第8話 アレンの本気、そして焦燥感

 「そんなの反則だろっ!!」


 悲鳴に似た声を上げながら徒手空拳でレオはアレンへと殴り掛かる。手持ちの武器が遥か上空まで飛ばされてしまったからこその苦肉の策。剣を失った時の対処法はアレンから教わっており、自分の体を武器にした近接戦闘はある程度修めていた。腰が入っている良い拳だった。だが、相手が悪すぎる。


 「ぐはっ」

 「思い切りの良い判断だ。だけれど、本当に他の手がないか考えたかい?」


 レオは体を強かに背中から地面に打ち付け、衝撃によって肺から空気が勝手に抜け出す。空一面をバックにして自分を見下ろしているアレンを見た時、レオは自分が投げ飛ばされたのだと知った。それと同時に、からん、と上空を飛んでいた木剣が地に落ちる。

 フィオはようやく混乱から立ち直った頭で、離れた場所からアレンを警戒する。捉えることのできない恐ろしい速度。今の自分では反応すらできない。だけど、お爺様は何と言った?気とは追い詰められた時にこそ、その力は真価を発揮する。ならば、今この時こそがその瞬間ではないのか。


 (私が、私たちがお爺様に応えるんだ!!)


 体中がかっ、と熱くなる感覚と共にフィオは目を見開いた。けして目の前の事から目をそらさぬよう、そして逃がさぬよう、その眼で全てを捉える。到底抗えぬ力を目にしたとしても、それでもなお抗う事を選択する。託された思いがある故に、そしてその思いに絶対に応えたいが故に。少女の思いは昇華してゆく。その身に不思議な感覚を宿しながら。


 (これは………!?)


 初めに感じた違和感は、視界であった。こちらに体を向けて無造作に剣を手にしているアレン。そしてそこを始点として、薄い影のようなアレンがこちらに走り寄ってくる姿が幾重にも見えたのだ。わけのわからない光景に理解が追い付かない。だがフィオは、本能的にそれがなんなのか感じ取っていた。これはアレンの軌跡なのだ、と。


 (………くる!!)


 軌跡は左右、そして正面から伸びており、一番濃い影だったのは正面だった。フィオはそこにくると直感的に判断し、正眼に構えて迎え撃つ。

 果たして、アレンはまるでその影をなぞったかのように爆発的な加速で正面からフィオへと接近し、その剣を振るった。見える。その全てが。捉える事ができなかった姿が白日の元に晒される。だがしかし、目に見えたとしてもフィオはその動きに完全に対応する事が出来なかった。


 「っっくぅ!!」


 必死にその攻撃に合わせた剣は容易く弾かれる。明らかなパワー不足。それに剣を振るタイミングが遅すぎた。アレンの攻撃が見えていたとしても、フィオの体が追い付いてくれていない。


 「素晴らしい反応速度だ。ただ剣を置いていたわけじゃない。合わせてきたね?」

 「私だって、負けてばかりはいられませんから!!」

 「良い気迫だ。だからそれが一時のものでないと、僕に教えて欲しい」


 付かず離れず、アレンはフィオに容赦なく斬撃を振るう。接近戦となるとフィオに見えているその軌跡も追うのがかなり困難なものとなるが、必死に食らいつく。フィオの防戦一方の展開。目まぐるしい攻撃をフィオは懸命に捌いていた。


 (これは………目、か。フィオの目だけが僕の動きについてきている)


 気という力はその人の性質によって形を変えるという。時には、特異な力を宿すこともある人族に秘められし力である。フィオの変化をアレンはすぐに看破する。動きが見えているだけではない、先を見据えているかのような反応速度。

 恐らく、常人とは違う世界をその眼に移しているのだろう。気の力に目覚めたばかりの雛鳥ながらも、産まれたばかりのその翼で飛翔しようと必死にもがくその姿に、アレンはただただ胸が熱くなる。

 それでもアレンは手を緩めることは一切しなかった。手心を加えようなどと、一体どうしてそう思うだろうか。例え自分のこの行為が雛鳥を地へと叩き伏せるような事になったとしても、激しい剣戟の中でもその目だけは、その瞳の中の炎は、揺らぐことなくアレンを一心に見つめているのだから。


 「っ?」


 油断も容赦すらなく、フィオと剣を打ち合い続けていた最中、アレンは攻撃を中断して大きく後ろに飛び去った。一瞬遅れて、その誰もいなくなった空間に木剣が薙ぎ払われる。豪快な一振り。レオだ。


 (まだ倒れているものと思っていたが………)


 アレンはフィオだけでなく、この場にいる全てを研ぎ澄まされた超感覚で捉えていたが、レオの気配はもっと離れている位置にいたはず。あの距離から一気に加速したというわけだろうか。想定していた以上の速さだ。さっきまでのレオの速さが一とすると、今は十以上の速さである。明らかな異常。いや、これは成長か。


 (フィオが目とすると、レオは足といったところか)


