ふむ……」
我が家は廊下があるタイプのワンルームだ。そのため、玄関前の廊下にいないとなれば、相手の居場所は大まかに四つに絞られる。
トイレ、洗面所、洗面所の奥にある風呂、そして居住スペースだ。この中の何処かに相手は潜んでいる。なので慎重に候補を潰す。
徹底的に無視する方針ではあるが、やはり潜伏場所ぐらいは把握しておきたい。なけなしのリスクヘッジというやつだ。
あとはシンプルに、トイレや洗面所などに身を隠していてくれていれば、あっさりとご退去いただけるかもという希望的観測もある。
トイレ、洗面所、風呂は居住スペースより手前側にあるため、俺が奥にこもっていれば鉢合わせることなく、出ていくことが可能なのだ。
そういう意味でも、居場所の把握は必要だろう。なにせこのあとの方針に関わる。
「……」
とはいえ、馬鹿正直にガチャガチャ探すようなことはしない。それでは存在を確信しているということになり、徹底無視にはならないから。
なので行動としては自然に。その上で居住スペース以外を回る必要がある。
「それにしても、カメラはまだ仕掛けておくべきだったか……」
映像記録を確保できたからと、隠しカメラを撤去したのが仇となるとは。その都度映像を確認する作業を、余計な手間と判断するべきではなかった。もはやあとの祭りであるが。
とまあ、そんな後悔はさておき。まずはトイレからだ。荷物を廊下に置いて、自然な動作を意識して扉を開ける。
「……クリア」
いない。トイレには隠れる場所などないので、完全に候補から外す。
そうして用を足すフリをするために、一分ほど待機。その後、水を流してトイレから出る。
「足洗わなきゃなぁ」
次は洗面所と風呂場。探してないというアピールのために、独り言の体で呟いてみせる。もし居住スペースに潜んでいたのならば、逃走チャンスであることを伝える意味もある。
ということで、洗面所の扉を開ける。……いない。風呂場のほうも同様。風呂場の扉はシルエットが見えるタイプのやつなので、この時点で潜伏場所が居住スペースであることが判明する。
「残念」
内心、もし鉢合わせたらと想像してスリルを楽しんでいたのだが……。結果的には平和な形で事態が進行していることに、若干の肩透かしを感じる。
まあ、閉鎖空間で遭遇した際のストーカーの反応など、あくまで余興ようなものだ。なかったらなかったで、全然構わない。
なのでササッと切り替え風呂場に移動。シャワーの音を響かせつつ、不自然にならない程度の時間をかけて足を洗っていく。……ちなみに本当に洗っている理由は、これが帰宅した際の実際のルーティンだからである。
「……物音はなし、と」
ふむ。どうやらストーカーは脱出しなかったようだ。俺のアピールに気付かなかったか、それとも警戒しすぎて動けなかったかは不明だが。
あとはアレか。窓からすでに逃亡している可能性もあるか。……と言っても、ほぼゼロに近いだろうが。
なにせここは二階で、窓の外は砂利だ。靴が玄関に残っていた以上、裸足で飛び降りるのは現実的ではないだろう。
となると、やはりストーカーは居住スペースか。あそこもそこまで隠れるところはないからなぁ。
候補としては、クローゼットの中、ベットの中、ベットの下ぐらいか? ああでも、ベットの下は難しいか。収納用に何個かカラーボックスが突っ込んであるし。
「ま、見てから考えるか」
結局は扉を開ければ判明するのだ。長々と考え込むだけ時間の無駄だろう。
そうして再び廊下に戻り、居住スペースの扉を開ける。目に入ってきたのは、慣れ親しんだ我が家のレイアウト。
ただやはり、全体的に部屋が綺麗になっている。通学前に放置してた諸々が片付けられているので、例のごとくストーカーは自主的にシルキーとなっていたのだろう。
「……」
部屋を見渡す。パッと見では人影はなし。候補であったベット周りにも潜んでなさそう。
ならやはりクローゼットだろう。中は二段に別れていて、下段は部屋着用のカラーボックス。上段はジャケット類のみとなっているため、隠れやすさとしては上位。選択肢としてもポピュラーなものだ。
あと状況証拠として、若干だがクローゼットが開いている。元々閉まりきっていなかった可能性もあるが、覗き穴として意図的に隙間を開けていると考えるのが無難。
