第8話 卒業パーティー②
グレーのフロックコートを着たアベル様が、赤いバラの花束を携えてやってきた。
町で会ったあと、わたくしはアベル様にブライト様との関係について話した。
求婚したいというアベル様の気持ちが本気だったかはわからなかったけれど、ブライト様のことを『未来の旦那様』と言った手前、きちんと説明したほうがいいと思ったからだ。
お父様のお友達で社交界デビューと同時に婚約する予定になっていることや、相手の都合もあって今はそれを公にできないことを話すと、アベル様は歳の離れた人と結婚することについて心配してくれた。
わたくしが何も心配ないことを伝えると、それ以降アベル様からお茶に誘われることもなくなり、今まで通り授業でペアを組むだけの関係に落ち着いた。
最初こそ別の人と組み直すことも考えたのだけれど、卒業試験が迫っていた時期に相手を変えたいと思う人がなかなかおらず、結局そのままアベル様と組んだままダンスの試験を受けて、ついでに卒業パーティーでのエスコートもお願いすることにしたのだ。
アベル様はわたくしを見つけてぱっと顔を輝かせると――すでにわたくしが花束を持っていることに気づいて眉を顰めた。
わたくしは一拍遅れてから、近くにいた侍女にブライト様からいただいた花束を渡して自分の手元を自由にした。
「い、いらっしゃいませ、アベル様。今日は宜しくお願いします」
カーテシーをしてニコリと微笑みかければ、アベル様はその整った顔に笑みを浮かべた。
「今日は一段と綺麗だね。まるで神話に出てくる月の女神のようだ。今宵、貴女をエスコートできるのがとても嬉しいよ」
普段から女性を口説いている方だけあって、歯の浮くような恥ずかしいセリフも様になっている。
さすがアベル様と思いながらバラの花束を受け取る。
そうしてアベル様はわたくしの後ろに立つお父様たちに目を向け、ブライト様を見て「あ」と小さく声を上げた。
それに気づいたお父様がブライト様に尋ねる。
「知り合いだったんですか?」
「前にセシリアと出かけたときにばったり会って……」
ブライト様の説明に、お父様は「ああ」と納得してアベル様に向き直った。視線を向けられたアベル様は、姿勢を正して胸に手を当てた。
「お初にお目にかかります。カーライン家の四男、アベル・カーラインと申します。バートル伯爵、お会いできて光栄です」
「ジルベルト・バートルです。そう固くならずに……セシリアから話は聞いています。在学中は娘の相手をしてくれてありがとうございました。今夜は宜しくお願いします」
アベル様のかしこまった自己紹介を受けて、お父様がにこやかに返す。
そうして顔を上げたアベル様は、お父様の隣に立つブライト様を見て笑顔のまま続けた。
「貴方もいらしてたんですね、セシリア嬢のおじさん」
「こないだは話の途中で悪かったね。それから言うのが遅くなって申し訳ないんだけど、僕は彼女のおじじゃなくて……」
「知ってますよ。ブライト・レイ様――――レイ家の方ですよね?」
アベル様がブライト様の名前を言い当て、小さく頭を下げた。
「あの時は
「いや、僕も親戚って言われたのに訂正しなかったから。それに関しては申し訳なかったね。今日はセシリアのこと頼んだよ」
「まかせてください。貴方と違って完璧にエスコートしてみせますよ」
にこやかだけど棘のある言い方に、わたくしは我慢ならなくなって「あれは」と口を挟んだ。
「あの時はわたくしが大人げなかっただけで――」
自分が悪かったのだと弁解しようとしたところで、ブライト様がわたくしの言葉を遮った。
「いや、彼の言う通りだよ。君を怒らせてしまったからね。ちゃんとエスコートできなかったと思われても仕方ないさ」
眉尻を下げて力なく笑うブライト様に、胸がズキンと痛んだ。
違う。わたくしが悪かったのに……。
いつもそうだ。ブライト様は昔から揉めそうな雰囲気になると、自分を下げることでその場を収めようとするところがあった。
今回だってわたくしがここで何も言わなければ話は終わったはずだった。でも、違うと言わずにはいられなかった。
「いいえ! ブライト様はエスコートしようとしてくださいましたわ! 逃げ出したのはわたくしですもの。ブライト様は悪くありません!」
「いいや、違うよ。逃げ出すような状況を作った僕が悪――」
「いいえ、違くありません! 悪かったのはあのスケスケなワンピースで」
「いやいや! あれは僕が悪かったんだって」
お互い譲らずに「いやいや」「いいえ」と応戦していると、ゴホンと咳払いが聞こえてきた。
はっとして視線を横にずらすと、お父様とお母様がとてもいい笑顔でこちらを見ていた。
「
「そのお話、私にも聞かせていただけるかしら」
あああああああ、マズい。マズいですわ!
