小夜の中山と夜泣き石伝説

「はいっ! 県庁オカルト苦情対策室、金田一です!」


 けたたましく鳴り響く電話の受話器を乱暴に取り上げて、金田一華子きんだいちはなこは早口に名乗った。


 静岡市葵区駿府城公園隣にある静岡県庁。その地下に華子の勤める部署はある。

県庁内でも部長級以上にしか知られていない。デスクが三つと簡素な書庫が一つ。そこに入りきらないファイルが雑然と床に積まれ、足の踏み場もない状態だ。線の細いモデル体型で、股下も長い華子はなんなく動けるものの、整理しきれないファイルの山を見るにつけ、ため息ばかりが漏れていく。もっと広い部屋に移れたらという希望も、部署の存在が機密事項ゆえ難しい。そもそも出入口自体が他の部署と異なっているのだから。


 入口は駿府城のトイレ脇にあるマンホール。そこから地下に下り、IDパスにて認証確認。そうして初めて駿府城のお堀脇に作られた直通通路の通過許可が下りるのだ。IDパスの現時点発行数は四枚。主任の華子と主査の岡安、室長の磯川。それから特殊技術職員であり、華子の弟の陽介の分だけ。


 この部署は県内の怪異に関する苦情に対応するという特異な仕事を扱う。心身ともに強靭でないと務まらないのだが、十月から異動してきた岡安が今日は無断欠勤している。室長の磯川も今日は浜松へ出張中。故に、華子がすべての業務をひとりでこなさなければならない中、かかってきたのがこの電話だった。


「金田一くん、俺だ。岡安だ」

「岡安さん! 体調でも崩されたんですか?」

「ちょっと今、掛川でさ。きみ、今から弟くんと来てくれよ」


 普段は冗談ばかり言っているような男の声が、今日はずいぶんと陰気な感じで、声も細い。


「掛川って中山ですか?」

「正解。じゃあ、四時半に『小泉屋』で」


と、岡安は一方的に言って電話を切った。華子は大きく嘆息しながら受話器を置いた。早速弟にLINEを入れ、上着を手に立ち上がる。


 県名の入っていない公用車で掛川市へ向かう途中、駿河区大谷にある静大キャンパスに寄る。正門前に奇異な恰好をした大柄な男子がひとり、大きな茶色の厚革トランクを持って立っていた。

 華子はその前で車を停める。黒い外套の下から見えるセルの着物と絣の袴。白足袋、黒鼻緒の下駄を履いたもじゃもじゃ頭の男子は180センチ近い身長を畳むように屈みながら「よっこいしょ」と後部座席に乗り込んだ。ミラー越しに彼を見ると「姉さん、今日はずいぶん忙しかったみたいだね」と人好きのする笑顔をたたえた。


「私の背後霊がそんな報告でもした?」

「いいえ。一番上のボタンを、今日は外してるので」


この一瞬でよく観察しているものだと、華子は苦笑した。


 華子には兄と弟がいる。弟の陽介は華子の七つ下。現在十八歳で、静大農学部の一年生。頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能の上に、類稀なる第六感の持ち主である。

 彼の場合、霊が視える、聞く、話すだけでなく、触れられる。その上、霊視や過去視、果ては未来予知までできる。人智を越えた能力は、人生の大きなアドバンテージを得やすいのではないかと言うと、「過去も未来も知ったところでなにひとついいことはない」ときっぱり否定された。

 苦情対策室の依頼で行う除霊も、彼の善意のボランティアにすぎない。幼い時分より己の使命を心得ている弟。与えられた能力は使うべくして使うものだと、使命のためだけに生きている彼に、いい友人ができたらいいのにと華子は思わずにはいられなかった。


「ところで姉さん、今日はどこへ行くんです?」

「掛川よ。遠州七不思議のひとつ、小夜の中山」

「へえ、掛川か……」


 掛川市は静岡県西部に位置した人口約十二万人の市である。江戸時代には主要な宿場町であり、城下町でもあった。主要産業のひとつ、緑茶の栽培は全国屈指の生産量を誇っている。また、倉真温泉などの温泉街、掛川花鳥園などの観光地も有しており、野外コンサート開催によるロックフェスティバルの街としても有名だ。華子も何度も足を運んでいるが、城下町らしい静かで趣深い街の印象が強い。


