07 のこちゃん、眠れなくなる


のこちゃんが異次元いじげん踏破とうは傭兵団ようへいだん"魔刃殿まじんでん"からあたえられた個室は、広さはともかく、かべゆかも石造りっぽい素材がむき出しである。


その頑丈がんじょうそうで無骨ぶこつな感じは、獣人じゅうじんの本能をして野生動物が身をかくすがごとき気を休める感覚に沿意匠いしょうなのか、使用する者の粗暴そぼうさからえるための処置しょちなのかは分からない。


ただ、のこちゃんの様な庶民的しょみんてきものの心に、安らぎを喚起かんきさせる設計せっけいをされていない事は確かだろう。


思い返せば、黒豹くろひょう獣人じゅうじんのパニアに連れられて歩いたこのとうその物が、廊下ろうかから何から同様に頑丈がんじょうそうだったので単純に後者こうしゃなのかも知れない。


のこちゃんは、部屋にそなけられていた寝台ベッドに身体を横たわせると、上をぼうと見ていた。


やはり、天井てんじょう頑丈がんじょうそうだ。


地震が来たらここは大丈夫なんだろうか?などと、つい日本人らしい事を思う。



休む体勢たいせいとなったのこちゃんに対する気遣きづかいなのか、せいザンバー=リナの声は、何も話しかけてこない。


そのせいザンバー=リナは、いずれのこちゃんだけを残して、ティハラザンバーの中から消えてしまうのだと言っていた。


特にねむくなかった事も手伝って、のこちゃんはティハラザンバーとして生きていかなければならないこれからへ、どうしても思いをめぐらせてしまう。


魔刃殿まじんでん所属しょぞくする以外の手段が無かった以上、のこちゃんの未来には、怪人かいじん傭兵ようへいとして戦いが待っているはずである。


「ひとりで………………かぁ」


小さくつぶきながら、ふとまわりに視線をめぐらすと、寝台ベッド近くのかべに小さなかがみがはめ込まれている事に気がついた。


ここへ来て、初めてティハラザンバーの姿を確認した金属製のフラットな鏡面きょうめんと同じ感じなのだが、全身をうつせたサイズの物と違って手の平くらいしかない。


頭のそばにあるため、そこには、ティハラザンバーの顔がうつっている。


「いや、こいつとか………」


のこちゃんは、ゆっくりと手をばして、かがみ肉球にくきゅうの付いた指でなぞる。


まじまじと見れば、らんと光りをはなつ二つの目に、牙が並んだ大きな口が特徴的とくちょうてきだ。


怪人かいじん云々うんぬんきにしても、人間の感性からすれば、直感的ちょっかんてきこわい顔である。


獣人じゅうじんさんことキットカッチェさんがビックリするくらいなのだから、恐らくここの獣人じゅうじんたちの中にあっても、なかなかの強面こわもてなのだろう。


のこちゃん自身も、自分の姿とは意識せず、不意に鏡を見たらギョッとする自信がある。


こうなると、たと奇跡きせき的に元の世界へ帰れたところで、佐橋さはしの家どころか、人類じんるい社会にのこちゃんの居場所いばしょは無いと確信できた。


