第28話

「よそ見なんてできるかしら!」

 黒い岩塊がヘッドライトを割った。白い刃がホウヤの背中を引き裂いた。お化けホテルが近づく。ホウヤはブレーキを思いっきりかける。円たちから距離を引き離す。

 ぎゃりぎゃりとタイヤが悲鳴をあげる。後輪が浮いてバイクは横倒しになる。一歩間違えば、道路に身体が激突する。バイクが火花をあげながら滑る。ホウヤは足を潰されないよう車体の上に乗る。一瞬、バイクがスノーボードのようになった。ホウヤの並外れた筋力が生んだ芸当だ。

 地獄の使者の反撃は早かった。

 轟音の後に、ホウヤの体は宙に浮いていた。肩にノコギリ状の糸の塊が突き刺さる。視界の端で糜爛糜爛が大顎を開いていた。地面がホウヤを傷だらけにする。砂粒ひとつひとつがホウヤの体に食い込む。痛みが全身を包んでいたが、思考は回り続けていた。再びホウヤは立ち上がった。糸の刀がホウヤの進みを阻む。糜爛糜爛と円が迫る。

 ホウヤはお化けホテルに入った。よろめきながらロビーに倒れる。痛みが身体を蝕んでいた。

 掌を開いて閉じる。まだ動く。ホウヤは立ち上がり逃げる。室内は薄暗く埃を被っていた。動くと埃がキラキラと輝いた。

「ずいぶんと頑張るじゃない」

 入り口で円が爪を鳴らす。

「どこから捥ぎましょうか。右腕? この町の子はみんな痛がっていたわ。男の子も女の子も。次はもっと強くなる。何事も経験ね」

「円。いけない。レムと戻るのだからすぐに終わらせましょう」

 糜爛糜爛が刀を二振り編み上げる。糸であるにも関わらず、きぃんと冷たい音を響かせた。

 ホウヤは階段を上がる。手すりで身体を引き上げる。2階は客室の扉が並んでいる。照明がなく洞窟のような陰気さがある。

 廊下まで歩くと、ホウヤは振り向いた。

「ここでお前たちを殺す……。絶対に」

「ほほ」

「痛めつけて死ぬのを後悔させる……」

 糜爛糜爛がゆっくりと近づく。先に駆けてきたのは円だった。

 ホウヤが背を向けて走る。暗闇でも足取りは確かだった。円が壁を引っ掻きながら追い詰める。

「お待ちなさいな! お待ちなさいな!」

 ワイヤーの外れる音がした。円は気がつかなかった。

 追いすがる円の前に、天井から板がスイングしてきた。あらかじめホウヤが設置した罠だった。板には研いだ木の杭をつけ、端にダンベルをつけることで遠心力を高めている。

 紙袋を潰すような音が円の顔からした。

「ほほ……ほほほ……ほほほほ!」

 顔のない円の顔面は黒い血で濡れていた。円は笑った。

 廊下は狭い。円を足止めすることで、糜爛糜爛の進みも止まった。

「俺はお前たちを殺す」

 ホウヤは背後の壁の一部を剥がす。壁に仕舞われていたフレイルを取り外していた。そのまま、再び背を向けて走った。向かう先には非常口があった。すり抜け、階段を上がる。目指すのは4階だった。

 円の笑い声がこだまする。耳を聾する不快な音だった。

 次に響いたのは銃声だった。ホウヤが非常口に仕掛けたガントラップが作動した。ワイヤーをトリガーにして、バネが縮むことで引金が引かれる仕掛けになっていた。

「いいじゃない! いいじゃない!」

 円が叫び声をあげる。地獄の再来だった。

 ホウヤは駆け上がり、4階の非常口を開ける。廊下に進んで罠に円を誘う。

「いくらやっても無駄だわ」

 円は頭の半分が消し飛んでいた。動きは鈍っていなかった。板のトラップが頭を狙って作動した。それよりも速く爪が罠を裂いていた。最後は自分の力で殺すしかなかった。

 罠が目隠しになった隙に、ホウヤがフレイルを取り出す。鉄製の棒同士に鎖を繋いだ自作の武器だった。

 フレイルがしなる。円の膝を打つ。鎖がうねり、顎を打ち上げる。すぐさまホウヤはナイフを引き出す。脚に刺したナイフを縦に引く。肉を裂く音とともに赤い血が流れ出した。円が体勢を崩す。後頭部が見えた。ホウヤの筋肉が収縮する。フレイルで円を殴打する。獣は脳天よりも後頭部を打つことで意識を失わせられる。円も例外ではない。半分なくなった頭から肉の潰れる音がした。

