最終話

 4階。宴会場で奏太と糜爛糜爛の剣戟が響く。

 血で濡れた幼虫頭には、糸で止血を施している。

 奏太は菊池とのやりとりを思い出していた。あの時、ナイフを相手にしていた。今は化け物の刀を相手にしている。だが、糜爛糜爛の動きの方がより洗練されていた。左右の刀は攻防を一体にしており、隙がない。奏太はこの化け物がただ刀の形に糸を変えているのではないと分かった。

 そしてなによりも……。

 幼虫頭が伸びる。大顎が奏太の首元を掠めた。大顎は第三の武器だった。

 糜爛糜爛が縦斬りを連続で振り下ろす。奏太は鉈の背を使っていなした。ホウヤとの訓練で覚えていた。

 奏太は頭を後ろに傾け、勢いをつけた。幼虫頭に仏像の頭をぶつける。

「砕頭をやったから私にも勝てると?」

 糸は形を変える。刀身が伸びる。奏太の肩を獣が噛み付いたような傷ができた。糜爛糜爛の刀には細かな突起を纏わせていた。

「シッ!」

 糜爛糜爛がスーツのジャケットをはためかせる。空気が弾けるような音とともに、刀の柄がぶつかる。顔面が爆ぜるような感覚が奏太を襲う。身体が吹き飛ぶ。宴会場の椅子を破壊して壁にぶつかった。

 奏太が上体を起こす。糜爛糜爛が飛び上がり、刀を振り下ろした。衝撃で床が軋む。

 奏太が鉈で首を狙う。糜爛糜爛が刀で受ける。互いの顔が数センチのところまで近づいた。

「外能ホウヤに痛めつけられたのになぜそこまで私たちを殺そうとする」

「元はと言えばお前らが来たのが悪い……」

「レムはそう思っていないようだ」

「殺す……」

 奏太は鉈の背に手をかけ、力を込める。刃同士が擦れる。

 糜爛糜爛の顎が奏太の頭を掴んだ。ぎちぎちと万力のように締めた。被っている砕頭の頭が音を立てる。破壊されれば奏太の頭も噛み砕かれてしまう。それまでに決着をつけなければならない。

 鈍い音が砕頭の頭から聞こえた。

 奏太は足元を見た。糜爛糜爛の後ろにワイヤーが光っている。ホウヤの仕掛けた罠のひとつだった。頭が割れるか奏太が押し切るかだった。力が拮抗する。

 宴会場の穴から叫び声がした。脳を擦るような不快な声だ。ホウヤが円の脛を破壊した時だった。

 僅かな意識の間隙を奏太は逃さなかった。足を踏み、押し込む。

 ワイヤーが外れる音がした。糜爛糜爛の足首へ太いワイヤーが締まり、バネの力で引き上げられた。

 糜爛糜爛が宙吊りになる。

 奏太は鉈を胴に叩き込む。顎の力が強まった。視界が赤くなり頭蓋が軋む。生温かい血液が仮面を満たした。刀が奏太の右腕の肉に食らいつく。鉈が糜爛糜爛を断ち切るか、顎と刀が奏太を食い尽くすかの争いだった。

「「令嬢」はどこにいる……」

 肉に刀身が捩じ込まれる。糸が電動鋸のように蠢き肉を引き裂く。奏太は鉈を振りかぶり何度も叩きつけた。糜爛糜爛のスーツが裂ける。半透明の白い肌に傷がついた。

「どこにいる」

 鉈から伝わる柔らかい感触。奏太は痛みを振り切って腕の力全てに注いでいた。刃が内臓に届いたのを確信する。

 暗い穴の底で濡れた木板を破るような音が響く。それに続き、フレイルの鎖が擦れる音がした。

「円! ああ!」

 糜爛糜爛が叫んだ。直感でホウヤが勝ったと分かったのだ。

 不意に奏太の首に腕がかかる。甘い香りに覚えがあった。「令嬢」──戻夢だった。

「奏太くん」

 糜爛糜爛が奏太の腕を切り落とそうとする。奏太と異形の幼虫の血が腕を伝って入り混じる。

 戻夢が幼虫頭を見る。血で濡れた頭の宝石が戻夢の顔を映し出す。

「奏太くんを殺すの?」

「……殺す」

「だめよ」

「彼はレムも殺そうとしている」

「それでもだめ」

「なぜ!」

「奏太くんはもっと強くなれるから。砕頭を殺せるくらいになってる」

「そんな……!」

 糜爛糜爛の力が弛む。奏太が腹に鉈を刺す。柄を右足で蹴り、腹に鉈を沈ませる。裸足に肉の柔らかさを感じた。もう一度蹴る。鉈が腹部を貫通した。

 糜爛糜爛が首を激しく横にふり、叫び声をあげた。奏太から顎が外れる。仏像の頭がひび割れ、奏太の右眼があらわになった。血がまつ毛を濡らす。奏太の眼には打ちのめすべき異形しか映っていなかった。