「さっさと部屋着になろ」
「──っ!?」
まあ、だからなんだって感じで、容赦なくクローゼットは開けるのだが。
「っ、あ、そのっ……!!」
そんなわけで、念願? 叶ってストーカーとの対面を果たしたわけだが、当の本人は可哀想なほどに狼狽えている模様。
まあ、こんな容赦なく開けられると思ってなかったのだろうし、当然と言えば当然か。
で、だ。こうして直に顔を合わせたことで、ようやくストーカーの詳細な容姿が判明した。
とりあえず特徴を挙げていくと、ウェーブの掛かった茶髪と、優しげな目元を持った美人。スタイルは……普通? スレンダーなわけでも、グラマラスってわけでもない感じ。
ただ、映像越しに抱いた印象は正しかったようで、全体的に大人しめというか、ふわっとした空気をまとっている。
優しくて、真面目で、控えめ。──言い換えれば、自己主張が弱く、思い込みが激しく、溜め込みやすい。そういうタイプじゃないかなと。じゃなきゃストーカー+不法侵入なんてやらんだろう。
「……」
ま、そんな第一印象はさておきだ。狼狽えているストーカーを無視して、身体を折って部屋着の収まっているカラーボックスに手を伸ばす。
「え、あの……?」
本来あるはずの反応が皆無だったからだろう。斜め上で身を縮こまらせているであろうストーカーが、盛大な疑問符を浮かべている気配がする。
が、それすら無視。そして考えるのは、先程の一瞬。無視という表現がギリギリ通用するレベルの時間で切り上げた、大まかな観察から弾き出された一つの結論。
──やっぱり誰よこの人。
「……」
まず案の定というべきか。俺の貧弱な対人記録の中に、彼女は存在していなかった。友人はもちろん、顔見知り程度の関係の中にも、該当する人物がいないのである。
それは当初の予想、バイト先の常連ですらないということでもある。
外見はどことなく既視感があるものの、それはあくまで『こんな女の人いるよね』程度のものであり、具体的な個人を連想させるものではない。
つまるところお手上げだ。誰なのか、何故俺なのか分からない。ありえないとは思っていたが、一方的な一目惚れの可能性すら出てきた。
「っ、あのっ──」
ストーカーが何かを言う前に、クローゼットの扉を閉める。
完全なる初対面が確定した現状、『who are you?』と訊ねてしまいたい衝動が湧き上がってきているが、それをするといままでの努力が水の泡。だからこそ堪えなければならない。
「……」
着ている服を適当に脱ぎ捨て、ラフな部屋着に着替えていく。……その途中、ちゃんと閉めたはずのクローゼットがわずかに開いていることに気付いたが、やはり無視する。
何度だって言おう。たとえ強い視線を感じたとしても、ここで反応したら水の泡である。そもそも見られて困るようなものでもない。
そんなことより、重要なことがある。相手の素性が『正体不明』と判明したことだ。
別に素性が割れたところで、どうこうするもりは最初からなかったが。それはそれとして、関わりが一切ないと分かったことは収穫だ。
関わりがないのならば、ストーカー中以外の状況で遭遇したとしても、対応を考えなくて良いというのは朗報だろう。
これが例えば、常連だったとしたらどうだ。実際、かなり困ったことになっていたのは目に見えている。バイト中に言及されたら無視は難しいし、かと言って対応するにしても何を話せとなるわけで。
ならば多少の不気味さはあっても、完全に関わりのない相手のほうが気は楽だ。……面倒が起きた際に、容赦なく切ることもできるし。
「液タブつけて、と」
パソコンの前に座り、お絵描きセットを起動する。そして液タブの脇にスマホを置けば、資料の確認をしながらクローゼットを視界に入れることができる。
あとはストーカーの出方次第。俺はただ、最近の趣味のイラストを飽きるまで続けるだけ。
「……お、お邪魔しましたぁ」
──結果、ストーカーは二時間ほど経ってから、おずおずと部屋から去っていった。
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