第4話
実力テストは主要三科目だけが対象だった。一時間目が数学、二時間目が英語、三時間目が国語だった。
テストの今日までは昼休憩で学校は終わりだった。小学校では班が決められていたが、中学校では席を合わせて好きな人同士で集まれた。
奏太は前までクラスが同じだった藤田ともう二人で机を合わせた。
「英語見たか。あれ。どう考えても小学校の内容じゃなかった」
最初に喋ったのは
「やっぱりか。よほど性根の腐った教師がいるんだろうな」
藤田がくつくつと笑う。
「みんなよく分かるなぁ。俺には何がなんだかさっぱりだった。最後の方なんか鉛筆頼みだった」
そう言って鷹揚に笑うのが双葉恭平だった。彼は謙遜ではなく鉛筆頼りで解く男だった。それでいて、一度も全教科で70点を切らなかった。
奏太は三人の言葉に頷くだけだった。
テスト中は「令嬢」の姿が頭から離れなかった。陶器製の彼女の人形が床で砕け散るイメージが何度も再生された。
椅子が倒れる。人形が同時に倒れ、白い肌に亀裂が入る。まぶた、鼻、赤い唇がスローモーションで破片に変わっていく。目玉のガラス細工が飛び出て、木製の床にバウンドする。
筆算や漢字など機械的に解ける問題の時ほど、イメージは思考の隙間に入り込んだ。奏太はその度に文章題で気を紛らわせた。そのため、休憩時間にクラスメイトと問題について話してもほとんど覚えていなかった。どの教科も時間内で解けたのが不思議だった。
「奏太はどうだった」
「全然覚えてなくて」
「余裕で羨ましいね」
藤田は鼻で笑って言った。奏太は藤田の言葉を笑ってごまかし、弁当の唐揚げをつまんだ。
「それより」
飯を半分ほど食べ終わった紀一が声を落として話す。「令嬢」へ視線をやる。何について話すか三人とも察した。
「前からやばかったけど、あんなだったか?」
「噂は本当だろ。殺人で精神的にガタがきてるんだ」
藤田がすかさず言った。
「根拠もないのによく言うよ」
「お? 奏太は味方か。庇ってもあの方は礼の一つも言わないだろうぜ」
奏太が睨んでも藤田は気にしていないようだった。
「藤田に賛成するわけじゃないが、俺も異常な気がする。本当に人形みたいだった。人をやるのも彼女なら……」
「紀一、馬鹿言えよ」
「今に始まったことじゃない。噂は噂に過ぎない」
恭平が否定する。それからしばらく名前の出ない彼女の話は続いた。
奏太は「令嬢」を覗き見た。彼女は誰とも机を突き合わせることなく昼食をとっていた。あれほどのことがあっても彼女の様子は変わらなかった。
奏太にとってクラスメイトが何を話していても興味はなかった。それなのに、彼女の話題にだけは熱が入ってしまった。
帰りのホームルームが終わり、学校が終わった。太陽はまだ真上より少し傾いたくらいで、奏太の身体をじんわりと暖かくした。学校の帰り道は古い住宅地を抜け、田に挟まれた道に出る。狭く道の曲がった建物をすり抜けて風が吹き込んだ。
田では苗を植えるためにトラクターが土を砕いていた。毎年見ているはずなのに、初めて見るような気がしてしまう。
奏太は早足で歩いていく。巳月公園に行くつもりだった。ホウヤが話していた「透け地蔵」とはどんなものなのか気になったからだった。
「令嬢」に話しかけるタイミングを失ったからというのもあった。奏太は帰り際、テストの出来を口実に話しかけるつもりだったが、彼女はすでにいなかった。
しばらく道なりに進むと、夜見坂が見えてくる。坂を登る途中の道を右に曲がり、山に向かって歩く。
桜の咲き始めた小高い山。道が舗装されているのは途中までだった。そこからは木の根が入り組んだ複雑な道がつづいていた。奏太は足を取られそうになりながら登る。
公園に行くのは久々だった。最後に行ったのはいつだろう。
覚えているのは小学三年生の頃にホウヤと登った時だった。まだ、辺りが薄暗い早朝だった。まだ家に来たばかりで、ホウヤとあまり話した記憶はないが、奏太にとって居心地が良かった。ホウヤは周りの大人と違って過度に気遣うところがなかった。ホウヤの後をついて行くと公園のクヌギの木を指さした。
ノコギリクワガタ二匹が顎を鳴らして戦っていた。初めて見る本物の昆虫だった。クワガタの細い脚が木肌で踏ん張り、もう一方を挟み上げる。浮いた脚が空をかく。一方が転がり落ちるまで奏太は夢中で見ていた。あのクヌギの木はまだあるだろうか。奏太は地蔵のついでに見て行こうと思った。
公園は日中でも薄暗かった。樹木が窮屈そうに生い茂り、差し込む太陽光がさえぎられていた。ジャングルジムや滑り台、塗装の剥げた遊具も影に覆われ陰鬱な印象を与えた。
ブナの木は遊具よりも奥にあった。ふと人影がいるのに気がつく。こちらを振り向こうとしている。思わず身を隠した。枯れかけた草むらの影から様子をうかがった。
ブナの周りには四人いた。少し背の高い人影は遠目からでも誰だか分かった。黒いワンピースに印象的なツインテールの髪型。間違いなく「令嬢」だった。彼女を囲むようにもう三人がいる。一人は男、もう二人は女だった。
「……が…した……しょ」
女の一人が、「令嬢」に何か言っているようだったが、奏太の場所からでは聞き取れなかった。女の一人の横顔が見えた。日焼けした褐色の肌、目鼻立ちのはっきりした顔をしている。奏太はその顔を知っていた。彼女は角田かれんだった。篠田巫弓と仲が良かったクラスメイトの一人だ。
顔が見えずとも、残り二人は菊池梨香、須山正樹だと察しがついた。
彼らは口論をしているようだった。角田かれんは「令嬢」に詰め寄り、罵声を浴びせていた。「令嬢」はいつもと変わらず微動だにしていない。角田かれんはクラスでも美人な方だった。だが、今はショートヘアを掻きむしって取り乱しているようだった。
「なんか言えよ!」
甲高い角田の声が聞こえた。同時に、須山正樹が「令嬢」を後ろから捕まえる。奏太は息を呑んだ。角田が「令嬢」の腹を殴ったように見えた。「令嬢」が地面に突っ伏す。角田はすかさず踵を上げ、彼女を踏んだ。菊池はそれをスマホで撮っていた。角田は何度も足を振り下ろす。悲鳴も苦しそうな声も聞こえなかった。奏太の胸にふつふつと怒りが沸いた。何もしない彼女を蹴りつけるのを止めたかった。けれど、奏太は草むらからは出られなかった。
なにかおそろしいものを感じて体が動かなかった。
篠田の死が角田の内にある暴力の引鉄を引いているようだった。際限なく、蹴りが弾丸の代わりに吐き出される。3分ほど蹴り続け、角田が肩で息をするようになると、最後にサッカーボールの要領で「令嬢」を蹴り飛ばした。須山が角田を止めていなければ、まだ続いていただろう。菊池は撮影を切り上げ、角田にOKサインをする。それを合図に、三人は公園を後にした。
奏太はずっと彼らの視界に入らないよう隠れているしかなかった。助けたい気持ちよりも、自分に暴力が降りかかる方が怖かった。
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