 冷静にそう分析するアレンだったが、その間にもレオが驚異的な加速でアレンへと斬りかかる。地面を抉る様に残るレオの足跡がその力強さを証明していた。


 「うらぁぁぁあああああ!!!!!」

 (レオの怪力も相まってこの速度からの一撃は脅威だ。受けきれない。しかし………)


 まだ得たばかりの力を扱いきれていないのだろう。速度こそアレンに迫るほどの速さがあるが、直線的過ぎる攻撃であまりに読みやすい。身をひねる事で容易く回避し、レオは反撃を嫌ってかすぐさまその足で離脱していく。一撃離脱。さすがのアレンでも逃げの一手をとられたら追撃もままならない。このままその戦法を繰り返し、自分の得意な間合いで戦う算段だろう。

 だが、アレンは一度でその動きを見切っていた。次のタイミングで強烈な一撃をカウンターで叩き込もうと画策する。しかし、そうはさせまいとフィオがその隙を埋めるように立ち回っていた。


 「私がそっちに合わせるからレオ!!思いっきりやってきなさい!!」

 「おうよ!!!」


 フィオはアレンのみならずレオの動きも同時にその目で捉え、影の軌跡がはっきりと見えていた。抜群だったコンビネーションに加え、更に正確に緻密に、アレンを攻め立てる。レオが先陣を切って突撃し、例えその刃を防がれたとしても、二の太刀であるフィオがその後を引き継ぐ。

 アレンに反撃の糸口すら与えない絶え間のない連撃。音を置き去りにするかのようなレオの速力、そしてフィオの全てを手中に収めるかの如き空間把握能力。たちまち逆転する立場。ただの一太刀でもアレンに届くようにと奮起する二人は、限界を越えた力を引き出していた。


 (勝負は拮抗。いや、どちらかといえば僕が押し負けている)


 目まぐるしい攻防が繰り広げられている中で、アレンは落ち着いた頭で考える。速度ではレオとアレンは同等ではあるが自由に動けるレオに対し、アレンは二人の攻撃によってその場で縛り付けられている。技術ではアレンが上をいっているが、フィオの先を読む目が厄介だ。二手、三手先の手を読まれて非常に動きにくかった。それに二人はこの戦いの中でも恐るべき速度で成長している。いずれこの状況も破綻してしまう事だろう。


 (あぁ、二人ともこんなに強くなったんだな。僕はそれがとても嬉しい。僕がやってきたことは子供たちの力になっているんだ)


 負けそうになっているというのに、アレンは思わず笑みを浮かべてしまいそうになっていた。必死に自分に挑みかかっている二人を目の当たりにして、その成長を目にして、感動で身が震えるようだった。このまま二人が成長し続ければ、きっと自分なんかすぐに越えて確固たる強さを手に入れる事だろう。その未来がなんとも待ち遠しい。アレンはそんなことを本気で思っていた。


 (だけれど、それは今じゃない)


 アレンは強引に剣を振るい、二人をどうにか引き離して距離をとった。フィオは言わずもがな、レオもその足で容易く避けて、離れた位置で静かに機を狙っている。あれだけ激しい動きをしたにも関わらず、二人の呼吸は落ち着いている様子だった。気が馴染んできた証拠だろう。

 対してアレンは直撃こそどうにか防いでいたが、大きく体力を削られていた。全力で動けるのは、あと数刻か。勝負は終幕へと向かっていた。


 「はぁ、はぁ。老体に鞭を打ったけど、なかなかに厳しいね。レオ、フィオ。本当に強くなったね」

 「褒めても何もでねぇぜ?じいちゃん。勝負は勝たせてもらう」

 「私たちを認めてもらうまで、もう挫ける事も、止まることもありません。だから覚悟してください、お爺様」

 「認める、か………。本当は最初から認めているんだけどね」


 ぽつりと呟いたアレンの言葉はその場にいる誰にも聞き取る事は出来なかった。

 風に攫われる言葉を捨てて、アレンは気の力を全身に巡らせる。その様子を見たレオは直感で危険と判断し、考えるよりも先に体が動いてアレンへと突貫していた。

 加速のエネルギーとレオの強靭な膂力から繰り出される上段からの一撃を、アレンは今まで一度としてとらなかった選択肢をとった。その一撃を受ければ、自分の武器が破壊される可能性が高いと感じていたからこそ、とらなかった選択肢。

 すなわち、真っ向から迎え撃つという力と力のぶつかり合い。避ける事すらしないアレンの思わぬ行動にレオは一瞬顔を曇らせるが、半端に止めれば逆に危険になると判断する。本能が警笛を鳴らす中、その一撃を振り下ろした。


 「空牙裂昇」


 瞬時に練りこんだ気は莫大な力へと転換する。腰に留めていた剣を溜めていた気と共に放つ神速の抜刀術。アレンの木剣は気を纏って光り、美しい軌跡を描きながら半円状に斜め上に斬りあげられた。衝突する力と力。だがそれは力比べすら出来ない一方的な展開となる。