「着いたわよ」


 静岡から約一時間。約束通りに中山トンネルの東京側にある茶屋『小泉屋』に着くと、岡安はすでに来ていた。華子たちが入ってくるのを見た彼は固い表情のまま手を挙げて向いの席を勧めた。


「早速で悪いけど、ここに女の霊がいた」

「妊婦ですか?」

「ああ。臨月だった。俺は足を掴まれたし」


と、岡安はズボンをまくって靴下を下げた。瞬間、華子は顔をしかめた。岡安の足首には赤い手の形の痕がべったりとついている。形や大きさからして女のものだとうかがえる。


「伝説が復活したと?」

「それしかないだろう」


 ここ三日ばかり、夜泣き石から女のすすり泣く声が聞こえてくると掛川市の観光交流課から相談の電話が入っている。しかもその声は何キロも離れた夜泣き石伝説と深い所縁のある久延寺のある旧国道あたりまで聞こえているという。伝説が息を吹き返し、怪異を引き起こしているのではないかと近隣住人から不安の声が絶えないらしい。


「陽介、なにか聞こえる?」


「まあ……」と彼は壁に貼られたポスターをじっと見つめながら、気のない返事をした。半年前に行方不明になった女性を探しているというポスターだ。長い黒髪、アーモンド型の目がとても可愛らしい二十代半ばの女性が笑顔で犬を抱いている。名物の子育て飴を頬張ったまま、じいっと彼女を見つめている。


「なにか気になるの?」


 陽介はちらりと華子を見て「ええ」と頷いたが、それ以上は何も言わない。岡安はそんな陽介と壁のポスターの間に立つと


「なあ、とりあえず現場を見に行かないか?」

「そうですね。日も落ちてきましたし。行くわよ、陽介」


 華子が促す。陽介は「はあ」と、しぶしぶ腰をあげた。


 茶屋を出ると、外は夜の帳をおろし始めており、足元も暗くなってきていた。街灯を頼りに脇の右手門から約五十段の階段を上る。登り切った先は周囲を木々に囲まれた小さな公園で、中央付近に建てられた小ぶりの東屋の下に丸石が祭られている。

 岡安はその東屋に近づいて「どうだ?」と陽介に尋ねた。陽介は公園内を隈なく歩き回ってみたり、立ち止まって電話を掛けてみたり、丸石の表裏、上下と眺めまわしてみたりしたが、満足いったのか、華子たちに向かって「若い女性がいますね」と告げた。


「確かなんだな?」


 岡安は血の気のない白い顔で尋ねた。陽介は「ええ」と丸石の前に立ってから「そこが頭、ここに手。こことここに足が見えます」と順々に指していった。最後に丸石を示して


「そしてこれが彼女のお腹です」

「つまり、この丸石が妊婦の大きなお腹で、ここに寝ている形になるわけね?」


と華子が尋ねると、陽介は「そのとおりです」とハッキリとした口調で答えた。


「なんで泣いてるの?」

「夜泣き石伝説の通りです。子供のために母親が泣いてる。ただし」


陽介はそこで一旦言葉を止めた。すうっと横目で岡安を見た。


「伝説に出てくる『お石さん』じゃない」

「それってどういう意……」

「で、どうするんだ?」

「彼女の願いは聞けたので、早速お弔いを始めます」

「それは助かる!」


 岡安は安堵の声を漏らした。陽介は一瞬、悲しげに顔を曇らせたが、すぐに華子に笑顔を向けた。


「姉さん、これらをすぐに用意してください。あと下の茶屋で台所を使わせてもらえるように交渉してください。ああ、それから……」


陽介は華子にメモを渡しながら、真顔でこっそりと告げた。


「今回の事件の真相、全部わかりましたから」

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