「………………チャムケア、見たいな」


いつもなら、就寝しゅうしん間際まぎわまでは、チャムケアシリーズの録画やディスクを見返す時間である。


視聴中しちょうちゅうはその日にあったいやな事もつらい事もわすれ、明日もがんばろうという元気をてから、心地ここちよい入眠にゅうみんむかえるのが日課だった。


近年ののこちゃんをささえていたのは、家族や友人たちに加えて、やはりチャムケアとの出会いだったにちがいない。


しかし、命が助かる事とえとは言え、のこちゃんは、それまでの生活環境せいかつかんきょう一切いっさいうしなってしまった。


生涯しょうがいで二度とチャムケアを視聴しちょうできなくなったのだ。


のこちゃんに残されたのは、もうティハラザンバーの身体だけである。


気が付けば、かがみの中のティハラザンバーの目からポロリポロリとしずくがこぼれ落ちていた。


凶悪きょうあく面構つらがまえのティハラザンバーが泣いているのは、ギャップがあってちょっと面白かったらしい。


止まらない涙とともに、はははと、かすれた小さな笑い声がその口からもれる。


何度か小さな笑いをもらしたあと、のこちゃんは、しばらくだまって涙をながし続けていた。



『………………状況じょうきょう状況じょうきょうだ、泣くなとは言うまい。

それに、戦うための技術や心構こころがまえを伝える事とあわせて、がまだる内ならば、君のグチにつき合うくらいはつとめられよう』


のこちゃんの様子を見かねたのだろう。


沈黙ちんもくを破って、せいザンバー=リナの声がやさしく話しかける。


のこちゃんは、その存在をすっかり失念しつねんしていたのか、一瞬ハッとしてばつが悪そうに身じろいだ後、さきの言葉へ甘える様におずおずといた。


聖女せいじょのお姉さん…消えるのは、こわくないんですか?」


『ふむ、せいは、すでに終わったものなのだ。

未練みれんは、おおティハラをった時に捨ててきた。

それに、今のよう偶然ぐうぜん産物さんぶつで、元のたましいからすれば残滓ざんしに過ぎない。

君は、これからの自分のために…本当に些少さしょうですまないのだが、の事を可能な限り利用すれば良い』


「でも、聖女せいじょのお姉さんは、まだこうして話せるじゃないですか…」


『それと、可能ならばその聖女せいじょめて欲しい。

天空の女神リナリーシア様の天啓てんけいみちびかれ、その御心みこころのままに神威しんいしめす旅もすでに過去の話なのだからな』


色々いろいろ面倒めんどうはぶけるので聖女せいじょと呼ばれる事を放置ほうちしていたが、本当は面映おもはゆかったと、せいザンバー=リナの声が生きて活動していた当時をかえって語る。


辛口からくちコメントが多い気がするものの、そんなまっすぐで謙虚けんきょ姿勢しせいこそが聖女せいじょと呼ばれた理由なんだろうなと、のこちゃんは伝説の中で見たその勇姿ゆうしを思い出した。


