第7話 英雄と呼ばれた者の力

 (息が、苦しい。世界がとても遅く感じる)


 極限の集中の彼方。フィオは研ぎ澄まされた感覚のみで戦っていた。まるでそれは本能で戦うレオのように。戦略的に立ち回り、自分の有利になるように戦いをすすめる自分は何処にいったのだろうと笑いたくなる。だが、それはきっと正しい。考えているだけでは、目の前の壁は超えられない。


 「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!」


 裂帛の気合を持っての上段からの打ち下ろし。過去、最高ともいえる一撃をアレンに受け流される。これで何度目だろう。戦いが始まってからもうどれだけの時間が経ったのだろう。不意に浮かぶ雑念を振り払い、崩れた態勢を無理やり立ち直らせ、ほぼ反射で剣を横に立てる。


 「ぐっ」


 押し殺した声が思わず漏れてしまうほどの重い一撃が、フィオを襲った。アレンによる反撃である。みしみしと嫌な音を立てる剣を尻目に、その威力を利用して自ら吹き飛ばされることによって衝撃をある程度、受け流すことに成功した。

 もしまともに受けていれば、その時点で剣が破壊されていただろう。空中に浮いた体を制御して、地面に着地する。距離は離されたが、アレンが追撃してくる事はなかった。


 (まだ。まだ終わらない。まだ、何も見せてない!!お爺様に、私をっっ!!!)


 フィオはその場で立ち止まることをよしとせず、再び突貫する。吐息の熱さに呼応するように、フィオの攻撃は苛烈さを増していく。弾かれ、受け流され、避けられても、次の一手を常に展開してゆく。無限の舞踏。フィオはけして止まることがない。この思いをアレンに届けるまでは。自分の意志の剣を、その在り方を、アレンに見せるまでは!


 「フィオっ。いい気合じゃねぇか!!だったら俺だって、寝てなんかいられねぇよな!!」

 「レオ!?」


 全身をアレンによって叩きのめされ、再起不能だと思われていたレオがいつの間にかフィオの傍に立っていた。アレンに向かって真っすぐに剣を構え、不敵に笑うレオ。その様子からは空元気ではない、力強さを感じる。


 (レオはアレン様の言葉を聞いて、心を燃え上がらせて立ち上がった。大きな怪我はしていないけれど、体中が痛いだろうに)


 レオが走り去った後、その場に残っていたレガードは眩しそうにその背中を見送っていた。フィオとアレン。二人が激闘を繰り広げている間に、レガードはレオの介抱に向かっていたのだ。

 急いで走り寄ってからレガードはすぐに気づいた。激しく打ち付けられていたように見えていたが、その実、ほとんどレオが怪我をしていない事に。

 介抱をしている最中、レオは二人の会話を聞いて、唇をぎゅっと噛み締めた。どんな思いでアレンがこの戦いに挑んでくれたか知ったからだ。痛む体を押しながら、レオはレガードにすぐに武器の代えを用意してくれるように頼む。その瞳は爛々と輝き、闘争心で溢れていた。


 (私にはこれぐらいしか出来ない。後は無帰任に応援する事ぐらいしか………だけど、嗚呼)


 「レオ!!本当にちゃんとやれるんでしょうね!!足手まといになるなら、いらないわよっ」

 「ずっと動きっぱなしでそろそろ体力やばいんじゃねぇのか、フィオ!!そこを俺に譲れよっ!!!」


 軽口を叩きながらも先ほど以上に見事なコンビネーションを見せる二人。何よりもその気迫が違う。敵わないと知りつつ、剣を振るっているわけではない。絶対に勝ってやると、微塵も自分の負ける姿を想像すらしていないような表情。レオも加わり二対一になって更に戦いが激化していく最中、レガードは力一杯に拳をぎゅっと握る。不安、心配、焦り。様々な思いがレガードの中を駆け巡る中、一際、強い思いが存在していた。それは焦がれ。


 (どうして私はあそこにいないのだろう)


