第3話 漁村での惨劇(上)
父が母と別れた理由のひとつに、母の実家が介在しているのは間違いなかった。豪商の血筋で地元で多くの資産を有する名家の飯田家と、小さな漁師町の生まれでは境遇が違いすぎた。
飯田の祖父は次女の母を溺愛し、何かにつけて父との夫婦生活に干渉してきた。営業マンである父の収入はお世辞にも安定して高いとは言えなかった為、祖父は事あるごとに援助を申し出てきたのだ。
不安定とは言っても、贅沢をしなければ生活するのに差し障りないだけのお金を渡していた父からすると、面白いわけがなかった。
結婚当初から祖父の援助という名の夫婦への干渉はあったのだが、僕の誕生とともにエスカレートしていった。
母が臨月に入った頃、父に祖父から電話があった。
「ああ茂くん、淳子の出産の事やけどどうやろ、そこは借家で狭いし茂くんの仕事も大変やろうから、ウチで預からせてもろうて、病院もこっちで用意するから。いや、なぁんも心配せんでえいき、な、そうさせてもらうわ。」
父の意見も聞かずに祖父は、半ば強引に母の転院も出産前の里帰りの手はずも決めてしまった。
出産後の里帰りは普通だが、転院させてまで出産前に実家に帰らせるというのは聞いたことがなかった。
母が通っていた産院も市内では有名だったし、何より母の実家までは車で2時間半はかかる。臨月に入った身重の母をその時間車に乗せるのは危険も伴う。父は祖父にこう返事した。
「いや、お義父さん待って下さい!淳子は妊娠してから、つわりもひどかったし、妊娠中毒で入院した事もあるんで出産するまでは今までの病院で産ませてあげたいんです。」
父の意見はもっともだったが、問題は母の態度だった。飯田家の次女として祖父の寵愛を受け、欲しい物は何でも買ってもらい、おまけに仕事先まで祖父のコネで世話してもらっていた手前、母に祖父からの申し出を断る気持ちは無かった。
「茂さん、私お父さんの言う通り実家で産むわ。環境だっていいし、あっちだと私も楽だし。」
母の言葉に父は返す言葉が無かった。
結局、母は僕を産むひと月以上も前から実家へ帰り、産後も約半年実家で子育てをしたのだった。
祖父の母を迎える準備は完璧で、産院は地元で一番大きい総合病院の産婦人科で、個室も皇室の方が出産するのかというほど豪華で、出される食事も特別なものだった。
父は週末になると往復5時間かけて、母の実家まで様子を見に行った。営業の仕事は帰りが深夜になる事も多く、正直休みの日はゆっくりしたい時も多かったが、父からしても僕の誕生は最高の喜びでもあったため、疲れも見せずに通ったのだ。
この頃から父の酒量は多くなってきた。母がいない為、平日の夜は毎晩のように外食のあと飲んで帰るのが日課のようになっていた。
当然のように、女性のいる店にも通うようになり、体格が良く端正な顔立ちの父はよくモテた。その内、ある店のホステスと一線を超えてしまった父は母が実家に帰っている間、そのホステスの家に入り浸りになっていた。
ホステスの名前は向井直子、店では『さつき』という源氏名で出ていた。
彼女は広島生まれで、バツイチでふたりの子持ちだという。子供は広島の実家に預けていて、単身高知でホステスをしていると言う。同じ漁師町出身という事もあり、父と直子が親密になるのに時間はかからなかった。
今考えると、両親が別れたのは世間でよくある父の不貞が原因だと思うが、
当時の僕には父がそんな、よそに女性がいたなんて、爪の先ほども疑った事はないし、現に父と母は仲も良かったし、よく三人で遊びにも行っていたから疑う余地も無かった。
ただ父がバイクで僕と一緒に出かけた時、きまって父は公衆電話からどこかに電話していた。それもけっこうな時間…。
祖父の干渉が僕の誕生を期にいよいよ激しくなり、とうとう家の購入にまで口を挟んできた。父は結婚後すぐに市内のはずれに3DKの家を借り、生活をしていたのだが、家を持つには貯蓄の面でもまだまだ心許なかった。
祖父は母の半年の里帰りのあと、父と高知市で会った。
「茂くん、家の事なんやけど、守も出来て借家じゃあ何かと手狭やろう。淳子とも話したんやけど、どうやろ思い切ってマイホームを買うっていうのは。」
どうやら母とは話がついてたのだろう。父には内心断ってもムダな事くらい分かっていたが、
「いや、お義父さん僕はまだ貯金もそんなに無いし、だいいち今の所でも家族三人住むには十分すぎますから。」
と精一杯の言葉を返してみせた。
すると、祖父は、
「何を言いゆう!孫が出来たゆうのに、あんな狭いとこで暮らすいうて。世間体が悪いわ。飯田家の娘がいつまでも借家暮らしとは、わしの地元で噂になるわ。末代までの恥やき!」
祖父はそうまくしたて、結論を出した。
そう、母とはとうに話がついていて建売の物件も決まっていたのだ。
こうなると、もう父の出る幕は無く、祖父と母は今の家の内装や壁の色ばかりか、新婚の時に買った家具や調度品も新しい家にふさわしい物に買い替える程のこだわりようで、仕事で忙しく口を挟むことすら出来ない父のフラストレーションは溜まる一方だった。
今考えると、生まれたばかりの僕に父と母の拗れ始めた関係を推しはかる事は出来るはずもないし、父と暮らしたのは僅か7年間。父の愛情は感じていたが、広がっていく母との溝の深さに気づくほどの感受性は僕には無かった。
結局、父は仕事を辞め、向井直子と広島で新生活を始めた。
直子の源氏名であるさつきの名所で知られる広島の漁師町では瀬戸内のちりめんじゃこ漁が盛んだった。
子供の頃から漁に出ていた父にとって、太平洋の大海に比べて凪の多い瀬戸内の海での漁は造作も無かった。
もともと人懐っこくて柔和な父が荒っぽいとされる広島の漁師町に溶け込むのに大した時間はかからなかった。
直子の父、徳三はこの漁村生まれの生粋の漁師で、妻の千代美とちりめん漁を行っていた。直子の子供は長男の一夫と、長女の敦子。一夫は18で時々徳三の漁を手伝ったりしている。年子の敦子は男勝りで気性が荒く、村に唯一の空手道場にかれこれ10年近く通っている。茂が村に現れた当初ふたりの子供は戸惑いを見せたが、18歳と17歳にもなると、ある程度母親の生き方への理解もあって、他人が心配する程茂に対しての冷たさはなかった。
小さい子供のように懐くという事は無くても、仲の良い親戚の叔父さん位の距離感では接してくれていた。
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