そう言えば、キラキラネームで苦労していた鈴木すずき先輩せんぱいは、元気だろうか…


「あっ!」


『突然どうした?』


呼び名と聞いて、せいザンバー=リナの声へ、自分がまだちゃんと名乗っていなかった事に思いいたったのこちゃんである。


それに考えてみれば、ティハラザンバーこんなかたちとは言え、のこちゃん自身が変容へんよう承諾しょうだくした上で命を救われたのだ。


そのおれいもしっかり言えていなかったとなれば、それは、おんあだで返すなときお父さんに教えられた、のこちゃんの矜恃きょうじに反する事である。


何より、そんな中途半端ちゅうとはんぱおのれ姿勢しせいを自覚してしまった以上は、自分がゆるせない。


あわてて目元めもとをぬぐい、のこちゃんは、ティハラザンバーを寝台ベッドの上にすわりなおさせた。


「あ、あらためてと言うか、今更いまさらなんですけど…命を救ってくれてありがとうございました。

こうして助けられているわたしの名前は、剣持けんもちとらっていいます。

できれば"のこ"と呼んでください………」


と言っている途中とちゅうで、剣を持った虎の子供ってティハラザンバーそのまんまじゃんとかさねて思いいたったため、のこちゃんはかたまってしまった。


きにしても、何というシンクロニシティだろうか。


『こちらの都合つごうもだいぶあったのだから、れいはいい………のこ、か。

分かった、君が人として生きていたあかしとして、それを知るだけはそう呼びかけよう。

とは言え、おそらくつかの事となるであろうが、ゆるせよ…のこ』


そんなせいザンバー=リナの声でわれに返ったのこちゃんは、せっかくなら前向きかつ友好的な関係をきずきたいので、自分も呼びかけ方を考えたいともうしでた。


じっさんの反応からして、ティハラザンバーの名前は、魔の神獣しんじゅうとそれをった白銀しろがねよろい聖女せいじょ伝説でんせつ由来ゆらいらしい。


前半がおおティハラのことならば、お姉さんの名前がザンバーなのだろうかとたずねるのこちゃんに、かつてのせいザンバー=リナの声は肯定こうていする。


せいザンバー=リナかぁ………ティハラザンバーとかぶるから、ザンバーさんだとわたしが混乱こんらんするだろうしなぁ」


聖女せいじょでなければ何でも良いぞ…のこ』


チャムケアで言えば妖精に当たるポジションだからと、"ザザ"や"ザンザン"、"ンバー"など次々つぎつぎに思い浮かぶ失礼しつれいこの上ない発想を脳内で打ち消しつつ、のこちゃんは頭をひねる。


「ちなみに、リナさんだと?」


『そこは、天空の女神リナリーシア様へおつかえする者の意味で、名前ではないのだ…のこ』


双剣そうけん鎧兜よろいかぶとをくれた神様ですよね?」


ティハラザンバーの身体には、その鎧兜よろいかぶとものが、装甲そうこうとして部分的にまとわれている。


双剣そうけんもティハラザンバーの身体に合わせて大きなかたなへと変貌へんぼうし、今は、のこちゃん専用せんようの押し入れっぽい結界空間けっかいくうかんの中におさまっていた。


『ふむ。

天空の女神リナリーシア様は、はるか天空の高みから地上の生きとし生けるものの平穏へいおんを願い、よこしまなる存在から我々われわれを守ってくださる慈愛じあいの女神なのだ。

かつてのは、それらの神器じんぎたまわり、尖兵せんぺいとして地上の安寧あんねいおびやかすあらゆるモノと戦ってほろぼしていた』


のこちゃんは天空の女神リナリーシアを、記念すべきシリーズ第1作目である『チャムケア!』に登場した、チャムケアの力を主人公へあたえる光勢ひかりぜいの女王みたいな存在そんざいかと想像する。


光勢ひかりぜいの女王と言えば、1作目だと頬杖ほおづえをついた巨大な身体の女神であり、さらに巨大な玉座ぎょくざすわっている姿がCGで背景の様にえがかれていたのだが、初代チャムケアの2作目『チャムケア!Marvelousマーベラス・Howlハウル』の最終決戦では、傷ついたチャムケアを支援しえんすべく敵ボスと真っ正面から取っ組み合ってくれた、シリーズでも特にたのもしい正義側ボスのイメージが強い。


「………それは、見守られていて心強こころづよいですねぇ」


『ふむ!その通りだ、のこっ』


せいザンバー=リナの声が、ほこらし気に相づちを打つ。


本当は"リナさん"ではなく"リナちゃん"の線で良い感じかも!と思っていたのこちゃんなのだが、実際に言ったら不敬ふけいと怒られそうなので、こちらもそっと却下きゃっかした。



