第18話
土曜日になった。
早めに朝食を済ませ、作業着に着替える。奏太は久しぶりに倉庫から自転車を運び出した。
インゲンを収穫するためだ。ホウヤの代わりに取らなければいけない気がした。
自転車には埃が被っていたが、まだ乗れそうだった。タイヤに空気を入れる。
「おはよう。奏太くん」
「おはようございます」
夜見坂のおばさんが様子を見に来た。
「本当にひとりで大丈夫?」
「はい。元々はじいちゃんもひとりでやってましたから」
奏太はそう言いながら準備をする。汚れてもいいリュックを背負う。自転車のカゴにはホウヤが収穫に使っていたビニールバッグを押し込む。
「気をつけてね。何かあったらすぐに言って」
「はい、いってきます」
奏太がペダルをこぎ出すとぎいぎい、と鳴った。
ホウヤとシボレーで通った道は完璧に覚えていた。坂を越えて下り坂を走るのは気持ちが良い。変速器で速度が増していく。自転車通学になったらどんなに楽だろう。
農道を走っていく。風が心地良い。畑は青々と作物が成長していた。
自転車を停めてプレハブ小屋を開ける。こもった熱気が顔を撫で、ホウヤの病室が頭をよぎった。
今は収穫に集中しないと。
長靴を履き、いつも使う麦わら帽子をかぶる。収穫物を入れるカゴを持てば準備万端だ。
インゲンの畑はしばらく見ないうちに大きな葉をつけていた。近づくと葉の陰にカメムシがいた。
葉をかき分ける。大きな鞘がなっていた。奏太は鞘の上を切ってカゴに入れる。あまり小さいもの以外はカゴに入れる。
インゲンは豆が大きくなりすぎる前に取る。ホウヤの言葉を思い出した。
あっという間にカゴがいっぱいになる。ビニールバッグに移す。黙々と作業を続けられる点で、収穫は漢字練習と似ていた。鞘を取り、バッグへ入れる。虫食いは程度がひどければ捨てる。豆がスカスカな鞘も同様だ。
インゲンの重さで、豆の入り具合や芋虫に食われてないかがホウヤには分かったらしい。
いつも収穫を競争すると奏太は負けた。
腰を伸ばすように背中を反らせると太陽の光が目に沁みた。
気がつけば二時間ほど、とり続けていた。四つ持ってきたビニールバッグはもう満杯になりかけていた。
一度休憩をとるため、プレハブに戻った。奏太は財布を取り、自動販売機がある歩道の反対側へ向かう。奏太は品揃えを見てサイダーを選んだ。
サイダーのキャップをつまんで、体温でぬるくならないようにする。
プレハブに着き、中のベンチでキャップを開ける。ペットボトルを傾け、炭酸で喉を潤す。
噛むようにしてサイダーを飲む。ぷはっと息が漏れる音が室内に響いた。
ひとりだった。
窓から農道を走る車を見る。タイヤが擦れる音まで聞こえてきそうだった。ホウヤが隣にいないだけで世界の音が大きくなった。
サイダーを飲み干し、作業を再開した。インゲンの枝の処理に奏太はとりかかった。普段はホウヤがやる仕事だった。小さい鞘や実のない鞘がついた枝を一輪車で運び、畑の隅にまとめる。往復するたびに腕が重くなった。
太陽が中天に昇っている。日差しが奏太を照りつける。
枝を処理し終わると、作業着が汗でびっしょりと濡れていた。このまま座れば眠ってしまいそうだ。自動販売機でもう一本お茶を買い足した。奏太は立ちながら、持ってきたおにぎりを頬張る。塩気をお茶で飲みくだす。
「さて、もう少し」
奏太は自分に発破をかける。インゲンの入ったビニールバッグを持つ。疲れた体には堪える重さだった。なんとか四つ持とうとしたが、諦めてふたつにした。ビニールバッグのひとつを肩にかける。もうひとつはカゴに入れ、自転車を押した。
行きの倍以上は時間がかかった。
夜見坂に差し掛かり、奏太は初めて急勾配を呪った。
「ふうっ」
奏太は息を吐き、自転車を押す。腕にインゲンとアルミフレームの重さがのしかかった。疲れた体を強引に動かす。気を抜けば下に転がってしまいそうだった。
なんとか坂の上に着く。
「大丈夫?」
夜見坂のおばさんがいた。
「重たそうじゃない」
そう言ってビニールバッグを自分の肩にかけた。
「大型犬くらい重たいわ」
収穫物の重みがなくなると、いくらか疲れが和らいだ。おばさんの好意に甘んじ、奏太は頭を下げた。
蔵にインゲンを運ぶ。土を払ってから袋詰めで保存するのがホウヤのやり方だった。
「やっぱり車いるんじゃない?」
奏太は夜見坂のおばさんの申し出をことわった。ホウヤが作った収穫物は、自分が面倒を見なければならない。一度そう思ってしまうと変えられなかった。
洗面台で顔を洗い、新しいタオルを首にかける。汗で濡れたタオルを洗濯機にいれるついでに水を一杯飲んだ。
夜見坂のおばさんは相変わらず心配してくれていた。おばさんは「夕食くらい作らせてね」と言った。これまでも何度かお世話になっていたため、奏太はありがたく作ってもらうことにした。
再び自転車を漕ぎだす。スピードが上がらない。体重をかけてペダルを踏んでいく。農道を進み、畑に戻る。ビニールバッグを担ぐ肩を替えないと痛くてしかたなかった。
インゲンを運び終え、家に着いた。想像以上に時間がかかった。沈んだ太陽が空を赤紫色にしていた。
やっとのことで奏太がビニールバッグを蔵に下ろすと手が震えた。逆上がりをしすぎたときみたいだった。
居間には書き置きがこたつ机に置いてあった。夜見坂のおばさんの字でインゲンの味噌炒めを冷蔵庫に入れておいた旨が書いてあった。
奏太が冷蔵庫を開けると、タッパーが入っていた。蓋には今日の日付が書かれていた。
タッパーの中身を皿に出す。味噌が絡んだインゲンと鷹の爪が転がり出た。
試しに口に入れてみた。濃い味付けだ。疲れた体が喜んだ。もう一口食べる。空腹には足りなかった。皿を傾け、平らげようとする。口いっぱいにインゲンを噛み締める。じゃくじゃくと繊維を噛み切る。良い歯ごたえだった。舌に絡むものがあった。噛み切ろうとしてもうまくいかない。飲み込むのを断念して歯に挟まったそれを指で摘んだ。口の中から万国旗のように長い糸が出てきた。味噌にまみれた糸は黒く細長い。それは女の髪の毛だった。一本取ってもまだ奥歯に違和感が残った。洗面台の鏡の前で奏太は口を開けた。
奥歯にはぐるぐると髪が巻きついていた。ごわごわとした舌触り。遠くからだと太く切った昆布が張り付いているように見える。
歯を爪で擦りながら嗚咽した。奏太は剥ぎ取った。洗面台に水を流すと髪の毛が黒い渦となって消えた。吐き気を催して奏太はトイレに駆け込んだ。
夜見坂のおばさんがなぜ。意図が奏太には分からなかった。
居間に戻る。他に何か細工されていないか見回す。タッパーの中を捨てた。すると、光るものがあった。
ゴミ箱をあさると、インゲンと味噌の間に鎖のようなものが入っていた。奏太はそれを洗う。
手の中には「令嬢」のネックレスがあった。夜見坂のおばさんは「令嬢」と会っていたことに気づいていた。
惑星のモチーフが蛍光灯を鈍く反射していた。
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