はしたない格好ででかけたなんて知られたら、絶対に怒られるに決まってる。
わたくしは引きつった笑みを浮かべながら、アベル様の手をむんずと掴んだ。
「ホホホ……アベル様、そろそろ出かけないと間に合わなくなってしまいますわ」
「セシリア嬢?」
「さぁさぁ、まいりましょう!」
これ以上追及される前にと、この場から逃げ出すようにして馬車に乗りこんでしまう。
そのまま出発するかと思いきや、アベル様は一度馬車から下りてお父様と何か話してから戻ってきた。何を話していたのか尋ねると、アベル様は「ちょっと挨拶をね」とそれ以上なにも語ることはなく口の端を上げてみせた。
***
アベル様にエスコートされてパーティー会場である学園の講堂に入ると、すでに思い思いにドレスアップした卒業生や在学生が集まっていた。
学園長の祝辞が終わると優雅な音楽と共にパーティーが始まった。
基本的に自由に過ごしていいことになっているので、わたくしはアベル様と別れて親友のエルマー様とケーキを楽しむことにした。
「結局、例のおじさまとは会えましたの? 仲直りできましたの? 気持ちは伝えられましたの?」
オレンジの華やかなドレスを着こなしたエルマー様が、ミルフィーユを載せたお皿を片手に迫ってくる。あまりにぐいぐいくるものだから、思わず苦笑してしまった。
「もう、エルマー様いっぺんに聞きすぎです」
「だってしょうがないじゃない! 貴女、喧嘩したって言ってからずーーーっと悩んでいたでしょう? だから気になってしまって」
「うう……ご心配をおかけしました……でももう大丈夫ですわ。出かける前に少しだけお会いすることができて、帰るまで待っていてくれるって約束してくださいましたの。気持ちはその時に伝えるつもり」
「そう……やっとなのね――――ああ、どうしよう。考えたらわたくしのほうがドキドキしてきてしまったわ」
「ふふっ……どうしてエルマー様がドキドキなさるの?」
「どうしてって、これまでずっと貴女とおじさまのお話を聞いてきましたのよ。これがドキドキしないでいられると思って!?」
エルマー様は手にしていたお皿を置いて、わたくしの両手をすくいあげた。
「結婚式にはぜひ呼んでいただきたいわ!」
「エルマー様!? けけけ、結婚式だなんて、婚約もまだなのに気が早すぎませんか!?」
「あら、早くなんてなくてよ。関係が変わったらあっという間ですもの」
「そ、そんなものですか?」
「そういうものです」
エルマー様がしみじみと頷く。
彼女はデニス様と想いが通じるまで、長い間ずっと幼馴染みの間柄だった。それがお互いを異性として意識した途端、婚約の話が一気に進んだという。
婚約期間をどのくらい取るかは家によってそれぞれ違うけれど、お二人は学園を卒業して間を置かずに結婚することがすでに決まっている。
「ああ、もう! 貴女がこれからっていう時に卒業なんて……デニス様の領地が遠いのが悔やまれますわ」
「誰の領地が遠いって?」
不意に聞こえた声に振り返ると、デニス様とアベル様がこちらに向かって歩いてくるところだった。
エルマー様は「あらやだ、聞こえてましたの」と悪びれた様子もなく言い、デニス様はそれに気を悪くした様子もなく目を半眼にした。
「遠いって、お前のところも隣なんだから大して変わらないだろ」
「うちのほうがちょっとだけ王都に近くてよ!」
胸を張ってエルマー様が返す。
ちなみに国の中央にある王都から外側に向けて、エルマー様、デニス様、アベル様の家の領地がある。
領地が隣り合っていると言うこともあって、二つの領地に挟まれたデニス様はエルマー様ともアベル様とも子供の頃から仲良しなんだとか。
お二人の気安いやりとりを微笑ましく見ていたら、デニス様の隣にいたアベル様と目が合った。