せいザンバー=リナの声は、のこちゃんがひとりになってしまった時、ティハラザンバーとしてやっていける様にいろいろと教えてくれると言っていた。


だったら、"師匠ししょう"や"先生せんせい"はさすがにかたすぎるとしても、そちらの方向で考えるはアリなのかなと思うのこちゃんである。


「"監督かんとく"や"コーチ"だと部活みたいだから、"トレーナー"?………う~ん」


寝台ベッドの上にドカリとすわり、腕組みをしたティハラザンバーが低くうなり声をあげている様子は、はたから見ればなかなかの剣呑けんのんさだろう。


本当の所は、のこちゃんがおのれのネーミングセンスに懊悩おうのうしているだけなので、かなりの落差らくさがあるのだが。


『とれーなーとは、どういう意味なのだ?…のこ』


何か琴線きんせんれたのか、せいザンバー=リナの声が、不意にのこちゃんのひとごとへ質問をはさむ。


「あー、誰かを訓練くんれんとかして、そこそこきたえてくれる人、ですかねぇ」


『ふむ、それならば悪くないと思うのだが…のこ』


「え、そうですか?」


いずれ消えると分かっているのなら、軽く役目で呼ばれた方が、気が楽であろうよ。

それは、おたがいにな…のこ』


「そ、そう…ですね」


せいザンバー=リナの声あらためトレーナーがそうしたいと言うのならば、のこちゃんにいなやは無い。


「よろしくお願いします、トレーナーさん」


『ふむ、まかせておけ…のこ』


ただ、のこちゃんが想定そうていしていたものより、少しおもたい感じになってしまっただけである。



その後は、のこちゃんとトレーナーがティハラザンバーの訓練計画くんれんけいかくなどについてあれやこれや話し合っている内に、鎧戸よろいど隙間すきまから光が差しこむ時間になってしまった。


のこちゃんの自己紹介じこしょうかい以降いこうは、腕組みをしたティハラザンバーが寝台ベッドの上に微動びどうだにせずすわり続けていたので、その姿を見た者がいたのならをしているととらえたかも知れないが、実のところ少しもねむっていない。


「あれ?、全然ぜんぜんねむくならなかったから気が付きませんでしたけど、もう朝みたいですね」


『恐らく、おおティハラの影響えいきょうなのであろうな。

つたえ聞いた話では、一ヶ月以上も、ちからの限りあばれ続けていた事があったそうだ。

あるいは、その身に付属ふぞくさせた結界けっかいたくわえられている余剰よじょうちからきさせるまで、休息きゅうそくは無用なのかも知れぬがな…のこ』


「でも、それがきたらトレーナーさんも消えるって言ってませんでした?」


『ふむ、いつかは消えるのだ。

その時が早まるだけなので、あまり気にしない様に…のこ』


「いや、ダメじゃないですか!」


見知らぬ世界で傭兵ようへいをやらされるにしても、戦いにおいての指導しどうはともかく、メンタル的に無条件でってくれるトレーナーのフォローがあると無いとでは大違おおちがいだろう。


一息ひといきついて冷静れいせいになった今、神獣しんじゅうおおティハラ由来ゆらいのパワーをめているとは言え、れないティハラザンバーの身体ひとつで無計画に突き進み、この先無事ぶじごせるとのこちゃんにはとても思えない。


今後ティハラザンバーとして生きていかざるをないのこちゃんにとっては、トレーナーに少しでも長く存在そんざいつづけてもらう事が、必要ひつよう不可欠ふかけつとなってしまったのだ。


なるべく消耗しょうもうけるべく、次からは、回復の機会きかいのがさない様に心がけることをきもめいじたのこちゃんである。


とは言え、ねむくならないのはわなだよなぁと、心の中で愚痴ぐちってしまうのは仕方がない。



夜が明けてしばらくすると、ジャガーの獣人じゅうじんベニアが、約束した通りに部屋へたずねてきた。


今日から正式にティハラザンバーが魔刃殿まじんでん活動開始かつどうかいしするに当たって、何処いずこかへ顔を出さなければならないらしく、そこへはベニアが案内してくれるという話である。


昨日きのうの毛並みがよく見て取れるトレーニング姿とちがって、ベニアは、パニアに近い体へピッタリとした濃い朱色しゅいろの服で上下をそろえていた。


足下あしもとはストレートのブーツであり、これなら"ブーツ状になっているティハラザンバーの足"も不自然ではないだろうと、ひそかに安堵あんどするのこちゃんである。


「おはようございます、ベニアさん」


「おはよー、えーと…トマトザンネン」


「誰がトマトで残念ですかっ」


「トマトってなに?」


「ベニアさんが言ったんでしょう!」


「あ、そうかー」


面白いねぇと、ベニアがけらけら笑う。


「ティハラザンバーですよ………おぼえづらいなら、オマエとかアンタとかでも良いですから、テキトーに言いえるのやめてくださいね」


正直な所、のこちゃんにしても、ティハラザンバーの名前へ思い入れは無い。


だからと言って、さらに別の名前で呼ばれていたら、訳が分からなくなって混乱こんらんする事は必至ひっしである。


実際、昨日きのうは、じっさんに呼ばれてもしばらく自分の事と気が付かなかった。


「あははは、ごめんごめん、ティハラザンバーだよね。

もう忘れないから安心して…でも、アタシにそんな丁寧ていねいな話し方しなくて良いよ?