 奏太は拳で糜爛糜爛の頭を殴った。頭の宝石を狙って拳を振るう。石の硬さが骨に響いた。割れるか分からない。ただ、殴りつづけた。全て忘れてしまいたかった。何もなくなったこの場所で殴り続けていたかった。

 無心に拳を叩きつける。拳の感覚がなくなってくる。糜爛糜爛の顎が小刻みに震えた。痛みを感じるのだろう。

 奏太は首を掴んで引き寄せる。

「教えろ。どうやってお前たちはここまで来た」

「私たちが歩く道は夢を見た人間に続く……」

「じいちゃんについてきたのか」

「餌を撒けば魚は食いつく。レムを見つけるためだ……」

「彼女になぜそこまで執着する」

「何度も死ぬ姿を見た……それが美しかったから……」

 奏太は拳を交互に振る。宝石にひびが入った。さらに打ち続けると、細かい破片になって砕け散った。糜爛糜爛の身体が痙攣して力を失った。

「もういい」

 振り上げた拳が止まる。振り返るとホウヤが奏太の腕を掴んでいた。

「死んでいる」

 奏太が腕を振りほどこうとする。万力のような握力だった。

 ホウヤが戻夢を見る。

「もう一度頭を砕く」

 奏太が首を振る。

「地獄の使者を呼び寄せた人間を生かしてはおけない」

「それなら……俺も殺してくれ」

 奏太はホウヤを見た。奏太は思い出していた。明晰夢の見方を藤田たちに教えてもらったときだ。

「夢の中で砕頭に学校で追いかけられた。俺は逃げたくて白はぎにじいちゃんに助けてもらうよう願ったんだ。そうしたら……、夢でじいちゃんの家に飛んだ。砕頭はそれで標的をじいちゃんにすり替えたんだ」

 ホウヤが考えを振り払うように頭を振る。そして、奏太の頭を両手で掴み顔を見た。

「お前が生きていればそれでいい」

 ホウヤは戻夢に歩み寄る。

 戻夢が吹き飛んだ。ホウヤが彼女の顔面を張った。

「迷惑だ」

 ホウヤは戻夢を殺すつもりだった。自分と奏太を地獄に引き摺り込んだことは許せなかった。

 奏太が間に割り込んだ。

 ホウヤと奏太が対峙する。目が合う。

「じいちゃん……ごめん」

 奏太にとってどちらの選択も痛みを伴う。だが、再び「令嬢」を何もせずに殺すのは許せなかった。

「「令嬢」を地獄に連れて行く」

 それはホウヤとの訣別でもあった。奏太は戻夢を誰にも会わない場所に連れて行き、人を死なせないようにしたかった。

「残念だ」

 ホウヤが言った瞬間、ホウヤの右拳が奏太の顔面を捉えていた。

「……!」

 ホウヤが拳を離す。奏太が吐き出すと、白い歯が転がった。

「……俺はもう殴らないよ」

 ホウヤが目を見開いた。

 ──人を殴らない。

 かつてホウヤが言った三つのやってはいけないことを奏太は再び実行していた。

「……行け」

 ホウヤは背を向ける。

 奏太は戻夢と宴会場を出る。最後に振り返った。ホウヤの背中を見た。筋肉に覆われた広い背中だった。白いタンクトップが宵闇に溶けるのを拒んでいた。

 奏太と戻夢が外に出ると、紫色の空に星が姿を見せはじめていた。

「起きたか」

 彼女は笑っていた。

 彼女は壊れている。奏太はそう思った。無自覚に人を破滅させる。このまま放っておけば、さらに大きな厄災を引き起こすだろう。

 誰もいない伯希町を歩く。静けさは夜になるにつれ深まっていく。

 死んだ町をふたりきりで歩く。ぺたぺたと裸足で歩く音がした。

「こっちでいいのか」

 戻夢が取り出したのは、石の欠片だ。糜爛糜爛の宝石だった。夜見坂の方に掲げると、ひとすじの光を放った。

 奏太と戻夢は夜見坂を見上げる。誰もいない死に場所を目指し、ふたりは登りはじめる。


【了】

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