 「なんだよ、そりゃあ」


 束の間の交差。レオは剣を振りぬいた態勢で乾いた笑いを浮かべて、自分が持っている剣だったものを眺めた。一度目は自分の力を利用されて地面に叩きつけてしまい、剣が半ばから折れてしまった。まだそれは理解ができる光景だった。

 だが今レオが持っている剣はまるで鋭利な刃物でも使われたかのように切断され、綺麗な断面を覗かせている。一体どうすればこのような芸当ができるのか、レオには理解が出来なかった。


 (とても綺麗な太刀筋と光………。あれがお爺様の本気の剣技)


 ごくりと、喉を鳴らす自分を意識しながらフィオは駆けだした。あんな事をされれば、剣を合わせることすらできない。フィオの目をもってしても影の予兆すら見えず、今の技は見切ることが出来なかった。回避不能、受けることすら不可能な必殺の一撃。


 (だけど、あれには時間が必要になるはず!!今のお爺様には気の力が消えているっ)


 フィオはいつの間にか他人が持つ気の力も感じられるようになっていた。感知能力とでも呼べばいいのだろうか。これを機とみたフィオはすかさずアレンへと接近して、溜めの時間を与えない。


 (後ろへと下がる!?逃がさない!!)


 影の軌跡はアレンが後ろに下がろうとしている事を教えてくれていた。その場から後退しようとするアレンを、先んじて追撃するフィオ。しかし、あと一歩の所で後退を許してしまう。レオと遜色のない逃げ足で下がられては、さすがのフィオも追いすがることは難しい。それでもまた同じ技を使われては、手も足も出す事が出来なくなってしまう。


 「ご覚悟をっ。お爺様!!」


 フィオのアドバンテージは先を見据えられる事。一手先を事前に知る事で、次の行動を最適化することが出来る。例え逃げられたとしても、影を捉えられているのなら絶対に逃がしはしない。


 (えっ)


 しかし、フィオはそこで不思議な光景を目にすることになる。アレンの薄い影がまだ距離も離れているというのに、その場で剣を振るっていたのだ。そこに誰もいるはずがない。まさか自分の能力がばれていて、先の先をとられた?それでもタイミングとしては早すぎる。様々な憶測がフィオの頭の中に浮かんでは消える。果たして、アレンのその意図とは。


 「水月」


 静かにアレンは呟き、そしてフィオが見た薄い影と寸分違わぬ動きで、誰もいない空間に剣を振るった。フィオにその一撃がかすりもするはずはなく、だかしかし、フィオは寸での所でそれに気づく事が出来た。

 気だ。剣から気の刃が飛び出している。気を感じ取る力がなければ、それを認識すら出来ないであろう不可視の刃。飛翔する剣気に驚いたフィオは慌てて防御に徹する。


 「くぅぅぅっっっ!!!」


 実体のない攻撃であるはずなのに、なんと重い事か。アレンが放つ斬撃に勝るとも劣らない強力な一撃。非力なフィオでは押し返す事ができず、どうにか軌道を逸らせる事で難を逃れるしか手がなかった。


 「今の一撃を防ぐか。フィオ。君は特別な目をしているようだね」

 「………特別かどうかはわかりませんが、お爺様の動きと気が私には見えていますので、後れを取ることはありません」

 「なるほど。気が見えている、か」

 「なんだよそれ。そんな便利な力があるなら俺にもくれよ」


 一旦、仕切り直しとなった場でレオとフィオは付かず離れずの距離でアレンへと再度対峙する。その様子から諦める気は毛頭ないようだった。例えバターのように剣が容易く断ち切られたとしても、例え見えざる斬撃が飛んで来ようとも、その瞳に宿る炎はけして消えない。何度でも何度でも、アレンへと立ち向かう強い意志を宿していた。


 「へへっ。じいちゃん。そんな隠し玉もってたのかよ。わくわくするな!!もっと俺たちに見せてくれよ!!」

 「レオは早く代わりの剣を貰ってきなさい。諦めているわけじゃないんでしょ?」

 「とうっぜん!!むしろここからって感じだ!」


 アレンは密かに安堵する。これが正真正銘の今の自分の全力である。彼岸の戦力差から心が折れることをアレンは心配していたのだ。ただそれも杞憂だった。これで後顧の憂いもない。全ての技を見せよう。全ての力を見せよう。未来に羽ばたく子供たちの為に。少しでも糧となるように、ただただ、真摯にそう願う。


 「…………」


 そしてレガードはその歴史の目撃者となる。例え自分があの場所に行けずとも、その光景だけは片時も目を離さず、網膜に焼き付けて一生の記憶に残る様に。もはや言葉も思いもいらない。記憶にとどめる事だけが最善の事であるとレガードは感じていたのだ。


 だけれど。だけれど、その時のレガードは何故か、焦燥感を感じていた。憧れや嫉妬に似た焦がれではない。何故だかわからない。意味の分からない、余計な感情だと思いつつも、時が経つにつれそれが増していくのだ。アレンを見ていると募るその思いは何処から来るのか。

 この戦いが終わりを迎えるその時になっても、ついぞその正体がわかることはなかった。

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