第27話
ホウヤはシボレーのアクセルを全力で踏んでいた。家が立ち並ぶ路地を駆け抜け、農道に出た。前方には黒いバイクが2台走る。右側の円が髪を靡かせながらホウヤを振り返る。
「ほほほほ!」
脳を締め上げるような高音だった。昂った笑い声が町に響く。それを聞くのはホウヤと路上に転がる死体たちだけだ。円たちが加速する。
ホウヤはアクセルを踏む。シボレーが限界まで速度を上げる。だが、死体を避けて距離が縮まらない。
糜爛糜爛が合図をする。円が片手をあげ突然、方向転換をした。前進するシボレーと逆方向に走り出す。彼らはホウヤの走りを嘲笑っていた。
ホウヤは無理矢理ハンドルを切ろうとする。横転したバイクをかろうじて避ける。ブレーキが悲鳴を上げる。車体が滑りながら畑に落ちた。勢いで額を打った。視界が歪む。ふらつきながらホウヤが運転席から出る。
「ねぇ。ホウヤさん」
畑は道よりも低い位置にあった。見上げると歩道に戻夢が立っていた。
「奏太くんをください」
「死ぬがいいな?」
ホウヤが言った。
隣で円がけたけたと笑った。
横に控える糜爛糜爛に戻夢が語りかけた。幼虫頭が震える。ホウヤは何かを察知して転がる。畑の土が抉れた。顔をあげると円が目の前にいた。黒い髪を振り乱し、爪で斬る。わずかに距離を離しきれなかった。ホウヤの胸が血で染まった。気を逸らしている時間はなかった。砲弾が肩の肉を削ぐ。糜爛糜爛の顎が開き、煙をあげていた。
「ホウヤさん。あなたが強くなったのはみんなのお陰でしょう?」
「違う」
ホウヤが円の爪を弾く。懐から取り出したトロフィーのナイフが閃く。
「お前たちの頭をぶち割るためだ」
金属音が連続する。様々な赤が散っていた。夕暮れの赤、屋台が燃える赤、ホウヤが流す血の赤、得物が散らす火花の赤。目鼻のない顔で円が笑った。ホウヤは明らかに動きが洗練されていた。幾度となく地獄で屠られた男は現実でその力を目覚めさせつつあった。
「奏太くんが来る前にやっちゃって」
戻夢はため息を吐いて言った。糜爛糜爛が指を鳴らす。ホウヤの背後が騒めいた。脚に丸太のような幼虫が噛みつく。円の右蹴りが脇腹を狙う。ホウヤは咄嗟に腕で受ける。軽トラックがぶつかったような衝撃でホウヤは吹き飛ばされた。シボレーのドアが受け止める。円の追撃は止まらない。宙に飛び上がり、爪で貫こうとする。ホウヤは身体を起こせなかった。脚が痺れている。左腕で爪を受けた。肉が切れ、ぼとぼとと血がタンクトップを濡らす。唇を噛む。
「貘虫が噛みついた部位は眠ります」
糜爛糜爛が歩み寄ってきた。手には刀を模した糸の塊を手にしていた。
目の前の円が力を強める。腕が使い物にならなくなる前に、ホウヤは自分の足にナイフを突き立てた。
「起きろ……!」
神経が目を覚ます。ホウヤは足を屈めて円を蹴る。再び距離を取った。
貘虫が畑から次々と湧き出す。ホウヤの前に地獄が顔をもたげる。
「殺し終わるまで待ってる」
「あと2分よ。レムちゃん」
「まだまだあなたは成長できそうだ」
ホウヤに糜爛糜爛が嘯いた。顎を鳴らすのはホウヤを蹂躙した記憶を思い出したからだろうか。
「知ってるか」
ホウヤは後ずさりながら言った。
「伯希町には昔、花火工場があった……」
戻夢は首を傾げる。ホウヤは構わず続けた。
「俺は地獄から戻ってきて夜な夜なこの町を探索した。お前たちを心からもてなすために……。これもそうさ」
ホウヤは後ろへ全力で駆ける。円たちが事態を理解しようと隙ができた。
異形たちの隣にあったシボレーが爆発した。黒い爆炎が空にあがる。ベアリングの球がプレハブ小屋を蜂の巣にする。ホウヤの手には携帯電話が握られていた。
「千年も暇をくれたお返しだ」
貘虫たちは火だるまになって仰向けで悶えている。
「お前……やってくれたね」
円の髪の毛が燃え落ちた。焼け爛れた赤い皮膚が見えた。
糜爛糜爛は炎上する糸の盾を手放した。その足取りは変わらない。
「畑に入るのが悪い」
携帯を投げ捨てホウヤはそのまま農道に出た。横倒しのバイクがあった。死体をどかしバイクを起こした。エンジンが爆音を立てる。奏太が気がかりだった。夜見坂を目指すか。それとも……。
後ろからエンジン音が轟き、2台のバイクが距離を詰める。黒い影のようなボディに棘があしらわれたデザインだった。そのマシンを駆り、糜爛糜爛が刀を抜いている。
異形は自分の手で始末しなければならない。
ホウヤはギアチェンジをして加速させる。円の乗った一台が左から迫ってきた。戻夢は糜爛糜爛の方に乗っているようだった。
金のナイフを握る。円の爪が首を裂こうとする。金属同士が弾きあい火花が散った。ホウヤのバイクの体勢が崩れかけた。
「ほほほ!」
円のバイクが加速する。ホウヤの2メートル先を行った。円の爪が黒く変わる。振り向き、地面に擦り付きそうなほど顔を近づけた。爪をかち上げる。アスファルトがアイスクリームのように捲れた。
アスファルトの散弾だった。ホウヤは右に体重をずらす。目の前に突き出される白い刀身。糜爛糜爛のバイクが右についていた。ホウヤは空中にナイフを投げ、右手に移す。糜爛糜爛の刺突は脇腹、首を執拗に狙う。黒い礫が襲う。拳ほどの塊がホウヤの額にぶつかった。額から流れる血を振り払い、刺突を弾く。その間にも、円は散弾を撒きつづけた。時間が伸びたような感覚だ。実際には数十秒ほどもない攻防が何分にも感じられた。
死体と廃車が転がる道を走り続ける。聞こえるのはエンジン音と刃がぶつかる音だけだった。
──あと少しだ
ホウヤの行く先にお化けホテルが見えてきた。
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