前にも言ったけど、猫系うちから育成組いくせいぐみに行くのって、今はアタシとティハラザンバーだけなんだから、相棒あいぼうみたいなモノでしょ!」


楽しそうに話すベニアの調子に、のこちゃんの気分もつられて軽くなる。


「うん、分かったよ、ベニア」


「あと、パニアおばさんから、これをあずかってきたよ!」


ベニアは、かかえていた麻袋あさぶくろの様な、頑丈がんじょうそうなつつみをティハラザンバーへ手渡てわたした。


ここでは何もかもが頑丈がんじょうそうなのだろうかと、のこちゃんは、受け取ったつつみを見ながら素朴そぼくに思う。


「これは?」


「パニアおばさんが若い頃に使っていた、上着うわぎとズボンだって。

かなりダブダブなサイズを着たい時期があって、その頃の物だからティハラザンバーにも入るんじゃないか?って言っていたよ!」


どうやら、若い女の子がずっと背中とおしりを丸出しなのは如何いかがなものかという、パニアの気遣きづかいらしかった。


「………ありがとう」


丸一日をごしてしまった後で、白銀鎧しろがねよろいおおわれていても、他所よそから見るとおしり丸出しだったのかと、なかなかの衝撃しょうげきを受けたのこちゃんである。


『人間の感覚では、分からぬ事もあろうな…のこ』


そして、何気なにげなく入る、トレーナーのフォローが身にしみた。



その上着うわぎとズボンは、黒に近い濃紺のうこんが時間の経過けいかで色落ちした感じで、何かのかわを素材に上下セットであつらえられた物の様だった。


ティハラザンバーの巨体が上着うわぎそでを通せば、ゴワつきがあったものの大きすぎず小さすぎずで、なんなく着用ちゃくようはできる。


ただ、袖口そでぐちはアームカバーがあるひじまでで通過つうかさえぎられ、白銀鎧しろがねよろい本体の立体的な構造こうぞうって前も閉められない。


ズボンのすそも同様にブーツの形になっているひざ部分でせき止められたものの、肝心かんじんなおしりは白銀鎧しろがねよろいごとスッポリと入りベルトで固定できたので、上半身はともかく、当初とうしょ目的もくてき達成たっせいできたと言える。


「おお、このカラダにつんつるてんじゃないのは、スゴイかも…」


着終きおわった身体をひねったりしゃがんだりさせて具合ぐあいを見たところ、白銀鎧しろがねよろい邪魔じゃまにもならず、のこちゃんの感覚では特に問題もなさそうだ。


「どうかな、おかしくない?」


「カッコイイよ!

………でも、パニアおばさんにもこんな格好かっこうして意気いきがっていた時代があったのかと思うと、何か不思議ふしぎだよ」


そんな事をしみじみと言うベニアに、意気いきがってる格好かっこうって何、不良っぽいってこと?と、のこちゃんは目を丸くした。


それは、亡くなったお父さんがやくざ者だった事で小学生の頃に良からぬうわさが立ち、クラスでお友だちができなかった経緯けいいから無意識むいしき警戒心けいかいしん喚起かんきさせてしまう、ちょっとしたクセの様なものなのだろう。


確かに、のこちゃんの嗜好しこうからすれば、派手はでさや独自の着崩きくずしといった自己主張じこしゅちょうの強いファッションは、敬遠けいえんしがちだった。


とは言え、忌避きひしたり拒否反応きょひはんのうを起こすほどでもなかったのは、特撮ヒーロー作品の主人公"吉祥寺きちじょうじてつ"の影響えいきょうを受けて、かわジャンに興味きょうみを持つくらいだった事からも分かる。


