第3話 家族

 「入っていいよ。」と言うと、一呼吸置いて静かにドアが開いた。娘がルームウェアの上にブランケットを羽織った姿で入って来た。


 「どうしたの。」


 「うん。」と曖昧にうなる。


 この子だけではなく、子供たちは何か言いたい事がある時にすぐにしゃべり始めず、うんとかああとか曖昧にうなずいたり、「何でもないんだけど」などと始める。


 「別に何もないけど… もう移住手続き、終わったの?」


 「うん、全部手続き終わったよ。あとは、出発日を向こうが決めて知らせてくれるから、待ってればいいの。」


 「一週間くらい、だっけ。もう準備始めないといけないのかな。」


 「いや、一週間っていうのは、通知が来るのがそれくらいっていうことで、出発日はもっと後。」


 「そうなの。え、じゃあ、出発日って、いつ。」


 「希望日は10月上旬って出しといたから、そのあたりね。」


 「なあんだ、新学期始まってからなんだ。」


 「ママの退職願いを出してから、手続きなんかに時間かかるのよ。」


 「じゃあ、ゆっくり準備できるね。」


 「そうだね。あ、そうだ。玲佳はどんな所に住みたい?」


 「へ?」


 「田舎か、都会か。」


 「都会。」と娘は躊躇なく答えた。


 「東京みたいなところがいいな。家も、都会の真ん中にあって、通学時間15分くらいとか。」


 美香は苦笑した。自然の中で自給自足などと言ったら、どういう反応をするだろう。


 どんな場所へ移住するかは、順化ステーションへ行ってから健康状態や適性を審査されたり、カウンセリングを受けてから決めることになっていた。


 いずれにしてもこの子は、先ほどのページの自然と一体化した村などでは暮らしていけるような子ではない、と美香は思った。


 「ねえ、ママ、知ってる? 」と、玲佳がふいに言い出した。


 「何を?」


 「うんと山奥の道を車で走ってると、物置をちょっと立派にしたような銀色の四角い小屋があるんだって。そこに宇宙連合の宇宙船が来るんだって。」


 美香は笑い出した。


 「それね。いろんなサイトに貼り付けてあるね。」


 「そうそう。そんなにたくさんサイトがあるっていうことは、見た人がたくさんいるっていうことでしょ。きっと本当にあるんだよ。」


 「そうじゃなくて、ただ、たくさんの人が引用しているだけだよ。もとは誰かが嘘の話を悪戯で書き込んで、たまたま面白いと思う人が多かったから、拡散しただけで。」


 「だけど、一か所だけの噂じゃないんだよ。日本中のいろんな山で目撃されてるし、1人だけじゃなくて何人も見てるんだよ。」


 「それは、少しづつ話を変えてコピーされてるからだよ。

 例えば富士山の樹海の目撃談だったら、富士山の近くに住んでる人が場所だけ富士山に変えて投稿したのよ。

 蔵王で見たっていうのもあったけど、たぶん仙台市かどっか、近くに住んでる人が書いたんだよ。

 元ネタは一つなのよ。どれが元ネタなのか、もうわからなくなってるけど。」

 

 「そっか。」


 娘はガッカリした顔つきでそう言った。


 「じゃ、嘘なんだ。」


 「嘘に決まってんでしょ、あんな話。」


 「なあんだ。夏休み入ったら探しに行こうと思ったのに。」


 「何言ってんの。」


 美香は驚いて立ち上がりそうになった。


 「だめよ、そんなの。1人で山奥へフラフラ入ったりしないでよ。」


 「1人じゃないもん、友達と一緒だもん。」


 「でも女の子だけなんでしょう。危ないから、ダメよ、絶対。」


 「わかったよ。」と玲佳はうるさそうに言った。


 「昼だって危ないんだからね。夜なんか絶対に行っちゃ、だめよ。日本は安全な国だって言っても、犯罪がゼロっていうわけじゃないんだから。」


 玲佳は口をへの字の形にしていたが、それ以上口応えはしなかった。


 美香はため息をつき、さらにお説教を続けたい気持ちをぐっと抑えて、冷静になろうと努めた。

 ここでグチグチと言っても良いことはない。それは中学校の教師としての経験からも学んでいた。


 「あ、そうだ、夏休みの旅行、どうする?」と何気なさを装い、声色を和らげる。


 「一緒に行くならホテル予約するから早めに…」

 

「あたしは、いい。おじいちゃんおばあちゃんと三人で行ってきて。」


 玲佳は即座にそう答えた。

 むくれているからわざと素っ気ない答え方をしたのかと一瞬思ったが、顔つきを見るとそういうわけではないようだ。


 「わかった。」と美香は淡泊に言った。


 玲佳は中学生になってから家族と一緒に外出するのを嫌がるようになっていた。たぶん一緒に行かないだろうとわかってはいたが、たまに気まぐれに同行することがあるので、どこかで期待していた。