彼も二人のやりとりには慣れた様子で、肩をすくめてみせるとわたくしのほうにやってきた。
「そろそろダンスが始まるから呼びに来たんだ」
「あら、もうそんな時間でしたのね」
「それでデニスの領地がどうしたって?」
「いえ、卒業したら領地に戻られるでしょう? だから今までみたいに毎日会って話せなくなりますわねって――エルマー様はわたくしのことを心配してくださっていたのですよ」
領地が遠いことを話していたわけじゃないと強調しておく。
アベル様は「確かに心配にもなるよな」と独り言ちるように言うと、こちらをじっと見つめてきた。
「ど、どうかされました?」
「いや……確かに毎日顔を合わせてたのに、明日からは会えなくなるなんて変な感じだなと思って。まぁ、社交シーズンになれば夜会で会う機会も増えるだろうけど」
「あー……わたくし、あまり夜会には出られないと思いますのよね」
「え? そうなのか?」
「ええ。ブライト様はあまり夜会に出られる方ではないから……彼が出ないのにわたくしだけ参加するわけにもいかないでしょう?」
大勢の人で賑わう場所が苦手だというブライト様はあまり夜会に参加されない。
別に婚約者が出席していないからといって夜会に出てはいけないというルールはないけれど、それでも毎回婚約者じゃない人と参加するのはよくないだろう。
夜会の雰囲気もお料理も好きだけど、そこは割り切っているつもりだ。
「それでいいのか?」と神妙な顔をするアベル様に、「仕方がありませんもの」と笑顔を返したところで、会場を流れる音楽がワルツに変わった。
ダンスの時間だ。
一曲目だけは卒業生が踊ることになっているので、わたくしたちも流れにのって中央のスペースへ向かう。
そうして一曲目を踊り終えると、在学生も交えて自由に踊っていいことになっている。
婚約者同士のエルマー様たちはもう一曲続けて踊るようだ。それを横目で見ながら隅にはけると、待っていましたとばかりに女の子たちがアベル様に群がった。
相変わらずアベル様はモテモテらしい。
アベル様と目が合ったので、にこやかに手を振ってエールを送ってみる。
どうやら話しかけてくれた順にダンスのお相手をするらしい。一番最初に話しかけた女の子とダンスに向かうアベル様の背中を見送っていると「セシリア嬢、よろしければ私と一曲踊っていただけませんか?」と、わたくしもダンスのお誘いを受けた。
学園最後の思い出にと言われてしまえば断るのも気が引けて、お相手することにした。もっと周りを見てから返事をするのだったと思ったのは、三回ほど相手を変えて踊り続けた後のことだった。
さすがにもうこれ以上は無理と思って、お手洗いに行くついでにバルコニーへと逃げたのだった。
***
春とはいえまだ寒いせいか、外には誰もいなかった。
たくさん踊ったせいか体はむしろ熱いくらいで、冷たい風が心地よかった。
風に乗って聞こえるワルツに耳を傾けていると、背後から近づいてくる気配があることに気づいた。
「セシリア嬢、こんなところにいたんだ」
声をかけてきたのはアベル様だった。
彼は両手にグラスを持ったままわたくしの隣まで来ると、淡い紫色の液体の入ったグラスを差し出した。
「喉乾いてないか?」と聞かれ、思い出したように喉の渇きを覚える。
そういえば休む間もなく踊りっぱなしで喉が渇いていたのよね。
ありがたく差し出されたグラスを受け取って口を近づけると、ほのかに葡萄の香りがした。乾いた喉が潤いを求めて、一気に呷って飲み干してしまう。
わたくしの飲みっぷりがよかったからか、アベル様は気安い口調で「
「も、もう十分です! ――でも、ありがとうございました。戻るとまたダンスに誘われそうだったから、飲み物を持ってきてくださって助かりましたわ」