何より、現在にいたってはティハラザンバーの身体なので、すでに前提ぜんていちがう。


瞠目どうもくしたのも一瞬いっしゅんで、不良と言えば、シリーズ4作目に当たる『OK!チャムケア4!』の主人公たちのモチーフが、所謂いわゆるヤンキー物の人気マンガ『鎌倉爆走組かまくらばくそうぐみ』だったんだよなぁと思い出し、すぐにのこちゃんは目を細めた。


そして、おしりがかくれたんだから、まぁ良いかと流してしまった。


チャムケアさえ連想できれば、のこちゃんとしては、あらゆる事象じしょう許容範囲きょようはんいなのかも知れない。



――――――――――――――――



「それで、どこへ顔を出しに行くの?」


のこちゃんは、道すがら、案内してくれているベニアにたずねた。


「あー、うん………今回の育成組いくせいぐみ面倒めんどうを見てるのが破壊牙々はかいががあたまでねー、じっさんと同じで、魔刃殿まじんでんはじめの頃からいる長老格ちょうろうかくの一人なんだけど…何かと言えば、じっさんとめるじじいなんだよ。

それでねー………」


「はかいがが?」


破壊牙々はかいががおおかみ系のクラスターだよ。

それであたまがそんなのだから、猫系うちとはいが悪くてねー…

ティハラザンバーの事も、本当に育成組いくせいぐみ相応ふさわしい者かどうか直々じきじきに試すって言い出したんだよ。

でも、それ、じっさんがしたってのが一番の理由だと思うんだよねー………」


これまで屈託くったくなくきっぱりとした口調くちょうだったベニアが、言いづらそうに、歯切れも悪く説明をする。


ようは、昨日きのうじっさんに仕掛しかけられた様な事が、また別の者からくり返されるらしいという話であった。


軍団どうしの派閥はばつあらそいがあるとやはり悪の組織っぽいよなとみょうな感心をしつつも、また痛い思いをしなければならないとあって、のこちゃんの足取りはおもくなる。


『ふむ、間断かんだんなく強者つわものあいまみえる機会きかいるとは、なかなか幸先さいさきが良いな…のこ』


時間は限られているのだから、これも貴重きちょう経験けいけんになろうと、ウキウキとしたトレーナーの声が聞こえても気持ちはまったく上がらない。



のこちゃんが案内されたのは、別棟べつむねの建物で、やはり高い天井てんじょうと大きなかべだけの殺風景さっぷうけいな広い部屋だった。


恐らく、魔刃殿まじんでん施設しせつには、こういった訓練くんれんに使えそうなスペースがあちらこちらにあるのだろう。


そして、ここのかべには、金属製のフラットな鏡面きょうめん部分があった。


最初に通された部屋で見た物と同じくらいの大きさである。


のこちゃんは、早速さっそく上着うわぎとズボンを着用ちゃくようしたティハラザンバーの姿をうつす。


確かに、アームカバーとブーツの箇所かしょではそですそがぐしゃりとしているものの、どちらかと言えば怪人かいじんよりも獣人じゅうじんかな?という印象になっていた。


「おお、服の効果こうかって、バカにできないんだなぁ」


『ふむ、高貴こうきな者であろうとまずしき者であろうと、人としての尊厳そんげんを守る一線が、そこにはひとしくあるのだな…のこ』


おしり丸出しの件は、トレーナーも気にしていたらしい。



「ほら、ティハラザンバー、アイツだよっ」


ベニアがうながした部屋の中央に立っていたのは、おおかみおぼしき獣人じゅうじんの男である。


ティハラザンバーに近い長身だが、じっさんや同じおおかみ獣人じゅうじんのタレンと比べると、だいぶせて小さく見える。


ただ、背筋のびた自然なたたずまいであり、つやのあるうすい水色の毛並みが顔をおおっているため、パッと見た限りではその年齢ねんれいがよくわからない。


モノトーンのやわらかそうな生地きじを使い、たけを長くあつえた詰襟つめえりの服をゆったり着こなすその姿は、武人ぶじんと言うよりもまいう者の様なみやびやかさがうかがえた。


