第13話

「弁当もったか」

「うん」

「傘は」

「持った持った」

「よし、いってらっしゃい」

「いってきます」

 奏太はホウヤに手を振り、家を出た。今日は水曜日だった。朝から雨が降っている。体育は屋内でバスケか卓球かもしれない。数ヶ月続いた奇妙な出来事をよそに奏太はぼんやり思った。

 夜見坂を歩く。水はけが悪いため、雨が坂に沿って流れている。

 奏太は滑らないよう足元を見て歩いていた。

「おはよう」

 顔を上げると斎藤紀一が立っていた。

 背の高い彼は坂の上に立つとより迫力を増していた。

 斎藤は背の高さを買われてバスケ部に入っていた。朝練で早く登校するため、坂を通ることはまずなかった。

「驚かせてすまん……。お前、大丈夫か」

「最近寝つきが悪いんだ。で、なんだよ」

「あれからちゃんと話出来てなかったからさ。傷は?」

 お化けホテルの一件の後、話すのは久しぶりだった。

「おかげさまでこの通り」

「そうか……」

 斎藤は元々、陽気な人柄ではない。その斎藤の陰が深まったように感じた。

「お前の方が大丈夫じゃなさそうだ」

 斎藤は曖昧に笑った。雨音が大きく感じる。

「笑わないで聞いてくれ」と前置いて斎藤は話す。

「……外能は変な夢って見ないか?」

 奏太は斎藤をじっと見た。

「俺さ、お化けホテルに行った後から、おかしな夢にうなされるんだ」

 車が雨を弾きながら横切っていく。

 斎藤の夢はこうだった。

 目を開けると赤い大地に立っていた。ふらふらあてもなく歩いていると突然地鳴りがした。地面が割れる。地中から十字架が現れる。

「そこに「令嬢」が磔にされていたんだ」

 呆気に取られていると、後ろから風が吹いた。風を切る音が耳元でうるさかったのだという。

「正体は風じゃなかった。無数の矢が空気を切り裂く音だった」

 斎藤を通り抜け「令嬢」に矢が突き立っていく。「令嬢」の傷から血が滲み出る。十字架を赤く濡らす。

「藤田と双葉にも話した。細部は違ったけど、ふたりとも同じ夢を見ていた。それで夢の最後は」

「女の声がした……」

 奏太がつぶやく。斎藤の語る夢は奏太が見た夢と酷似していた。

「お前もだったか。その後も変な夢って見ないか?」

「さあ、分からない」

「俺はたまに見るんだ。決まって「令嬢」が出てくる。俺は狼みたいな獣になって爪でずたずたに彼女を引き裂くんだよ」

 斎藤の声は震えていた。

「病院で診てもらったか?」

「言えないよ。母さんに知られたら部活も休まされる」

「「令嬢」には」

 斎藤が奏太の質問に眉を寄せる。

「お前の夢を見たって言うのか?」

 校門を抜ける。奏太は少しだけ安心した。「令嬢」が自分以外と話す姿を想像したくなかった。廊下を歩く足が少しだけ軽くなった。

「ああ……今日の放課後って空いてるか?」

「空いてるよ」

「ちょっと残ってほしいんだ」

 斎藤はそう言って教室の戸を開いた。

 奏太は席にカバンを置いた。「令嬢」はいつものように席で読書をしている。スカイブルーの生地に白いレースの施されたワンピースを着ていた。肩の白いフリルが動くたびに揺れる。