「ほほ……ほ」

 円の右手が伸びた。ホウヤの頭を掴む。軽々とホウヤを持ち上げ、床に叩きつけた。

「千年負け続けた奴が調子に乗るんじゃないわよ!」

 びりびりと身体が痺れる。頭をかろうじて守ったが衝撃を受け止めきれなかった。円がホウヤに追撃をかける。爪での連撃。古びたカーペットを破り、コンクリートが砕けて煙を上げる。風化した床は脆く崩れかけていた。円の爪が引っかかり、わずかに遅れる。

 円の胸を蹴る。たたらを踏み、円が距離を離す。ホウヤは催事室を目指す。

 目の前には糜爛糜爛がいた。背後には円。前には糜爛糜爛。挟み撃ちの形になっていた。

「続きを……」

 言葉を続ける前に、糜爛糜爛の首から血が噴き出した。

 糜爛糜爛の背後には異形がいた。見間違えようのない仏像の顔は砕頭のものだ。荒い息遣いが聞こえた。

 砕頭を被った奏太だった。痛みは奏太の暴力性を狂わせていた。糜爛糜爛が振り向きざまに奏太を殴った。

 ホウヤが糜爛糜爛に走る。円が追いかける。地面に設置したワイヤーを切り、罠を作動させる。天井にくくりつけた3台のネイルガンが音を立てた。釘が円の肩に刺さる。

 ホウヤが糜爛糜爛の背中に飛ぶ。右手に握ったナイフを脳天に刺した。幼虫の顎がホウヤの左腕に食らいつく。ホウヤは血に濡れる左腕を巻きつけ、糜爛糜爛の胸に何度も刃を突き立てる。

 顎を振り、糜爛糜爛はホウヤを投げる。顎を開いた。起き上がる奏太に向けて糸の弾丸を撃った。

 投げ飛ばされたホウヤは宴会場の扉を背中で破った。勢いよく床に転がり土埃が舞う。両脚で勢いを殺す。背後には大穴が開いていた。奏太が以前落ちた場所だ。

 ホウヤが立ち上がろうとしたとき、円が目の前にいた。ホウヤの腹には腕が貫通していた。

「あんたは私が殺すの」

 ホウヤが血を吐く。一瞬の判断。ホウヤは動く右腕で円を掴み、重心を後ろに持っていった。ホウヤと円は穴の中に落ちる。暗く深い闇へ吸い込まれていく。何秒間だろうか。落下している間も円とホウヤは殴り合っていた。

 コンクリートを砕きながらふたりの獣は床に叩きつけられる。ホウヤの異常に発達した僧帽筋と胸鎖乳突筋が落下の衝撃を和らげた。

「第二ラウンドよ」

 円が飛んだ。罠で空いた顔面の穴が笑ったように見えた。両爪がホウヤの頭に振り下ろされる。

 ホウヤはフレイルで爪を弾いた。一際大きい火花が出る。一撃が重かった。ホウヤはもう一方の棒を操り、円の足を穿つ。

 足を不能にしてしまえば、獣であろうと自由はきかない。千年で考え出したことの一つだ。

 円の異常なタフネスを前にしても変わらなかった。痛みに強いならそれを逆手に取るしかない。脚を潰して自由を奪う。

 鉄塊のフレイルは遠心力とホウヤの腕力で砕けないものがなくなっていた。円の脛を的確に破壊する。爪で反撃しようとするが、ホウヤがナイフを心臓に突き立てるのが速かった。

 円の絶叫が鼓膜を震わせる。膝から下が動かなくなっていた。円がホウヤを見上げる。

「私がお前に負けると思って……?」

 ホウヤはフレイルを束ねる。2本の鉄棒を円の顔面に開いた穴に刺した。

「お前の負けだ」

 二つの棒を左右に引き離す。円の頭がふたつに割れた。中から黒い塊が溢れでた。髪の毛を丸めたような小さなそれは、下水のような汚臭を放っていた。

 どこまでも異形の生態は分からない。

 ホウヤはブクブクと泡立つそれを握り潰した。

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