おおかみ獣人じゅうじんのクラスターである破壊牙々はかいががひきいるというその男は、満月の様な色のひとみで、静かにティハラザンバーを見据みすえる。


『ほう…これは…』


トレーナーが、言葉こしばすくなに、感嘆かんたんつぶやきをもらした。


そんな雰囲気ふんいきかもされては、やはり相当な実力者なのだろうなぁと、のこちゃんも観念かんねんするしかない。


「よく来たな、ティハラザンバー…であったか?」


それは、しわがれつつも、輪郭りんかくのハッキリとしたよく通る声だった。


「あ、はい、よろしくお願いします」


のこちゃんは、剣道教室の先生へする様に、思わずれいをした。


「うむ、礼儀れいぎを知るのは、上出来と言えるか………耳にした素行そこう多少たしょうちがいがある様だが、まあ良い。

われは、おおかみ系の者たちの面倒めんどうを見ている、老矛ろうぼうという。

口さがない者は狼牙棒ろうげぼうなどと言うらしいが、それをだまらせるくらいのちからはあるつもりだ」


「はぁ…」


初対面しょたいめんの時のパニアと似た様な事を言われたので、どんなうわさっているのか、想像すると不安になってくる。


それはともかく、なるべく痛い思いをけたいのこちゃんは、不意の攻撃にそなえ、また意識を自分の周囲しゅういへと拡大かくだいして視野しやを広げる。


しかし、じっさんレベルの相手に対した場合、これもやらないよりはマシくらいな事でしかないと思うと、少し涙目なみだめとなってしまうのだが。


「フフッ、そんな顔をするな。

われが今期の育成組いくせいぐみあずかっているのでな、ここへ呼んだのは、お前の素養そよう見極みきわめるためで、この手でやたら痛めつけるつもりは無いのだ。

白獅子しろじしのヤツと一緒いっしょにするでない」


そう言うと、老矛ろうぼうは、ティハラザンバーとベニアが入ってきた所とは別の出入り口に向けて手招てまねきをする。


そこからは、また別のおおかみ獣人じゅうじんが姿を見せた。


われの弟子でな、あの者がお前の相手をする」


それは、ベニアと同じくらいの背丈であろうか、訓練用とおぼしき軽装けいそうの服で身を固めた、光沢のある灰色の毛並みが印象的な女性だった。


しっぽも同様にピカピカモフモフで、のこちゃんは、ちょっとさわってみたくなる衝動しょうどうを必死にこらえた。


あいつかーと、ベニアがつぶやいている所を見ると、知り合いらしい。


老矛ろうぼうの横へ辿たどいたそのおおかみ獣人じゅうじんの女性は、のこちゃんへ向かって、胸の前に両手を合掌がっしょうさせる。


「セイランだ………うわさは聞いている。

強い者は歓迎かんげいするっ」


琥珀色こはくいろひとみをまっすぐに、簡潔かんけつにものを言う姿勢しせいは、いかにも質実剛健しつじつごうけんそうである。


「ティハラザンバーです…」


のこちゃんは、れいをするにも頭を下げるより合掌がっしょうの方が良さそうなので、セイランのそれにならう。


その様子を見て、老矛ろうぼううなずいた。


「相手の事も、よく観察かんさつする…か。

確かに、白獅子しろじしのヤツがすだけの事はあるかも知れぬな…」


さて、と老矛ろうぼうは、のこちゃんへ話しを続ける。


「お前は、白銀しろがねよろい聖女せいじょ伝説でんせつ傾倒けいとうして、双剣そうけん得物えものとするそうだな?」


正直な所、竹刀しないしか使った事ないけど、よろいとかと一緒いっしょに何かひきいでましたとは言えずに、ええまぁと曖昧あいまいな返事をしておく。


「この場では使わず、立ち合いは、徒手としゅのみとせよ」


ん?と、のこちゃんはかった。