 ふと、視界の端で揺れるものがあった。

 藤田が手招きをしている。斎藤にも目配せをしていた。奏太はあまり気乗りがしなかった。藤田はいつものように薄笑いを顔に張り付けていた。

「紀一、外能。とっておきの話だ」

「なんだよ」

 奏太はつっけんどんに返す。

「冷たいな。命の恩人だぜ」

「早く言えって」

「今日、角田を見たんだ。農道の歩道に立ってた」

 奏太が退院してから、角田はよく休んでいた。

 学校に来ても今までとは違い、取り巻きはいなかった。

「ひどく思いつめてる感じだった。俺の予想じゃ車を待っていたんだ。気持ちが整ったら飛び込むつもりだったのさ」

 藤田が言葉を継いだ。

「そうなっても変じゃない。そもそも奴が篠田を殺したんだ。家に警察が来たのを見たって母さんも言ってた」

 お化けホテルの一件のあと、奏太は藤田たちに菊池の話をしていた。

「スマホに写真もあるのにまだ捕まっていないのはなんでだろうな」

 藤田が言った。

「さあ、警察の考えは分からない」

「角田のやつ、車に飛び込んでチャラにしようと考えてるなら相当いってるな」

「藤田は何もしなかったのかよ」

「俺が出来ることなんて何もない。お前や紀一たちに話して消費するだけだ」

 藤田は口角を吊り上げて笑う。斎藤は愛想笑いを返した。奏太は笑う気になれなかった。

「須山はどうしてるんだろうな」

 斎藤が話題を変えた。篠田殺しの自白をしてから、未だに学校に来ていなかった。

「坪井が何度か行ってるみたいだ。プリント持ってったり様子を聞いたり……。効果はなさそうだけど」

「須山が角田と会ったりは」

「そんな話は聞かないね」

 須山の独白を奏太は思い出す。「令嬢」を殺しかけていた奴らがどうなろうと自業自得だと思った。

 考え直すほど篠田の死は歪な形をしていた。須山と菊池の角田への好意。篠田と角田の関係。そして、「令嬢」。線が絡まり合って不安定な狂気が周りを飛び回っている。お化けホテルの一件で歪んだクラスの関係は、さらに変形していくように思えた。

 チャイムが鳴った。クラスメイトが席に戻っていく。双葉がギリギリで教室に着いていた。

「じゃあまた」

 斎藤と奏太も席につく。机の上に折り畳まれた紙が置いてあった。開いてみると、小さく丸い字で三桁の数字が二つ並んでいる。紙片の右下には渦巻きのマークがあった。

 坪井先生が教室の扉を開けた。


 雨が窓を打つ音が大きい。

 二時間目が終わった。休憩時間に奏太は図書館に来ていた。館内の生徒はまばらだった。

 司書の先生は貸し出した本を書棚に整理している最中だった。

「この番号の本ってありますか」

 奏太は紙片に書かれた文字列を見せる。二つの三桁の数字は、蔵書の背ラベルを意味していた。

 待っていると司書の先生から一冊の本を手渡された。表紙には『伯希町伝承集成』とあった。扉絵に版画で田園風景が描かれている。

 奏太は紙片にあった渦巻きのマークをもう一度見る。カタツムリのようなデザインだ。白はぎを表すサインだった。「令嬢」は伝承をもっと調べたいのだろう。

 奏太は空いている椅子に座る。ページをめくると古書の匂いがした。

 内容は伯希町の紹介、土地の成り立ちと続き、伝承が書かれていた。透け地蔵の話も載っていた。


  「“透け地蔵“を見つければ、見つけた者に幸運をもたらすとされる。巳月神社に古くから“透け地蔵“があると言われている。宮司は否定しているが、1600年代の『井原家叢録』には目撃談が記載されている。以下はその現代語訳である。」


 「令嬢」とホウヤが言う通り、伝承は本当に存在していた。叢録の記述に目を通す。


  「……むつが笑いながら帰ってきた。神社で地蔵さまが光ってたと言った。」


 井原家は庄屋を営んでいる傍ら、日記をつけていたようだった。この年の年貢の上がりは上々だったらしい。翌年の記述を読む。


  「……夜半どきになっても、むつは帰ってこなかった。組頭と村総出で探しても見つからなかった。夜に火だるまになる夢を見た。……朝になってむつは蔵の裏に座っていた。むつの手は水飴で汚れていた。」


 おそろしい夢を井原家でも見ていたようだ。斎藤との朝の会話との不気味な一致があった。結びつけてしまいそうになる気持ちを抑える。

 透け地蔵とお化けホテルは関係ない。ましてや地蔵と夢についても因果関係があるわけではなかった。それでも、透け地蔵を潰した感覚が蘇った。粘液がついている気がして手をズボンで拭いた。

 奏太は索引を開き、白はぎの欄を探した。

 何度探しても本にはなかった。

 ページをめくっていると予鈴が鳴った。

 奏太は探すのを諦め、本を借りた。教室に戻ろうとする。同じように図書館から出てくる生徒がいた。

 藤田が走って行った。手には本を抱えていた。

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