「どういたしまして」
「アベル様はどうしてこちらに?」
「セシリア嬢と同じだよ。ダンスに疲れちゃって」
肩をすくめて言うアベル様に、わたくしは思わず苦笑してしまった。
確かにあの群がっていた女の子たち全員を相手にしたら身が持たないだろう。来る者拒まずなアベル様でも、あの人数を相手にするのは大変だったらしい。
疲れて逃げてきた者同士で夜風に当たっていると、バルコニーの欄干にもたれていたアベル様がぽつりと言った。
「卒業か……なんだかあっという間だったな」
「本当に……」
視線を外に向けたまましみじみ同意する。
講堂のバルコニーからは、学園の校舎や中庭が一望できた。長いようで短かった学園生活を振り返っていると、ふと月明かりに照らされた中庭の白いベンチが目に留まった。
「そういえば、アベル様と初めてお話しした時もこんな感じでしたわね」
当時を思い出してくすりと笑う。
ダンスやマナーなどの授業でペアを組むようになってしばらく経った頃、わたくしは一度ペアを組んだ方からつきまとわれてぐったりしていた。
教室から逃げて中庭のベンチで休んでいると、女の子の怒鳴り声と一緒にアベル様がビンタされているところが見えた。女の子はそのまま走り去ってしまったけれど、その時にうっかりアベル様と目が合ってしまったのよね。それがアベル様と話すきっかけだった。
話をしているうちにお互いまだ婚約者を作る気はないということを知って、だったら婚約者を作りたくない者同士ペアを組まないかと持ちかけられたのだ。
アベル様も同じことを思い出したのか、ふはっと笑った。その笑顔は先ほどお父様やブライト様に向けられたよそ行きのものではなく、十七歳の年相応のものだった。
「そうそう、お互いこんな感じだったよな。あの時はまさかセシリア嬢の婚約者を作らない理由が、非公式な婚約者がいるからだなんて思わなかったけど」
「だってお父様からブライト様とのことは口止めされていたんですもの」
「まぁ、口止めもするだろうさ……年頃の娘が二十も年上の男に嫁ぐなんて知られたら、どんな噂を立てられるかわかったもんじゃないし」
アベル様は一度言葉を切って、「なぁ、セシリア嬢」と続けた。
「前も聞いたけど、本当に結婚するつもりなのか?」
「え? ええ。まぁ、エルマー様とデニス様ほどすぐにではないとは思いますけど」
「嫌じゃないのか? 二十も年上だし、それに結婚したら自由に夜会も出れなくなるんだろ?」
アベル様は眉間にしわを寄せて本気で心配してくれているようだった。
わたくしはアベル様に大丈夫と微笑んでみせる。
「それくらいどうということはありませんわ。子供の頃から結婚すると思ってきたんですもの、嫌だなんて思ったことはありませんでしたわ――ああ、でも」
「でも?」
「夜会で女性に囲まれているアベル様をお目にかかれなくなるのは少し残念ですね」
冗談めかして言ったのに、アベル様は笑うどころか眉間のしわを深めて可哀想なものを見るような眼差しを向けてきた。
「アベルさま……?」
どうしてそんな顔をなさるの?
無意識に一歩後ろに下がろうとして、体がぐらりと揺らいだ。
倒れそうになった体をアベル様に支えられる。
「すみません」とお礼を言って体勢を立て直そうとしたのだけれど、どうにも体に力が入らない。そうしているうちに意識まで朦朧としてきた。
何かおかしい。
体の不調を訴えようとアベル様を見上げると、彼は相変わらず可哀想なものを見るような目でわたくしを見つめていた。
「大丈夫、貴女は俺が必ず助けてあげる」
どういうこと? と聞き返すこともままならず、わたくしはそのまま意識を手放してしまった。
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