第7話 卒業パーティー①
しっかり話し合うと決めたものの、ブライト様の仕事の関係で会って話すことができないまま学園卒業の日を迎えてしまった。
この国では十五歳から十八歳の間に社交界デビューをすることが多く、学園に通っている貴族の大多数は卒業後に社交界にデビューすることになっている。
わたくしも例に漏れず、学園を卒業したら社交界デビューする予定だ。
そして、その日こそが『約束』の期限だった。
ブライト様に約束のことで会って話がしたいと手紙を送ると、タイミング悪く仕事で都を離れていると返事があった。
手紙の最後に卒業式までには必ず会いに行くと書いてあったので、いつ会えるのかしらと指折り数えて待っていたのだけれど、ついぞ会えないまま卒業式の日を迎えてしまった。
結局会えませんでしたわね……。
しょんぼりした気持ちで卒業式を終え帰宅すると、ゆっくりする間もなく夕方から始まる卒業パーティーに向けて支度を始めなければならなかった。慌ただしくてブライト様のことを考えている余裕がなかったのは逆によかったのかもしれない。
支度が済んで鏡に全身を映してみる。
この日のためにあつらえた淡い緑色のドレスも結い上げられた髪も気合い十分なのに、鏡に映る自分だけがあまりにも憂かない顔をしていて苦笑してしまった。
ほら、笑わなきゃ。
これからお母様たちがいらっしゃるのに、こんな顔をしていたら心配させてしまいますわ。
化粧の施された両頬を指でツンツンして口角を上げる。
大丈夫。今までだってブライト様が会いに行くって言って来てくれなかったことはないもの。
今回だってお仕事が長引いているだけで、出かけるまでにはきっと来てくださいますわと自分に言い聞かせる。
お母様たちにドレスを見せて、出かけるまでの時間を家族ですごした。
そうしているうちにエスコートをお願いしたアベル様が迎えにくる時間になって、お父様とお母様はアベル様を出迎える準備をすると言って部屋を出ていった。ロベルトもやることがあるからと一緒に部屋を出ていってしまった。
一人になった部屋で夕焼けに染まった空を眺める。
しゃべっているときは気が紛れていたのに、一人になるとブライト様のことを考えてしまう。
来てくださいませんでしたわね……。
小さくため息をついたところで、ドアをノックする音が聞こえた。
アベル様が来たのだと思って返事をすると、息を切らした侍女が部屋に飛び込んできた。
「お嬢様っ! ブライト様がいらっしゃいましたっ!」
侍女の言葉に大きく目を見開いたわたくしは、勢いよく立ち上がるやいなや、弾かれたように部屋を飛び出した。
ブライト様が来てくれた、それだけのことで今までのしょぼくれた気持ちがぱっと明るくなった。我ながら単純だと思う。
はやる気持ちを抑えきれず廊下を走る。エントランスに続く階段に差しかかるとブライト様の姿が見えた。
「ブライト様!」
足元の見えないドレスは歩きにくいことこの上ない。
裾を上げて感覚だけで階段を駆け下りれば、慌てた様子のブライト様が駆け寄ってくる。
「セシリア、危ないよ!」
「心配しすぎですわ。だいじょう――――ぁっ!」
階段の段差を踏み外すのと同時にぐらりと体が傾く。
一瞬の出来事なのに、すごくゆっくりと感じられた。
駆け寄ってくるブライト様が、手にしていた花束を放り投げて両手を広げた。
衝撃とともに広げられた腕に抱きとめられ、勢い余ってブライト様が尻もちをついてしまう。
ややあって、ブライト様がふーっと安堵の息をついた。
「まったく……君は相変わらずそそっかしいね」
すぐ耳元でブライト様の声が聞こえる。
不意の出来事に状況を理解できない。
硬直していると、背中に回されたブライト様の手がゆっくりと離れていく気配がして、わたくしは咄嗟に彼の背中に手を回してぎゅ―――っと抱きしめた。
「セシリア……」
困惑したような声に、自分が無意識のうちにブライト様に抱きついてしまっていたことに気づいた。
すぐに離れようとしたけど、続けて頭を優しくなでられる感覚がして、そのまま動けなくなってしまう。
「もう大丈夫」
幼子をあやすような優しい声音は、わたくしが子供の頃何度も聞いたものと同じ響きだった。
転んで泣いている時、駄々をこねて我が儘を言ってしまった時、ブライト様は頭や背中をなでながら優しく声をかけてくれた。
階段から落ちて怖がっていると思われたのかもしれない。
相変わらずの子ども扱いだけれど、今はそれがとても心地よくて、それならいっそ勘違いしたままでいてもらおうと、離そうとした手でブライト様の体をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
