第7話

「はじめてじゃないか? 彼女が一方的に殴られるなんて」

 昼休みになって斎藤紀一が切り出す。

 奏太たちの話題は自然と「令嬢」の話になった。つまらない授業概要の説明より、午前中の角田と「令嬢」の方が興味があった。

「ああ。角田は完全にキレちまってた。奴の眼、見たか。刺しちまいそうだった」

「相当篠田が好きだったんだな。仇討ちが始まるぜ」

 藤田が薄笑いを張りつかせる。

「令嬢の態度も中々のもんだった。俺は今回で確信した。マジモンの人殺しだ」

 斎藤が同意を求めるように奏太を見た。

「双葉。お前はどう思う?」

 仕方なく奏太は水を向ける。双葉恭平はほとんど考えを訊いても、のらりくらりと煙にまいてしまう男だ。この男に話を回して話題を変えよう。

 双葉はしばらく黙っていた。水筒を傾けて喉を潤す。奏太たちは言葉を待っていた。

 何も話さない。

 双葉は箸を一本つまみ、空の弁当箱に立たせた。箸をつまんだ指を離す。箸はバランスを失う。弁当箱から箸が落ちる。そう思った時、弁当箱の縁を箸が滑った。机に落ちず箸は弁当箱に収まったままだった。

「……思うに、令嬢は無実だよ」

 双葉がはっきりと言った。

「なんでだよ」

「今、「箸が弁当箱から出るかどうか」試した。出たら彼女はクロと決めてだ。結果はこの通り」

「まぐれだ」

「そうかな?」

 双葉はもう一度箸を転がす。同じ結果だった。もう一度。箸が弁当箱から出ることはなかった。

 弁当箱に箸が転がっているだけだ。それでも、双葉の言葉にいやに納得してしまう。奏太たちを動揺させるには十分だった。

「それじゃあ、誰が」

「分からないよ」

「確かめる必要があるみたいだ」

 そう言って藤田は岸本の「お化けホテル」の出来事について語った。

「行ってみよう。岸本の言が正しいなら、何か手がかりが残っているかもしれない」

 紀一が言った。双葉も頷く。

「乗り気だな。そうでなくちゃ。奏太は?」

 藤田がこちらを見る。

「行くよ」

 19時に家を出るのは普段の奏太では考えられなかったが、「令嬢」が篠田を殺したと決めつける藤田への反感が勝った。

「じゃあ来週の土曜日に」

 昼食が終わり席に戻る。奏太は教室に角田かれんと、菊池梨香がいないことに気づいた。


 昼食の後は掃除の時間だった。先生が割り振った結果、奏太は玄関掃除になった。

 奏太がリノリウムの廊下を歩く。上履きが擦れるたび、きゅっと鳴る。床は窓から差し込む陽光で白く光っている。他クラスの生徒が走り抜ける。床の白さに黒い影を作る。

 学期が始まって間もないため、床はワックスで丁寧に磨かれていた。小学校の頃もそうだった。年度が終わりに近づくにつれ、床の光はぼやけていくものだった。

「玄関掃除なんて俺たちついてるな、外能」

 追いついた双葉が、そう言って肩を組んできた。運良く奏太と双葉は同じ掃除担当になっていた。

 双葉が言うように、玄関掃除は一番楽だった。先生の目がいつも光っているわけではなく、喋っていても気づかれにくい。小学校では視聴覚室の次に人気だった。他のクラスメイトの後を追って昇降口に向かう。

 奏太は異変を感じた。昇降口掃除には他クラスの生徒もいたが、様子が変だ。ひそひそと話す生徒、階段上から覗く生徒がいる。

 何が起こっているのだろう。

 奏太と双葉が下駄箱のそばから覗く。

「令嬢」が昇降口に屈んでいる。無心で何かを集めていた。奏太が回りこむ。白い塊を両手で掬うようにしている。「令嬢」は散らばった米を集めていた。

 掃除の様子を見にきた先生が彼女に気づいた。出席のとき、「令嬢」を助けようとしたC組の先生だった。先生は慌て気味に奏太に事情を聞こうとする。

「B組の生徒さん? ちりとり取ってきてもらえる?」

 奏太たちは先生から掃除ロッカーの場所を聞き、シュロ箒と、ちりとりを持ってきた。

「令嬢」は奏太たちに気づかないのか、床に落ちた米を一心不乱にかき集めていた。赤いウインナーや黄色い卵焼きは埃にまみれ、すのこの隣に山積みにされていた。

 奏太も屈む。無残なおかずの残骸を掬い上げ、ゴミ箱にそっと捨てる。「令嬢」の目の前で箒で掃きとるのはゴミ扱いしているようで気が引けた。おかずは手の中でひんやりとしており、食べ物としての役割を失っていた。

