第4話 幸せの涙

 「そうか。復興支援はうまくいっているんだね」

 「そうですね。皆さんの協力があって順調にすすんでいます」


 あれからどうにか佇まいを直して、委縮しながらも胡坐をかいてアレンの前に座ったレガードは、当初の目的を果たしていた。それは各地の村や街、都市の状況をアレンに報告する事だった。


 人魔大戦が終結した当初、戦争によって疲弊した人族の手助けが少しでもできるようにと、アレンは各地を巡り復興の支援を直接行っていた。だが、双子の兄妹であるレオとフィオをその道中で拾った事により、断念せざるを終えない状況になった。まだ幼く小さい二人を育てながら、復興を手伝うことは難しかったのだ。

 その後、シトランの村に腰を据えてアレンは双子と三人で暮らしていたが、復興の支援を欠かすことはしなかった。直接手伝う事は出来なかったものの、人魔大戦で活躍した事による恩賞を全て復興に注ぎ、私財も投げ売ったのだ。

 己の犠牲を厭わない献身的な姿勢に、人々は剣聖へと大いに感謝した。場所によってはアレンの銅像が立っている所もあるという。この家も恩を返したいという人々からの感謝の念から建てられたとの事だ。まさしく、超越した武だけでなく人徳もある稀代の英雄といえた。


 「あれからもう十年もの時が過ぎたね。人々の傷や痛みはまだ残っているのだろう。だけど、穏やかな時が少しでも彼らの癒しになると良いと、僕は思うよ」

 「確かに未だ痛ましい傷跡が残る場所もあります。そこに暮らす人々が苦しんでいる姿を目の当たりした事もありました」

 「………」

 「だけど、昔よりずっと、ずっと笑顔になっている人々が増えています。それは皆さんを助ける為に尽力してくれた、アレン様のおかげです」

 「僕は大した事はしていないよ。剣を振るう事しか出来なかった人間だ」


 アレンは何かを思い出すかのように目を瞑った。謙遜、とはまた違う。この人は本当にそのように思っているのだとレガードは感じていた。


 「そんなことはありません!人魔大戦を終結に導いた立役者ではないですかっ」

 「あれは皆が助けてくれたおかげだよ。そうでなければ僕は最後まで戦うことは出来なかった」


 そう言って静かにお茶を啜る姿は穏やかな老人そのもの。だがしかし、レガードは知っている。アレンの本当の姿を。何故ならレガードもまたアレンによって救われた人々の一人なのだから。


 「私は貴方の剣によって救われ、そしてその剣技に魅せられました。軍に入ったのもそれが理由です。貴方のようになりたかった。誰かを救えるような、英雄のような存在に」


 レガードがまだ少年だった頃、彼の住んでいる街が魔族の侵攻を受けた。魔族の力は圧倒的で街に常駐していた兵士では敵いもせず、まさしく全てが蹂躙されようかという時、アレンが一人で援軍として駆けつけてきてくれたのだ。たった一騎の援軍。されどその力は一騎当千。瞬く間に魔族たちを退け、街の人々を救ってくれた。その姿は今もレガードの脳裏に焼き付いている。

 熱く語ったはいいが、何も口を挟まずにじっとこちらを見るアレンに、急に気恥ずかしくなったレガードは言い訳でもするかのように早口で喋りだす。


 「………まぁ、軍に入ったはいいのですが、腕前はからっきしでこうして伝令兵をやっているわけなんですけど」


 あはは、とレガードが苦笑すれば、アレンは頭を振って口を開いた。


 「人の言葉を伝えるのも立派な仕事だよ。それに僕はとても感謝しているんだ。こうして僕に外の世界のことを教えてくれているのだから。とても助かっている。いつもありがとう」

 「と、とんでもないです!アレン様に感謝して頂くなど。むしろ私には返し切れないほどの御恩がありますからっ!!」


 あたふたとレガードが慌てていると、ふと、襖の隙間からこちらを覗いている二つの瞳に気づく。それはレオの瞳だった。先ほど、二人はお話があるのだから、私たちはあっちに行こうね、とフィオにずるずると引っ張られて行っていたのに、いつのまにか戻ってきていたらしい。

 レガードと視線がばっちりと合うと、すすっと襖が閉められる。いやいや、もう遅いから………とレガードが思っていると、数秒後にまた襖が徐々に開いて、二つの瞳がまた覗いてくる。もしかしてからかわれているのか、と思うほど早い復帰であった。


 「こらっ。なに覗いているのっ」

 「いったー!頭をぶつなよっ。フィオはぽんぽんと俺の頭を叩き過ぎなんだって!!」

 「レオが馬鹿な事ばかりするからでしょ!」


 襖の向こうでフィオの怒った声と、レオの痛がる叫び声が聞こえてきた。アレンたちから見えなくとも、声だけで何が起こったか容易に想像できる。思わずアレンとレガードが顔を見合わせれば、途端におかしくなって堪え切れずに二人は笑ってしまうのだった。


