第8話

 中学校には校門が二つある。奏太が普段使う方とは逆の校門から出ると農道が続いている。南に歩けば駅に着く。須山の家は北方向、新興住宅地が広がる一角にあった。

 一階がグレーで二階が白で塗られたツートーンの家だった。まだ出来て間もないからか、壁は綺麗で雨や雪での黒ずみがない。屋根は記号のスラッシュような形でホウヤの家と比べて格好良く見えた。

「どうぞ」

 須山が招きいれる。普段使わない洗剤の香りだ。知らない家特有の匂いがした。

 奏太は二階の須山の部屋に通された。整理整頓された綺麗な部屋だ。青いベッドシーツはシワなく整えられている。箪笥の上にはサッカーボールが飾ってあった。

「それ、兄貴のやつ」

 須山が補足する。

「サッカーやってたんだ」

「高校までな。今は東京の大学に通ってるからいないけど」

「へえ」

 しばらく沈黙が続いた。

 どのように振る舞えばいいのか。奏太の頭の中は回転していた。須山は角田と「令嬢」をいじめていた男だ。須山の背は奏太と同じ170cmほどだった。太めの眉に短く刈り上げた頭。肌は日焼けで浅黒く、頬には大きめのニキビができていた。何も知らなければ、実直そうに見える。角田とつるんでいるとは考えられない。

 ため息を吐きたい気分だった。奏太は自分の判断を後悔し始めていた。

 思い立ったように須山が部屋から出る。一階から「お茶かコーラどっちがいい」と聞こえてきた。

 須山が二階に戻る。ポテトチップスの袋を脇に抱え、コーラとお茶のグラスを両手に持っていた。

「適当に座ってくれ」

 須山も胡座をかき、床にグラスを置いた。

「なんで俺を呼んだんだよ」

「お前に聞いてほしい話がある」

 ほとんど話したことがないのに何を話すというのか。奏太は身構える。須山の顔に陰りが差した。

「まず。「令嬢」についてどこまで知ってる?」

「え……」

「必要なことなんだ。話してくれないか」

 奏太は「令嬢」が人殺しである噂、岸本の証言について話した。

「角田については?」

「何も」

「訊き方が悪かったな。外能は角田をどう思う?」

「最悪だ。「令嬢」が反抗しないからってやりすぎだ」

 奏太は思ったままに言った。

「そうだろうな」と須山は短く息を吐いた。

「側から見ればそうだろう。でもな、外能。食べ物を口に入れなきゃ味がわからないように、当事者にならないと見えないものもあるんだ」

 詭弁だ。奏太が口を挟もうとするのを遮り、須山は話し続ける。

「角田はあの時、本気で蹴っていた。今でも音が頭から離れないくらいだ。なのに「令嬢」が無傷なのは何故だ?」

「何が言いたいんだよ」

 須山がスマートフォンを取り出し、菊池の動画を再生した。奏太は咄嗟に目を逸らす。視界の端で、「令嬢」の顔にローファーがめり込むのが見えた。

「もう十回は見た。「令嬢」は人間じゃないんだ。相手の暴力を一手に引き受けて暴走させる存在だと思う。俺はあの場にいて恐ろしかったよ。奴は人形じゃない。本当に殴ったら唇や頬が歪む」

「人間だからだろ。……お前おかしいよ」

 スマートフォンから角田の荒い息遣いと菊池の笑い、殴打がループされる。奏太が立ち上がった。

「おい、どこ行くんだ」

「帰る。来るんじゃなかった」

「待てって。本題を話させてくれ」

 そう言って須山が腕を掴んだ。力が強い。強引に座らされた。

 須山は真っ直ぐ奏太を見て言った。

「俺なんだよ。俺が巫弓を殺したんだ」

 自信のある口ぶりとは裏腹に、須山の顔は青白かった。奏太の中で疑問が湧きあがる。

「岸本の話はどうなる」

「嘘だ。俺がそう話すように仕向けた」

「信じられないな」

「信じてもらうしかない」

 須山がコーラを一口口に含む。

「そもそもだ。岸本がお化けホテルにひとりで行くはずがない。あそこは小学校で不審者の溜まり場と何度も注意していただろ。日中、学生が歩いていれば学校へ連絡がいく。別の場所で殺す必要があったんだ。巳月公園なら昼間でも人気がない。それに、角田たちと何度も来てたから篠田に怪しまれずに誘えた」