確かに、これといった能力やすごい経験のないこの身一つとなれば、たよりない事この上ないから徒手空拳としゅくうけんではあるのだろうけれど………


『ふむ、こやつは、素手すでで戦って見せよと言っているのだ…のこ』


「ああ、素手すでか!」


「体の動きだけでも素養そようは知れよう。

セイランもそのつもりで相手をする様に…なるべく、ちからを引き出してやりなさい」


「はい、老師ろうし


セイランが老矛ろうぼううなずく。


「あー、でもわたし格闘技かくとうぎは、やった事無いんですよねぇ、トレーナーさん」


小さな声でのこちゃんがうったえると、これも経験だと、トレーナーは応じる。


『これまで通り相手の意識の流れを見る事それ自体は変わらぬのだから、みずからの身体をどう動かすのか、できる限りイメージをつかむのだ。

れてきたら、こちらからも手を出して、相手の何処どこへどう攻撃するのかを咄嗟とっさに組み立てられる様にこころみる。

さすれば、今後の剣を使う戦いにいても、必ず有用ゆうようとなろう…のこ』


具体的ぐたいてきな取り組み方を聞いて、相変わらず説得されてしまうなぁと、変な感心をするのこちゃんである。



「では、双方そうほうかまえよ…」


適当てきとうな距離にセイランとのこちゃんを対峙たいじさせると、老矛ろうぼうは、立ち合いを開始かいしさせる。


「はじめっ」


緊張きんちょうしつつも、すぐ意識を自分の周囲しゅういへと拡大かくだいして視野しやを広げるのこちゃんに対し、ずはおおかみ獣人じゅうじん俊敏性しゅんびんせいを生かした飛び込みで、セイランが距離きょりちぢめた。


続けて、左右さゆうこぶしとバネの様にね上がるりが、一息ひといきにのこちゃんをおそう。


「わっわっわっ…」


のこちゃんは、セイランのはならめきの流れを見れていても、その機動力きどうりょく瞬発力しゅんぱつりょく翻弄ほんろうされ、ギリギリけるのが精一杯せいいっぱいだった。


セイランの身体は、コマの様に身体を回転させて間断かんだんなく攻撃をすその間、一切いっさいぶれる事がない。


それは、ふわりとちゅうった際も同様である。


その美しい身のこなしから、らめきの流ればかりに注意していたのこちゃんの視界しかいを、一瞬いっしゅん何かでうばう事を成功させた。


セイランの意識に関係せず躍動やくどうする、獣人じゅうじんのしっぽである。


間髪かんはついれれず、鋼鉄こうてつをもくだくがごときセイラン必殺の後蹴うしろげりが、ティハラザンバーに到達とうたつした。


大きな打突だとつ衝撃しょうげき派手はでにはね飛ばされるティハラザンバーの身体は、空中でバランスを取りつくろって、何とか足からの着地を果たす。


同時に、セイランも音もなく着地し、感心した様にほうと息をいた。


「ひーっ」


ちなみに、これは、のこちゃんの悲鳴である。


力強いらめきの流れに対し、のこちゃんは、かろうじて腕を交差こうささせて攻撃をふせいだのだ。


ティハラザンバーの胴体へセイランのりは届かなかったものの、両腕に残るしびれが、アームガードを通してダメージが入っている事を証明していた。


つまりその悲鳴は、こんなのしのぎ続けられるか!という、のこちゃんの心情が吐露とろされたものだろう。


そのまたたく間で交わされた両者の攻防こうぼうに、老矛ろうぼうは満足そうにうなずき、ベニアも目をみはる。


「さあ、二人とも、つづけなさい」


老矛ろうぼうが、立ち合いの続行ぞっこううながした。


のこちゃんの絶望は、言うまでもない。

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