 わかっている。自分の力量など。例え体調が万全だったとしても、アレンにも、そしてレオとフィオにも敵わないという事も。だけれど目の前のこの光景を見せつけられて、思ってしまったのだ。自分も、と。あの剣戟の音が絶えない戦いの中に、自分も、と。見ている事だけしかできないだなんて、悔しくてたまらなかった。


 そんなレガードの思いも知らず、場面は転換していく。徐々に、ほんの少しずつではあるが、レオとフィオの二人がアレンを押してきていたのだ。直撃は一度としてないが、剣を使って受け流すでもなく防御する事が増え、荒い息さえついていないものの、額に流れる汗がアレンも確かに疲労しているという事を示している。反撃すらできずに押される一方だったアレンに、二人は食らいつけているのだ。


 「そこですっっ!!!」


 フィオが全身のバネを利用した渾身の突きを放つ。回避する事が出来ないと瞬時に判断したアレンは、絶妙なタイミングで剣で受け流した。だかしかし、そこで誤算が発生する。その威力である。完全に勢いを殺すことが出来ず、体が泳いでしまった。思わず目を見張ってしまうアレン。


 「レオ!!!」

 「はぁぁぁあああ!!!!」


 訪れたチャンスを逃すまいと、フィオが大声をあげる前からすでにアレンの懐に潜り込んでいたのはレオである。その一撃に全てを賭けるように、腰溜めしていた剣を豪快に横に薙ぎ払った。常人であればけして防御が間に合うはずのないタイミング。だが彼は幾度となく死線を潜り抜けてきた英雄である。巧みな足さばき、体重移動、己の手足のように動かせる剣を持って、不可能を可能とした。


 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 静まぬ息をつくのは子供たちだった。アレンは先のレオの一撃を受けて、大きく後退させられていた。それはこの戦いが始まって初めての事である。レオとフィオの猛攻をしのぎ続けていたアレンが初めて見せた後退。

 思わず二人で見合ってにっ、と口角を上げてしまうのも仕方のない事だろう。無論、これで浮かれて油断する二人ではない。大きな一歩を踏みつつ、更に足を進めようとするだけだ。邁進し続けるその意志をしかとアレンは感じ取り、二人へと話しかけた。


 「驚いた。フィオの突きを僕は完全に受け流せると思っていたのに、勢いを殺し切れなかった」

 「ただの突きではお爺様に通用するとは思っていませんでしたので、戦いの中でずっと考えていました。力の足りない私でも出来ることを」

 「………そうか。途中で捻りを加えたのか」


 思い付きをすぐに実行に移して実現できるなど、普通はできないものだ。親のひいき目を見なくとも、この子には剣の才能があるのだと、アレンは感じ取っていた。精神的な弱さは垣間見えたものの、それを克服していけば、きっと素晴らしい剣士になる事だろう。


 「レオも、まるでわかっていたかのように動いていたね。君のそのチャンスを逃さない嗅覚は得難い物だ」

 「へへへっ。フィオならきっとやるだろうなって思ってたからな!!だが、これで終わりじゃねぇぜじいちゃん!!まだまだ、終わらないからな!!」


 散々アレンにやられていたというのに、この尽きぬ闘争心。まだまだ技術という意味ではフィオには劣っているが、天性の感と挫けない強い心はフィオにはない強みである。経験を積んでいけば技もついていくことだろうし、こちらも十分に将来が楽しみだった。


 (願わくば、それを見てみたかった………いや、今は戦う事だけを考えよう)


 アレンは胸中の思いを握りつぶした。考えてもしょうがない事だと切り捨て、再び二人に向かって剣を向ける。差し向けられた切っ先に、もはや二人は動揺しない。落ち着いてきた息を整え、闘争心を新たにするだけだ。


 「そうだね。まだこれからだ」

 「………っっ!!」


 レオ、フィオはアレンの様子が変わった事を敏感に肌で感じ取る。放出されていた威圧が鳴りを潜め、ふっと体にかかる重圧がなくなったのだ。動きやすくなった、と二人が楽観することはない。何故なら猛烈な嫌な予感が止まらないからだ。


