第26話
──二◯XX年九月
ゔおんゔおんゔおおおおん
バイクは消火器の爆発を抜け、ホウヤに迫った。
「どいていろッ!」
ホウヤが猟銃の引鉄を再び引く。左端にいた円に照準を合わせていた。銃声が響く。頭蓋骨が飛び散った。発砲に合わせて戻夢の父親の首を投げていた。
「残念!」
円が叫ぶ。バイクは奏太たちの頭上を飛び越える。同時に鎖が火花を散らして地を這い、飛んだ。向かう先は奏太の首だった。咄嗟に奏太は腰を落とした。ホウヤの膂力から繰り出される一撃よりも鎖は遅かった。
バイクがタイヤを軋ませて着地する。一瞬で右端、糜爛糜爛のバイクの後ろに「令嬢」が乗っていた。
「レム。久しぶりですね」
糜爛糜爛は背後に乗る戻夢を見た。首を蠕動させて喜んでいるように見えた。
「この町のみんなにもおまじないをあげてくれたのね。私がみんなを呼んだの」
「どうして」
「痛いから人生は辛いの。怖いから痛いの。昔から夢にみんなが出てくると私にいっぱい痛みをくれた」
砕頭と糜爛糜爛と円は嬉しそうに笑った。
「そうするとね、現実では痛くないの。怖くなくなるの。一生分の痛みを夢でもらうと何があっても怖くなくなる」
「それをこの町にも……?」
「そう。巫弓ちゃんを覚えてる? あの子ね。私が一度挨拶をしたらずっと付いてきたの。巳月公園で一緒にお話したり、巫弓ちゃんと探検したり……。きっと私のことが大好きだったんだと思う。でも、私は何も感じなかった。だから、巫弓ちゃんは悲しそうにしてた。お化けホテルで思い詰めちゃうくらい……。私がもっと前からみんなを呼べば解決する話だったのに。先延ばしにしたせいね……」
奏太は戻夢の考えを聞くしかなかった。
「……篠田や他の奴らが悲しくならないように全員殺したのか?」
「死んでしまっても大丈夫よ。糜爛糜爛はね、どんな怪我でも治してくれるんだから。また治して痛みを与える。全部の悲しみと痛みを経験すればみんな悲しくならずに、」
銃声が轟いた。ホウヤの放った銃弾は「令嬢」──戻夢の頭を撃ち砕いた。
「奴らに耳を貸すな」
頭蓋骨の破片が道を汚す。
ホウヤがリロードする。早くも戻夢の頭蓋骨は元の形を取り戻しつつあった。糜爛糜爛の抱える生首が青白い光を放つ。飛び散った肉片が頰をかたどる。戻夢は無表情だった。
「天狗岩に行ったのも七つ口を呼んだのも楽しかったよ。それは本当。だけどね、怖いことと痛いことは楽しいだけじゃ塗りつぶせないの。自分の想像できない痛みでしか悲しみは塗りつぶせないんだ。奏太くん。私たちと行こう?」
「それはできない」
「……そう」
そっけなく戻夢は返事をした。
「じゃあ、私も行くね。夢に帰らないと」
バイクが唸りをあげる。バイクが方向転換をして走り出す。同時に、銃声が鳴った。
「あああ〜」
砕頭の触手が散弾で穴だらけになっていた。再び銃声がする。糜爛糜爛の抱えた生首が消し飛ぶ。
「生きて帰れると思うな」
生首がなければ糜爛糜爛が傷を癒すことはできない。危機を察知した異形たちは逃げ出そうとする。
ホウヤは早かった。アクセルで加速するのが遅れた砕頭に掴みかかる。虎だ。虎の狩りだった。奏太が気づいた時にはホウヤは砕頭に馬乗りになっていた。銃床で砕頭の後頭部を殴りつけていた。仏像の頭から鈍い音がする。
「いたくねぇいたくねぇ」
「逃げられると思ったのか」
砕頭が触手をホウヤに巻き付ける。ホウヤは構わず両手で掴んだ銃床を杵のごとく叩きつけた。
「こわくもなんともねぇぞ」
太い血管の浮き出た腕が砕頭の頭頂部に届く。
「これでも怖くないな」
ホウヤの懐から取り出されたのは金属片だった。金色に鈍く光り、異様な形をしている。
「これが何か分かるか。奏太が小さい頃かけっこで獲ったトロフィーだ。研いで紙も切れるようにした。お前は外能一家の怒りを存分に味わうんだ」
砕頭の頭にホウヤ腕が捩じ込まれる。中でぶちぶちと繊維が切れる音がした。砕頭が細かく痙攣し始めた。仏像の表面に赤黒い液体が伝う。
「いいか、奏太。奴らに弱みを見せるな。一欠片も優しさはいらない。殺せ」
砕頭から脳幹ごと灰色の脳が抜き出された。ホウヤに絡まっていた触手が力なく剥がれ落ちた。
奏太はホウヤの狩りを見続けていた。夕焼けの赤さはホウヤの怒りを表していた。
「俺は奴らを追う」
ホウヤはそう言って坂を登る。すぐにシボレーが坂を下ってきた。蔵が焼けてしまっても車は無事だったようだ。
「もしものためだ。研いである」
ホウヤが奏太の足元に剥き出しの鉈を落とした。庭の木の伐採に使っていたものだった。
