第6話 朝靄の殺人者(下)
目撃者 Aの証言
「そりゃあ、凄惨っていうの?ああいう光景のこと。誰かれ構わず斧を振り回してたんだから。まだ人通りが少ない早朝で良かったよ。」
目撃者 Bの証言
「何か叫んでたね。はっきりとは聞きとれなかったけど、親父がどうだ、人殺しがどうだってね。とにかく斧をブンブン振り回すもんだから、みんな逃げ回ってたね。あたりは血だらけで恐ろしかったよ。全く狂ってるよ。」
目撃者 Cの証言
「始発の電車から降りた直後だったんですけど、四国相互銀行の前が騒がしくて、私が降りた電停に走ってきた人が、「通り魔や!」って叫んだんで慌てて逃げたんです。凶器は斧ってあとから聞いてゾッとしました。」
交番の駐在 Xの証言
「深夜のパトロールを終えて、奥で仮眠をしてたら、ドアが激しく開いて、「通り魔です!」と女性が血相変えて飛び込んで来ました。すぐに拳銃を携帯し現場に走ると、銀行の前で何人かが倒れていて、斧を持った犯人が暴れていました。私は空へ向けて威嚇射撃を行いました。するとひるんだ犯人は我に返ったのか、斧を放り投げ両手を挙げました。私は銃を構えたまま犯人に近づき、逮捕しました。現場は血の海でひとりは頭を割られていましたね。捕まえた犯人は思ったより冷静でしたが、まさか……」
犯人の供述
「実際に人を殺した実感はありません。とにかく必死だったから…。斧を持ってから逮捕されるまでのことは何がなんだか全く思い出せません。必死だったから…必死だったんです。」
犯人の友人の証言
「面白いやつですよ。友達も少ない方じゃないと思うけど。不良?全然そんなことないです。真面目なガリ勉ってタイプじゃないけど、普通ですよ。ただ…あいつの死んだ親父、昔、人を殺したって噂があって…」
1979年6月13日、四国相互銀行前
午前7時08分
「わりゃあ、何で逃げたんならぁ!」
女の怒号が響き渡る。
「いや…だって……」
僕は恐怖に震えて言葉にならない。
「わしゃあのぉ、空手の紫誠館の師範代でぇ。黒帯よぉ。あの男がわしにあんまりカバチたれるもんじゃけぇ、頭叩き割っちゃったんじゃ!」
女は聞いてもないのに、そう話して来た。あとから分かった事だが、関西弁と思ってたこの女の方言は、実は広島弁だった。
「ぼ、僕は、毎朝あの辺の新聞を配っていて、さっきもたまたま配達で通りがかっただけなんです。」僕は命乞いをするかのように女に言った。
「そんなん知らんわ。お前、さっきの見たじゃろ。ほいで警察にチクるつもりなんじゃろうが!」
チクる?考えても無かった言葉が女の口を突いた。
僕は逃げる事で精一杯で、警察にチクるとか考える余裕なんかあるわけがなかった。
町を覆っていた朝靄もすっかり晴れ、不思議に僕の恐怖感もほんの少し落ち着いてくると同時に、この理不尽な成り行きに、女に対しての怒りにも似た感情が芽生えていた。
ふと女のバイクに目をやると、前のカゴに生々しく血痕のついた手斧が無造作に入っていた。
「どうしてあの人を殺したの?」
少し情緒を取り戻した僕は、刑事ドラマでよくある、犯人に冷静さを取り戻させるかのような会話を振ってみた。
僕の問いかけに女のこわばった表情が少し緩んだ。
「じゃけえの、わしゃああの男と付き合うとったんよ。ほいじゃが、あんなんがソープの女とデキてしもうて、わしと別れる言いよったんよ。ほいでわしゃあ男にそのソープ嬢のとこへ連れてけぇ言うて、近くまで行ったんじゃがあのバカが店は教えんし、わしを裏切った挙げ句にカバチたれてから…」
意外にも女は事の成り行きを話して来た。ただ最後のカバチたれてという部分が僕には理解出来なかったが…
その時、左足でバイクを支えていた女の体が一瞬グラつき、ハンドルが大きく左右に揺れた。その拍子でカゴの中の手斧が手前に転がった。
僕は自転車を放り出し、女のバイクのカゴから斧を奪った。
なぜかは分からないが、体が勝手に反応した。こう見えて僕もスポーツが苦手ではない。父に似て身長もすでに170センチはあり、明らかに女に勝っていた。
「何をすんな、わりゃあ!わしとやる気かこらぁ!」
やや落ち着きかけた女だったが、再び鼻息荒く凄んできた。
女は握ったハンドルから手を離し、バイクを乱暴に歩道に乗り捨てた。
大きな音を立てバイクが歩道に転がった。女の大声に呼応するかのように僕らの周りに通勤だろうか、人が集まり始めた。
僕は奪った手斧をこれ以上ないくらいの握力で強く握った。
女は空手でよく見る5本の指をくっつけた掌を、ファイティングポーズのように前に出し僕ににじり寄って来た。
「せいやっ!」
途端に女は左足を踏み込んで、上段の回し蹴りが飛んで来た。
友達とよくブルースリーごっこをしていた僕は、すんでのところでその蹴りをかわした。
ブルースリーがよくやっていたバックステップで女の攻撃をかわした僕は反射的に強く握りしめた手斧を、女めがけて満身の力で振り下ろした。
『ゴッ!』
骨が砕けるような鈍い音がした。女は両ひざから崩れ落ち、脳天からどす黒い血が噴き出した。僕らの周りに集まった人の悲鳴や逃げ惑う声が、まるでフェイドアウトのように僕の耳から消えていった。
空手道場『紫誠館』館長の証言
「あれはいつ頃だったかなぁ。5年くらい前かなぁ。広島にいる私の兄弟子から連絡がありましてね。かわいそうな子なんですよ。おまえのところで預かってやってくれないかって頼まれてねー。誰からぬ兄弟子の頼みとなると私も断れなくてね。女の子ながら有段者で、気性も荒くて笑。ウチの空手はフルコンタクトでね。普段は男女の組手はご法度なんだけど、あの子はウチの道場の猛者どもとも互角に渡り合ってたんだよ。住むところから何から私が手を焼いたんだけど、昼は工事現場で働いて、夜になるとここで子供の練習生を教えてもらってました。今年になってあの子から彼氏が出来たと聞いたことがありました。「館長、ウチにもええ人が出来たんよ。今働いとる現場の親会社の人で、ちょっと頼りないけど優しいんよ。」って言ってきて、それは嬉しそうにね。ただちょっと情緒不安定のとこがあって、気も強いからキレたら誰も止められなくてねー。前にウチの若い練習生が『オトコオンナ!』とからかったことあって、その時なんか、その練習生に馬乗りで殴る蹴るですわ。お陰でその練習生は眼窩底骨折に肋骨も何本か折って…。
怒ったら言ってる事が支離滅裂で、そんなトラブルが何回かありましたね。結局、破門しましたけどね。」
犯人の母親の証言
「あの子は本当に悪い子じゃないんです。まさか、こんな事件に巻き込まれるなんて…。巻き込まれたんですよね息子は!だって、殺人犯なんでしょ相手は。息子のやった事は正当防衛になるんでしょ?
ええ、それは他にケガをさせた皆様にはお詫びと償いはするつもりです。
え?亡くなった主人ですか?その話はしたくありません。殺人犯?だから!そのお話はあなた方の方が詳しいんじゃないですか!
ただ…いや、息子は亡くなった主人に生き写しで、容姿から仕草、性格もそっくりなんです。」
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