「それはおかしい。篠田の死体はお化けホテルの前で見つかった」

「ホテル前で、だろ? 外能は落下するところを見たのか? 別に他の場所で始末して運んでも辻褄は合う。俺はあの日、篠田を公園の石で殴った。後ろから五回。確実にな」

「動機がない」

「それならある。角田と篠田は付き合っていた」

 知らない事実が次々に現れて奏太の頭は沸騰しそうだった。見慣れた教室が仄暗い混沌に姿を変えていく。

「ふたりが公園で手を繋いでいるところも見た。それ以上のことも……。この家に来る前は、橋の近くに俺たちは住んでいた。篠田の家が見えるところだった。地獄だったよ。俺の幼馴染が角田と家で遊んでるのを見るのは……」

 話を区切り、ポテトチップスをつまむ。咀嚼音がやけに大きく聞こえる。

「気が狂いそうだった。学校でも通学路でも楽しそうに話しかけてくるんだ。俺と角田がいる前でも巫弓は普段と変わらなかった。日常を壊さないように、俺を傷つけないようにする優しさが辛かった。中学でも同じ苦しみが続くんだ。怖かった。だから」

「殺したのか」

「違う」

 須山が頬のニキビを掻きむしる。

「告白したんだ。巳月公園の大きな木の下で。巫弓はそれを……それを受け入れやがった」

 べりべりと皮膚を掻く音がうるさかった。須山の指先には血が滲み、傷口から白い液体が漏れ出している。

「打ち明けなかった! 最後まで俺に角田がいることを謝らなかった。あいつは角田も俺も取ろうとする浅ましい女にすぎなかった」

 妄言だ。そう言えればよかったが、奏太は聞くだけしか出来なかった。須山には口を挟ませない迫力があった。

「俺は拾った石で殴った。頭がへこむまで殴った。そこに「令嬢」がやって来た。夜中に薮から現れて俺は肝を冷やしたが、彼女は血まみれの巫弓と俺を一瞥して公園を出て行こうとした」

「令嬢」の反応が想像できた。

「俺は追いかけた。持っていた石で一撃。「令嬢」は倒れた。だけど……もう分かるだろう?」

 倒れた「令嬢」が起き上がる。こちらを無表情で振り向く姿まで想像がついた。

「あの時に「令嬢」は化け物だと確信した。犯人に仕立て上げるにはうってつけだ」

「令嬢」であれば一言も喋らず、罪を被ったままでいるだろう。

 気が狂いそうなのは奏太の方だった。

「なんでこんなことを俺に?」

 須山は唇を歪める。

「最後に誰かに聞いてほしかった。俺だけで持っているには重いからな。それに。お前は「令嬢」を見ていたからだ。何もせずに眺めているだけの外能は俺に似てる」

 ようやく奏太は須山の家を出た。晴れていた空は灰色に曇り、ポツポツと雨が降り始めていた。

 須山が折り畳み傘を渡してきた。奏太は固辞する。

「須山。お前、最低だよ」

 言葉が自分に返ってきたような気がした。

「外能、お前も変な奴だ。普通の奴はのこのこ来て、最後までいない」

「お前とは会わない」

 奏太は来た道を帰ろうとする。その背中に須山が呼びかけた。

「夢でな、啓示を受けたんだ」

「何……?」

「「令嬢」が何度も殺される夢だよ。それを見て奴に疑問を持ったんだ」

「夢は夢でしかない」

「そうともいえない。感触がある夢で現実そのものだった……篠田を殺すなんて「令嬢」がやるには小さすぎる」

「……」

 振り返れば須山がまだ見ている気がした。足早に農道を歩く。

 夜見坂とは逆方向から家に向かっていた。途中でゴミ捨て場を通った。普段は閉められている金網戸が開いていた。そのままにしておくのは気持ちが悪かった。奏太が閉める。ゴミ袋が雨に濡れている。その中の一つに目が行った。

 ポリ袋の中にさつまいもが捨てられていた。夜見坂のおばさんにあげたホウヤのものだった。

 雨は激しさを増し、家に帰り着く頃には足元がびっしょりと濡れていた。久しぶりの雨で体の芯まで冷えている。須山の取り憑かれたような眼を思い出すたびに震えがひどくなった。

 藤田、角田、岸本、須山。言っていることがてんでバラバラだった。

 俺は一体何を見ているのだろう。知っている町が突如知らない顔を見せたような気分だ。

 考えを落ち着かせるには暖かい風呂とホウヤのご飯が必要だった

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