タイヤが悲鳴をあげ、全速力で道を走りだす。殺戮のあった町で誰もスピードを咎めるものはいなかった。
エンジンの音が遠ざかると静寂が訪れた。
奏太と砕頭だけが残った。血の中に仏の顔が浮かぶ。脇には潰れかけた梨のように脳が転がっている。
奏太は空を見上げた。先程よりも赤さを増しているように思えた。夢か現実か分からなくなりそうな景色だった。
じゃりん
横たわる異形の肉塊はまだ動きを止めていなかった。鎖を痙攣させながら這わせている。脳を拾おうとしていた。
奏太が鎖を踏んだ。足の裏に口が噛み付く。
人を殴らない。人を笑わない。人を覗かない。いつかのホウヤの言葉を思い出す。全て破ってしまったから罰されたのか。戯れに彼らは殺しにきたのか。
「令嬢」は奏太とのひと時を愉しいと言った。ただそれだけだった。彼女はバイクに乗って消えてしまった。ホウヤも行ってしまった。
また、俺は見てるだけだった。ざわざわと小山の葉が揺れる。
奏太は脳を拾う。ずっしりと重く、生温かい。鎖が奏太の足をどけようともがいた。奏太は足をどかし、鎖に脳を渡した。ゆっくりと灰色の塊に巻きつく。脳はそのまま頭頂部に運ばれる。
「へ、へ、はへ」
ごぼごぼと音をたてて砕頭が立ち上がる。
「おまえ、ばかだな。紙くずみたいにちぎってやる」
太い腕に触手を巻きつけ、歪な肉の瘤がうねっていた。アスファルトに手をつくと土のように抉った。
奏太は「令嬢」に会いたかった。初めてあった時のように嘘っぱちだと言って欲しかった。
「夢だ」
奏太は右の拳を振る。硬い音がした。砕頭は首を傾げる。
「わはは!」
砕頭が触手の塊で薙ぎ払う。でたらめな軌道に周囲の木々が巻き込まれる。奏太は身を屈める。奏太は鉈を拾う。砕頭が腕を振り切ったところで鉈を振りかぶる。右肩に刃が食い込む。
「俺が殺してやる……!」
奏太は必死だった。腕を振り上げて下ろす。振り上げ、下ろす。何度も繰り返して腕の骨が見えた。砕頭が叫ぶ。左腕による薙ぎ払いが奏太にぶつかる。衝撃で身体が爆発したように感じた。軽々と吹き飛ばされる。身体が坂を転がり落ちる。右肩が痛んだ。奏太は右腕を見る。齧られた傷が斑点状にできていた。
「たべあきた!」
左脚を踏み込む動作。奏太は右に体をずらす。避けた場所へ砕頭が腕を叩き下ろした。相手がどう動くのか注視するのが癖になっていた。砕頭は死にかけだった。奏太のいる場所に両手を叩き込む。地面が揺れる。奏太は走り込み、砕頭の首に鉈を叩きつける。刃が血で鈍く光る。
的確に弱点を狙った。奏太の膂力では骨までは切り落とせなかった。
触手と仏像の継ぎ目に食い込むように棟を左手で押さえる。噴き出る血が顔を濡らす。目を閉じるな。叫び声に耳を塞ぐな。迸る血潮を飲み込め。
「殺る」
見てるだけは嫌だった。ホウヤも彼女も行ってしまうのなら俺も踏み出そう。
「いやだぁ! いやだぁぁぁ!」
砕頭が叫ぶと体勢を崩した。奏太は機を逃さなかった。仰向けになった砕頭の首に鉈を刺す。奏太は足を持ち上げ、思い切り踵を下ろした。鉈の背が押されて刃が腱をちぎる。何度も踵を落とす。肉の潰れる音の後に固い感触があった。砕頭の腕が暴れる。まだ生きている。再び奏太は足をめり込ませた。
おおおおおおぉおお……
絶叫ともつかない断末魔が砕頭から漏れた。
骨の断ち切れる感触がすると、ようやく動きが止まった。奏太はTシャツの裾で顔を拭った。自分の汗と返り血で濡れていた。
目の前の異形はまだうめき声をあげていた。
すかさず生き返る前に砕頭から脳を引き摺り出す。踏みつけると脳は音を立てて潰れた。念入りに小さな塊を見つけては踵で潰した。
ホウヤが殺した砕頭を再び殺した。奏太の中でわだかまっていた無力さが溶けていく。
奏太は砕頭の喉から鉈を抜き取った。仏は穏やかな表情を血で染めていた。自分からホウヤと戻夢を奪ったと思うと怒りで満たされた。力いっぱいに砕頭の頭を踏みつける。足の裏の皮がめくれる。だが、それでいい。痛みは自分自身を進化させるのだから。
砕頭の右眼が陥没した。奏太は壊れた右眼に手を突っ込んだ。内側から中身を掻き出す。まだ温かい組織を首の切り口から引き摺り出した。
「はあ……はあ……はあ……」
身体が熱かった。九月の肌寒さは内側から溢れる怒りと殺意で消え失せていた。町に残っているのは死だけだった。
奏太は中身をくり抜いた砕頭の頭を被る。異形のマスクは奏太に力を宿した。ゆっくりと坂を下りる。
奏太は耳を澄ませる。エンジンの音を求めて彷徨った。
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