第2話 父との別離

僕の名前は飯田守、母は飯田淳子

いなくなった父は榎戸茂。

14年前、僕は高知県のある町で生まれた。父がいなくなったのはもう7年も前で僕が小学校に入って間がない頃だった。母は父のことをあまり話したがらないので、僕が知っている父の情報は多くはない。事務用品か何かの営業マンだったという事と、お酒が好きだったのは覚えてて、2歳だった僕に一升瓶の日本酒を飲ませて僕が一時昏睡したという話は母の定番話だった。

一人っ子の僕に父は優しく、仕事はいつも遅かったが休みになると、僕を単車の後ろに乗せて遠出したり、三人で動物園に行ったり、それなりに幸せな家族だったように思う。

父は高知県の東にある漁師町の生まれだったみたいで、僕をバイクの後ろに乗せて遠出する先は決まって海が多かった。種崎に桂浜、時には手結の浜まで足を伸ばす事もあった。

父は明るい性格だったので、近所付き合いも良く、寄り合いなどにも割に積極的に顔を出していた。

背は高くがっちりした体型の父は、スポーツもそれなりに得意らしく、僕もよくサッカーボールで遊んでもらった。

幼い僕から見て夫婦仲が悪いとは思えなかったし、実際夫婦喧嘩をしているのは記憶にないくらいだ。

そんな父が突然いなくなったのは、

1972年の12月だったと思う。

楽しみなクリスマスを前に、小学校から帰った僕は台所の椅子に座って泣いている母を見た。明るくて気丈な母の涙を見たのはその時が初めてだと思う。

「守、お父さんね、出ていっちゃった。」

涙を拭きながら母はポツンと一言そう言った。

7歳の僕には厳しい現実だったが、不思議と涙は出なかった。父を愛していなかったわけではないし大好きだったけど、それ以上に母の存在は大きくて

母と二人になったんだと、ただ漠然と

母を守っていくんだという感情が芽生えた。

母の淳子は、高知県の西部の生まれで

実家は母曰く、江戸時代から栄えた豪商で現在は祖父が電器店を経営している。母は次女で若い時から不自由なく過ごして来て、高知市内の短大を卒業して祖父の紹介で大手電器メーカーに就職した。母によるとそこに営業に来ていた父と知り合ったという事だ。

父と結婚し僕を産んでから母は仕事を辞めた。

父の稼ぎがどうだったかは分からないが、実家が比較的裕福だった母がお金に困ってたように感じた事は無かった。

今の家も多分祖父からの援助があり、ローンも残っていないはずだし、母がパートに行きだしたのも、僕に手がかからなくなってからだ。

父がいなくなって淋しくはなったが、母は今まで通り明るくて、優しくて僕も中学生になって欲しい物も出来てきたから新聞配達を始めたが、世間で言われるような不便や不幸せだなどと感じることは無かった。

あの事件が起こるまでは……



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