 娘が自室へ戻ってしばらくすると、美香は眠気に襲われた。タブレットの電源を切り、休むことにした。






 7月末の早朝、美香は両親を車に乗せて出発した。目的地は東京だ。


 自宅から幹線道路までは自分で運転し、高速道路のゲートを通ると、すぐに自動運転をオンにした。

 あらかじめ目的地も経路も入力してあるので、あとは人の手は要らない。シートを後ろへ回転させ、両親と向き合って座った。


 父はさっそくアルコールのボトルを開けてご機嫌で、母はこの旅行のために買った旅行雑誌を読んでいた。


 「途中で一回休憩するからね。」と、美香はどちらにともなく言った。


 「着いてからでもいいんじゃないか。そんなに時間かからないだろう。」と父が答えた。


 「でも、東京に入ってからが時間かかるでしょう。駐車場探すのに迷ったりするし。」


 母が顔を上げて会話に入ってきた。


 「ねえ、帰りに日光へ寄るって、できるかしら。修復したばかりの東照宮が見たいから。」


 「修復したばかりって、もう何年も前じゃないか。いつだった、あれは。」と父。


 「5年… いや、6年前だね。」


 「そんな前だったの。つい去年みたいな感じがする。」


 「去年といえば、台湾旅行は去年だったか。一昨年だったか。」


 「去年でしょう。」


 「台湾は良かったなあ。玲佳もさすがに一緒に来たしな。」


 「他にも、いろんなところへ行っておきたかったですね。」


 「そうだな。もっと前から移住すると決心していたら、行けたんだろうね。」


 「しようがないわよ、あなたの病気が分かったのが一昨年なんだから。」


 美香は心の中で、私はもっと前、離婚を決意した時から移住を考えてたよ、と独白した。


 あの頃は両親は宇宙に全く興味がなく、とても一緒に移住してくれないだろうと思ったから、ずっと話さずにいた。


 父が癌だと判明し、退職せざるを得なくなり、治療費もかなりかかると分かってから、はじめて地球外移住のことを両親に話した。

 宇宙連合の医療技術なら、地球よりも確実に治療できるし、セーフティーネットが充実していて難病の治療は無料だと聞くと、父は移住に同意した。


 母は最初、父の決定に従うと言ったが、父が早々とに決意した時、戸惑っていた。宇宙移住を決心するには少し早すぎると思ったらしい。父の癌が一刻も争うという状態ならともかく、治療の経過が良好で、このまま強いストレスを避けてきちんと治療していれば命に別条はないと医者に言われていたから、何もかも捨てて宇宙へ移住することはないと考えたのだろう。


 しかし結局は母も同意した。この先何十年かの経済的な事情をまともに見据えると、それしかなかったのだ。

 美香はフルタイムで働いていたが、一人娘の今後の学費を貯蓄しなければならず、それがかなりの金額になる。美香自身も40代になっていて、そろそろ自分の老後の資産形成も始めなくてはならない。

 その上に今は費用を自分で支払っている父の癌の治療が終わった時に、両親の手元にどの程度老後の資金が残るか、それも不安だ。もし癌治療にもっとお金がかかったら、美香が両親を扶養しなければならない。


 「オーストラリアは行っておきたかったな。」と父の話が続いていた。


 「それと、南極も行きたかったな。なぜ金のあるうちに行かなかったんだろうな。」


 「仕事してたからでしょう。休みが取れなかったから。」


 「それもあるが、仕事をしていた時には何も考えていなかったんだよ。

 もし、移住する、と、もっと前に決意していたら、無理にでも休みを取って海外旅行へ行ったかもしれない。いざ移住が決まると、あの国へも行っておきたかった、この国も一度見ておきたかった、っていう気持ちになるんだ。もう見たくても見られなくなると思うから。」


 そこで両親とも口をつぐみ、車内は一瞬静かになった。

 

やがて母が言った。


 「いいじゃないの。海外どころか地球外へ行けるんだから。」


 父は声を立てて笑った。


 「そうだな。」と言ったが、すぐにまた愚痴っぽくなった。


 「ああ、全く。ようやく定年と思ったら癌になるんだもんなあ。」


 「病気はほんとに仕方がないものね。」


 ちょっと湿っぽいかな、と思ったので。美香は話題を変えようとして、言った。


 「今回は東京をよく見ないとね。」


 「ああ、そうだ。」と、父が嬉しそうな声になった。


父は20代から40代まで東京の本社に勤めていたので、第二の故郷のように思っているらしく、東京という単語を聞くだけで目が活き活きと輝きだすという癖があった。


 「東京ほどユニークな世界都市は他にないからな。昔もそうだったが、今もそうだ。」


 「旧皇居は絶対に見なきゃ。」と母が父を遮った。父の東京の薀蓄が嫌いなのだ。


 美香が結婚して実家を出る前は、母はニコニコしながら父の東京話を聞いてあげていたのに、10年後に出戻ってみると、露骨に嫌な顔をして遮るようになっていて、驚いた記憶がある。


 「美香ちゃん、他に見どころ、調べてくれた?」


 「旧皇居から近いところだったら、上野か、お台場のほう」


 言いかけると、すかさず父が割りこんできた。


 「上野のミュージアムパークは、動物園が移転して敷地が拡がってからビックリするほど良くなったよな。各博物館や美術館の全てが単体でも素晴らしいし、庭園も世界有数の美しさが」


 「じゃあ今日は上野を見ようね。最初に旧皇居行ってから。」


 美香は負けずに割り込み、隙を与えないように早口でしゃべった。


 「上野のあとは浅草へ行って、もし時間があったら国際通りでショッピングして」


 「国際通りって、銀座のこと?」と母が、美香の声に重ねてしゃべった。


 「違う違う、アメ横だ。」と父も割り込んできた。


 「ひと昔前は食料品やスポーツ用品で有名だったんだが、それが廃れて行って、その代わり、いつのまにか世界中から輸入品が集まる通りになっていて…」


 「お父さん、国際通りはアメ横とは別の商店街だよ。」と美香は少し苛立ってきたのを感じながら言った。


 「国際通りは、合羽橋の近くにあるの。」


 「そうだったか。」


 美香も父につきあって持参した飲料を飲み始めていた。

 東京へ入ってから手動運転が必要になるからアルコールは飲めないが、休憩や食事の時のコーヒーだけでは水分が不足するので、車内で何か飲んでおかなければならない。熱中症にならないようにと、母が大きなクーラーボックスに一杯飲み物を詰めこんでくれていた。

 

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