 「すみません。お邪魔をしてしまって………」

 「フィオが騒がしくしなきゃばれなかったのに」


 部屋に入ってきてすぐに真面目な顔で頭を下げているフィオと、少し不貞腐れた様子でその隣に座っているレオ。レオが憎まれ口を叩けば、フィオの体がぴくりと動いた。あっ。あれは絶対に怒っている。レガードはそう思っていたが、口に出せば藪蛇になるのは目に見えていたので何も言わない。まだぶちぶちとフィオに対する文句を言っているレオが、後でひどい目に合わないように祈るだけだ。


 「まぁ話も大体終わっていた事だし、そんなに頭を下げる必要はないよ、フィオ。レガードもそう思うだろう?」

 「あ、はい。そうですね」


 アレンに促され、こくこくと素早く頷くレガード。フィオはそんなアレンの言葉を聞き、ほっとした顔になった。この子は何よりアレン様に迷惑をかけることを嫌っているからなぁ、とレガードも何故だか一緒にほっとしていた。お爺ちゃんっ子と言うのだろうか、フィオはアレンの事が大好きだし、とても尊敬していると傍にいるだけでわかるのだ。今も輝かんばかりの笑顔を見せていた。


 「なぁーなぁー!そんな事よりさぁ!」


 と、ようやく落ち着き始めたはずなのに、レオはもう待ちきれないといった様子で机の上に上半身を乗り出して、アレンに詰め寄っていた。そんなレオの様子に、フィオのこめかみがぴくりとひくついた。戦々恐々とするレガード。爆弾の導火線に自ら着火しにいくのは止めてっ、と心の中で叫ぶ。


 「俺、じいちゃんが戦っている所って見た事ないんだ!剣は教えてくれてるけど、手合わせしてくれないし。皆すごいすごいって言ってるけど、そんなにすごいの!?」

 「………………」


 キラキラと目が輝き、興奮した声でレオはそうまくし立てていた。またフィオちゃんが怒りそうだな、とレガードがちらっと見ると、意外にも静かにしていて怒っている様子がない。レオを窘めるようでもないし、おやっ?っとレガードは思った。


 「うーん。確かに昔は剣を使っていたし、それなりに嗜んだものだけど、僕は皆が言うように自分がすごいと思ったことはないんだよ」

 「えぇー。でもそれってケンソン?って言うんじゃないの?俺ならすごいことしたらケンソン?なんてしないのにっ」


 剣を振る真似をしながら、しゅっしゅっと剣を振ったような音を自分で出すレオ。レオは男の子らしくどうやら剣に憧れているようで、時折、アレンに教えてもらっているとの話だった。意外と様になっているその姿を見て、自分もアレン様に教われば、少しはマシになるのでは、とちょっとだけ思ったレガードだった。実際、教わるようなことにでもなれば恐縮しきりで全然身につかないかもしれないが。


 「見たいなー。じいちゃんが剣を振っている姿!なぁーなぁー!ダメ?」

 「こら、レオ。あまりお爺様を困らせること言わないの」


 興奮が収まらない様子のレオに、ようやくフィオが待ったをかけた。困り顔だったアレンはその助け舟に安堵している様子だった。しかし、次のフィオの一言で表情を凍らせてしまう。


 「………でも、私も少しだけ見てみたい、かもです」


 そう言えば、フィオちゃんもアレン様に手解きを受けているんだったんだっけ、と蚊帳の外にいるレガードはのんびりとそんなことを思っていた。平和となったこの世の中で、今時、剣を学びたいだなんて女性では珍しい。しかもまだまだ幼い少女である。

 恐らくアレンに深い尊敬の念を抱いているからこそ、真似をしたくなったのだろうとレガードは推測していた。年に似合わぬ聡明さと落ち着きをフィオは持っているが、そんな部分は実に子供らしい。


 「う、うーん………僕も、もう歳だからね。その、ね」


 子供たち二人からの上目遣いのお願いに、さすがの剣聖もたじたじになっていた。実はレガードもアレンの剣術を見てみたい、と心の奥底から思っていたが、さすがにあの中に入るのは恥ずかしいし、何より逆効果になってしまうだろう。

 心の中で二人を応援しながら、レガードはお茶を一口飲んで喉を潤す。結局、その時の攻防はどうにかアレンがうやむやにすることによって引き分けとなった。子供たちはとても残念そうにしていたが、大好きなアレンを本当に困らせることは本意ではないのだろう。それから引きずることも特になく、夜の時を迎える。


 その日の夜。レガードはアレン宅で夕食をご馳走になっていた。シトラン村に訪れた時にはいつもお世話になっていて、恒例行事のようなものだ。無論、シトラン村に宿屋はあるものの、アレンの好意によって食事、並びに宿も提供してもらっている。レガードにとってはとんでもない事であったが、家の主であるアレンが良いというのだから断るのも失礼にあたる。それに、レガード自身もけしてここで過ごすことは嫌ではなかった。