子供のように抱きつけば、一度離れた彼の手が背中を優しくなでてくれた。
やっぱりブライト様が好き。
心の中が好きという気持ちでいっぱいになる。
そうしてしばらくそのままでいると、離れたところからお父様とお母様の声が聞こえた。
「セシリア! ブライト! 何事ですか!?」
「どうしましたの!?」
その声に、ブライト様の手が離れていく。一足早く立ち上がった彼が、わたくしの手を掴んで立ち上がるのを手伝ってくれた。
「怪我はない?」
「はい、大丈夫ですわ」
わたくしの返事に、ブライト様がほっとしたような表情を浮かべる。
そうしているうちにお父様とお母様もエントランスにやってきた。
わたくしが階段から落ちてブライト様に助けてもらったことを知ると、お父様もお母様もまず怪我の有無を心配して、続いて抱きとめてくれたブライト様にお礼を言った。
お母様からもう少しお淑やかにしなさいとお小言をもらっていると、ブライト様が少し離れたところに落ちていた花束を拾って戻ってきた。
先ほどわたくしを助けようとして放り投げた花束だった。幸い花束は落とす前と遜色は見られなかったのに、落としてしまったものを渡すわけにはいかないと引っこめようとしたので、そんなのもったいないと首を左右に振って両手を前に差し出した。
「わたくしのために持ってきてくださったのでしょう?」
だから落としてしまったものでもかまわないと言外に伝えると、ブライト様はわたくしの大好きな優しい笑みを浮かべて、「卒業おめでとう、セシリア」と花束を渡してくれた。
お花はやっぱりいつもと同じ黄色とオレンジのガーベラだった。
ブライト様から貰えるのならばどんなお花だって嬉しいのだけれど、やっぱり意味があるように思えてならなくて、今日こそはと思い切って聞いてみることにした。
「あの……ずっとお聞きしたかったのですけど」
「ん?」
「どうしていつもガーベラなのですか?」
「え? どうしてって、昔あげた時にすごく喜んでくれてたからだけど……いつも同じ花は嫌だった?」
考える様子もなく、すごくあっさりと答えが返ってきた。
あまりのあっさりさにこちらの方が困惑してしまう。
「いえ、嫌ではありませんでしたけど…………えっと、それだけ?」
「何が?」
きょとんと首を傾げたブライト様からは他意は感じられない。
花言葉とか、思っていることを暗に伝えるとか――花束ってもっとロマンチックなものだと思っていたのだけれど。
肩透かしを食らった気分でいると、お母様がくすくす笑って「昔ね」と話しだした。
「貴女が小さい頃、風邪を引いた時にブライト様がお見舞いにこのお花をもってきてくださったの。貴女はすごく喜んでいたのだけれど、枯れてしまった時にすごく泣いて熱をぶり返したのですよ――――それからでしたわよね、ブライト様が決まって黄色のガーベラを持ってきてくださるようになったのは」
「え……?」
まったく記憶にない。
本当に? とお母様に目を向けると、お母様はにこにこと笑みを浮かべたまま「貴女は小さかったから」と言った。
長年あれこれ考えていたことが、あっさり判明した瞬間だった。
なんてことのない理由だったのがおかしくて、ふふっと笑ってしまった。
そんなわたくしを見て、さらに首を傾げるブライト様。
あの時も、その時も、わたくしが喜ぶと思って同じお花を贈り続けてくれていたのだとわかって、心の中が温かくなる。
ああ、やっぱりどうしようもなくこの人が大好き。
だからこそきちんと話し合わなければ。
わたくしが約束の話をしたいと申し出ると、ブライト様はわかっているというふうに頷いた。
「セシリア、僕は――」
ブライト様が口を開くのと同時に、馬の嘶きが聞こえてきた。
どうやらアベル様がいらっしゃったらしい。
ああ、もう! どうしてよりにもよって今いらっしゃるの!!
完全に話すタイミングを逸してしまいがっくりと項垂れていると、ブライト様はわたくしがパーティーから帰ってくるまで待っていると約束してくれた。
本当は今すぐにでも話したかったけれど、こんな慌ただしい状況で話をして途中でうやむやになってしまう事態は避けたかった。それよりは多少遅れてもしっかり最後まで話し合えたほうがいい。
今さら数時間遅れたところでどうということはないと、内心そわそわして落ち着かない自分に言い聞かせた。
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