 奏太が幾度か往復しておかずを捨て、外に備えつけてある水道で手を洗った。手はウインナーの脂で滑っていた。双葉がやって来て隣を使う。床の汚れを拭き取った雑巾を水ですすいだ。

「令嬢は?」

「まだ米の片付けしてた。あまりに一生懸命やってるもんだから、手出しできなかったよ」

 双葉は肩をすくめた。

「あれやったの角田だよな」

 奏太は昼休憩に角田たちが教室にいなかったのを思い出す。

「だろうな。B組の下駄箱に捨ててたし」

「自分のクラスに捨てるのは変じゃないだろ」

「いや、そうでもない。外能は自分ちの玄関に飯をぶちまけられるか?」

「やらないよ」

「なんでだ?」

 試すような言い方だった。奏太は一瞬考える。

「自分の家だから。じいちゃんに見つかったら……」

 奏太は思考をめぐらす。角田かれんがB組に捨てたのは何故だろうか。いくら考えても答えは出なかった。

「……分からない」

「それでいいんだ」

「はあ?」

「そもそも、俺たちB組以外、角田かれんを疑う奴はいない。犯人が誰だか分からない状態で、B組以外の奴があの昇降口を見たら、自然とB組を考えから外すんだよ」

「そんなにうまくいくか? まずクラスの奴を疑いそうだけど」

「いま狙われてるのは「令嬢」だ。彼女の振る舞いは、他のクラスや他学年から目をつけられてもおかしくない」

 わざとB組の昇降口に弁当をこぼして犯人の特定を遅れさせようとしたのか。

「……気のせいだろ」

 冷静を装って奏太が答える。これは全て奏太たちの中での想像でしかない。

 昇降口に戻ると「令嬢」は何事もなかったように、すたすたと歩き去っていく。もしかしたら、ありがとうと言われるのではないかと期待したが、彼女が奏太を見ることはなかった。

 虚ろな横顔を奏太は見送る。去り際、彼女の口が動いていた。奏太には「令嬢」が咀嚼しているように見えた。


 窓から西日が差し込んでいる。午後4時になってもこの明るさだ。日の長さが春の訪れを感じさせる。奏太は使わない教科書をカバンにしまう。

 5時間目が終わり、帰りの会が始まった。新しい教師への緊張感から解放され、生徒同士で話す声でざわめいていた。話す内容は教師の寸評だった。クラスメイトにとって授業の内容はどうでもよかった。それより他教科の課題を授業中にやっていても怒られないかが重要だった。

 社会と理科は好感度が高かった。逆に授業初日、課題を出した数学教師は嫌われていた。すでに教師のモノマネをする生徒もいた。

「いつまでも小学校の気分でいないように。毎年、寄り道をする生徒が報告されて……」

 先生の声がクラスメイトの声にかき消される。教室内は浮ついていた。

 奏太は角田を見る。彼女は菊池同様、机の下でスマホを操作している。

「起立、礼」

 先生は帰りの挨拶を終わらせ、当番に号令をかけさせる。誰ひとり話は聞いていなくても、同じ動きをするのはどこか可笑しかった。

「さようなら」

 奏太はポケットのネックレスを握る。それだけで緊張する。奏太は心臓の高鳴りを抑えようとする。

 ネックレスは帰り道で渡すつもりだった。授業中に頭の中で渡す手順をシミュレーションした。巳月公園で彼女と目が合った瞬間を思い起こす。次は笑ってくれるだろうか。

「令嬢」も帰りの準備をしていた。リボンが編み込まれたような黒いリュックに、自分と同じ教科書をしまっている。話しかけるなら今がチャンスだった。

 この前、落とし物しなかった?

 言おうとした言葉が咄嗟に出ない。胸の奥でつかえてしまった。

「令嬢」がてきぱきと荷物をまとめ、教室を出る。奏太も後を追った。昇降口でもう一度声をかけようとした時だった。

「おい」

 後ろから呼び止める声がした。奏太が振り向く。須山正樹が立っていた。

「お前、昨日公園にいただろ」

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