 「あちっ。あちちっっ。はふはふ。鍋うめーーー!!!」

 「暑くなる時期に鍋は、と思っていたけど、これは本当においしいですね」

 「レオ、そんなに急いで食べても鍋は逃げないよ。落ち着いて食べようね。レガードも遠慮なく食べて欲しい。おちおちしてたら、レオに全て食べられてしまうよ?」


 この暖かな空気が好きだった。すで両親が他界し、身近な人が誰もおらず、天涯孤独の身となったレガードにとってこの場所は心安らげる場所となっていた。


 「今日は新鮮なお野菜を頂きましたから、そちらがおすすめですよ。レガードさん」


 フィオがよそってくれた皿をレガードが受け取る。受け皿の中を見れば、ほかほかと湯気を立てるおいしそうな人参、レタス、もやし、そして鶏肉。香ばしい匂いが食欲を引き立て、透き通るスープに浸った食材は食べる前からすでにおいしいと思わせる程だった。一口、レガードが口に入れて咀嚼すれば優しい味が広がる。まるでこの家族のようだ、とレガードは思った。


 「ほら、レオはお肉ばっかり食べてないで野菜もちゃんと食べなさいっ」

 「えー。レタスとかはいいけど、人参はちょっとなぁ………」

 「そんなだから私よりちっちゃいのよ」

 「はぁ?同じぐらいだし、フィオがでかいだけだろっ」

 「でか………女の子に言って良い言葉じゃないわよ!バカレオ!」


 わいわいと騒ぐ二人に、見守るようにアレンがにこやかに見つめている。二人は言葉では喧嘩しつつ、意外にも行儀は正しく、口だけでやり取りをしていた。


 「すまないね。いつも騒がしいだろう?」

 「いえ、そんなことはないです。とても元気で明るくて、私はこの雰囲気がとても好きです。賑やかで温かくて、胸の内がほっとするような安らぎを感じます。………家族がいた頃を思い出しますね」


 それは本当の事だった。伝令兵として常に各地を転々としているレガードにとって、人と会う機会はたくさんあっても、長く話すような機会はそれ程多くはない。都に戻れば仕事仲間はいるし、一緒に酒を飲んで騒ぎ立てることはあるが、それが彼にとって安らぎになっているかと言えば、否と答えるだろう。友人たちと騒ぐことで束の間、楽しさで忘れることは出来る。けれど、なくなったものが満たされることはない。

 別にこれはレガードにとって深刻な話ではなかった。すでに両親の死は受け入れているのだから。ただ、時折、寂しさを覚えるだけだ。どうしようもない、寂しさを。

 その寂しさを紛らわすように笑ったレガードを、アレンは穏やかな瞳で見つめていた。


 「レガード、僕たちは家族のようなものだ。みんな血の繋がりはないけれど、家族以上の存在だと僕は思っている」

 「アレン様………」


 そんな風に思われているだなんて知らなかったレガードは、唖然としてしまう。少年時代に助けられてから、色々とお世話になった時期もあった。その頃にはすでに両親が他界していたし、彼の故郷はアレンによって救われたが、被害はないとはいえなかった。レガードの家は無残に破壊され、途方にくれていた時に手を差し出してくれたのはアレンだった。身寄りがつくまで、アレンは落ち込んでいたレガードを励まし、生きる希望をくれた。感謝してもしたりない恩人にそんなことを言われるなんて。


 「そうだぜ、レガード兄ちゃん!俺もレガード兄ちゃんの事、本当の兄ちゃんのように思ってるからな!」

 「私も同じですよ。だからレガードさん、もっとご飯を食べて滋養をつけてくださいね。兵隊さんは体が資本でしょうし、病気になったら私は悲しいです」


 いつのまにか兄妹喧嘩は終わっていたのか、レオとフィオにも屈託のない笑顔でそんなことを言われ、レガードはついに我慢の限界を超え、思わず目頭に熱いものを感じた。


 「あ、ありがとう、二人とも。うん、うん………。わかった。フィオちゃんの言うように体に気を付けて、レオくんの言うように兄として振舞えるように頑張るよ」

 「そうだな!それが絶対にいいよ!それにそのくん付けもいい加減やめようぜ。呼び捨てでいいよっ!」


 私もそうして欲しいです、と追従するフィオ。レガードは感極まってうまく言葉が出てこなくなっていた。ただ、うん、うん、と頷く事しか出来ない。そんなレガードにアレンは目を細めながら、いたずらな言葉をかける。


 「なんなら僕も呼び捨てでも良いけれどね?」

 「え、えええぇぇ!?そ、それはさすがにっっ」

 「ダメだよじいちゃん!じいちゃんはじいちゃんなんだからっ!!」

 「そうですよ。お爺様はお爺様です。呼び捨てなんて許しません」

 「えぇ………。どうして二人が反対するんだい。本人が良いって言っているのに」


 途端に子供たちが反対の声をあげる。両隣から詰め寄られて困惑しているアレン。その光景があまりにおかしくて、レガードは泣きながら笑っていた。

 レガードは今日初めて、幸せな感情でも涙を流す事を知った。その日が彼にとって、とても大事な一日になった事は言うまでもないだろう。

 初夏の夜、季節は暑さを増していく中、レガードの胸の内にはそれ以上の暖かくて胸を満たす、大事なものを手に入れたのだった。

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