 「人族に宿る、気、という力を僕たちは持っているという事を、以前から話した事があったね」

 「………」

 「気を活性化させれば身体能力は向上し、負った傷を回復させる事だって出来る」


 気を操れば足が速くなったり、力が強くなったりするというのが一般的な常識だった。怪我をしたとしても自然治癒能力をあげて、回復を早めることもできる。一見、万能な力に見えるだろうが、気の扱いは難しく、下手をすれば過剰な強化によって自身の体を壊したり、傷の回復どころか逆の効果を発揮することだってある扱いの難しい力である。


 「実は人は自然とその力を使えているんだ。意識していないだけで、ね。それはレオ、フィオ。君たちも変わりはない。今の君たちは気が活性化されて、普段以上の実力が出せているはずだ」


 最初に戦い始めた時では拮抗する事すら出来なかったのに、それが出来ているというのが何よりの証拠だろう。二人は実感していなかったのか、互いの顔を見合わせた。


 「体が、もしくは心が追い詰められる時にこそ、この力は真価を発揮する事が出来る。二人は一つの壁を越えられたんだ」


 アレンはただ、そのきっかけを与えただけだ。苦しい状況下に置かれても、そこで屈してしまえば力を発揮することはできない。乗り越えられる事が出来たのは、何よりも子供たち自身の力である。それがアレンにとって嬉しくてたまらない。


 「いずれ意識的に使えるようになるだろう。いつか誰よりも気がうまく扱えるようになるかもしれない。だけど、僕はそんないずれや、いつかなんかに期待したくないんだ」


 二人は自然と剣を掴む手に力を入れる。空気がまた、変わった。


 「僕たちは今を生きている。この瞬間を生きている。だから僕に出来る今だけの事を教えたい。準備は良いかい?二人とも」


 レオとフィオは黙ってこくりと頷いた。そして、アレンの一挙手一投足を見逃さぬよう最大限の集中力をもって対峙する。けして目を離さないつもりだった。だが次の瞬間にはアレンの姿はそこにはなかった。


 「え?」


 呆けた声を上げたのは、上空に剣を弾き飛ばされたレオである。一瞬の内、二人に意識さえできない間にアレンはレオに接近して、武器だけを狙って切り上げたのだ。


 「っっ。レオっ!!!」


 片割れの名前をあげながら、フィオはさすがの反応で目の前に現れたアレンへと斬りかかる。武器を振るった態勢から体を戻すには、どんな達人であろうと些か時間はかかるもの。動作の隙を狙った攻撃は、しかし空振りに終わった。


 「反応できたのは良い。だけど、それだけだ。中途半端な攻撃ならしない方が良い」


 後ろから聞こえてきたその声にフィオの背筋が凍る。目の前にいたはずのアレンが何故、自分の背後にいるのか。アレンの声を頭で認識するまで、気づくことができなかった。その事実に驚愕を隠せない。

 動揺をしつつも、その場から離れないといけないという一心でフィオは地すべりしながら前へと移動した。土煙があがる中、反転して態勢を整えるが、頭の中は混乱したままだった。


 「………」


 唖然としたのは二人だけではない。立会人のような立場で戦いを見守っていたレガードでさえ、何が起こっているのかわからなかったのだ。アレンの初動さえわからず、瞬間的に移動したようにしか見えない。気づいた時にはレオの剣が上空へと舞い、すでに剣を振るった姿のアレンがそこにいたのだ。


 (さっきまでとは、まるで次元が違う………)


 外にいるからこそ、三人の攻防は視線で追えていた。子供とは到底思えぬ剣技を披露する二人に、それに完璧に対応していたアレン。ハイレベルな戦いであるのは疑いようがなく、けして今の自分では届かない領域にいる三人に思い、焦がれていたのだ。

 だが、今のアレンは認識の外にいる。ただ結果だけがそこに存在しているかのような、錯覚さえ覚える。これが剣聖という称号を与えられた者の本気。吟遊詩人たちが謳う英雄の一幕をレガードは垣間見ていた。

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