第5話 予言の巫女の信託
あれから幾ばくかの時が過ぎた。アレンたちに家族と認められたことにより、レガードは今まで以上に仕事に精を出し、レオの兄として恥じぬ働きが出来るように頑張り、フィオに心配を掛けないように食事には気を付け、無理はしないように心がけていた。おかげで彼の働きが上司に認められ、近々、昇進の話もあるという。おまけに私生活でも気になる女性を見つけ、良い雰囲気になって恋人まで秒読みか、という所まできており、順風満帆な日々を過ごしていた。
アレンたちの所には自身の報告がてら、時間を見つけては仕事以外でも訪れるようにしていた。以前は遠慮していたという事もあり、来たくても来れなかった事情があったが、アレンのあの言葉に勇気をもらってからはちょくちょく訪れていた。
時には辛いことがあればアレンへと相談して一緒に悩んでくれたり、時には気になる女性のことでフィオからありがたいアドバイスを頂き、時にはレオと一緒に鍛錬をして軽く自分を超えられている事にがっくりとした。
そして皆で囲む食事はいつだって彼に幸せをくれた。どれもこれも、レガードにとっては良い思い出ばかりだ。
「今度はいつ帰ろうかな………。恋人が出来たって、良い知らせが出来たらまた戻ろうかな?」
人族の都、中央都市であるグレンフィルドにて、王城のある一室でレガードはぼんやりとそんなことを思っていた。現在、彼は待機中で次の任務を待っている所だった。この仕事が終わったらまた暇が出来るし、シトラン村に行くのも悪くはない。
そんな風に思いに耽ていた時、出入り口の扉が開く音がして、はっとするレガード。勤務中に気を抜くのは良くないと、表情を改める。
「………レガード、すでに来ていたか」
声を発して部屋に入ってきたのは、レガードが所属している隊の隊長だった。いつも生真面目が服を着ているような男だと皆からはからかわれているが、さりとて今日はいつもに増して表情が厳しい。
「はい。隊長。どうされましたか、お顔が優れないご様子ですが」
すぐにその事に気づいたレガードは心配そうに声を掛けた。
「………いや、………そうだな。うむ」
「………?」
何かを悩んでいるよう隊長だったが、視線をあちこちに動かして迷っている内に、ふとレガードの顔を見て頷く。
「そうか。お前は確か剣聖殿に懇意にしてもらっているとの事だったな」
「は、はい。確かに私はアレン様によくしてもらっていますが………」
話の流れが読めないレガードは困惑しながらも肯定した。その様子に隊長はもう一度だけ頷くと、神妙な表情でレガードに告げるのだった。
「いいか。これはまだ確定の情報ではないし、これからお前にやってもらう任務にも関わる事だ。絶対に他言無用にする事を誓え」
今まで見た事もないような真剣な表情とその言葉に、レガードは内心恐れを抱いた。だが、隊長が言った言葉は伝令兵が最初に学ぶ事である。時には人の命にも関わるような情報を預かる仕事である。口が堅くないと話にもならない。
特にレガードは一度としてその決まりを破らず、迅速に任務をこなす事からも優秀であると、何を隠そうこの隊長が太鼓判を押してくれたはずであった。それなのに今更、そんな事を口にするという事は………。
「落ち着いて聞けよ。昨晩、予言の巫女アラミス様からお告げが出た。『黒き星の輝きが再び空へと舞い戻り、人と魔の戦を呼び込む。迫り来る時は止まらず、止める術はない』、と」
「それって………」
「黒き星と称される存在は一つしかいない。あの天族の全てを巻き込んだ戦、人魔大戦。その発端となった魔族の頂点に君臨する………魔王。つまり魔王が再び誕生するという事だ」
とんでもない事実を語られるという事に他ならなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」
堰を切るように街道を走る。一刻でも早く、と気ばかりが焦りレガードの心は平静を保っていられなかった。
あれからすぐにでも中央都市グレンフィルドを離れ、即座に任務に就いたレガードは、道中で馬を使い潰しながら先を急いでいた。彼が腰に下げている鞄の中には、ある者に向けた手紙があった。その手紙は封蝋されており、ある紋が刻まれている。二本の交差した剣に王冠。それは王族の証だった。それだけでも相当に重要な手紙だということは窺い知れるが、何よりこの手紙を届ける相手に一秒でも早くレガードは会いたかった。胸中に沸き起こる不安を押し殺しながら、一路、レガードはシトラン村へと走り続ける。
シトラン村に辿り着いたのはまだ日も出ていない早朝の事であった。日夜問わず、食事すらとらずに走り続けたレガードはぼろぼろになっていた。すでに体力の底はつき、今や精神の力だけで立っているといっても過言ではない。未だ村人たちも寝静まっている村の中を、一歩ずつレガードは進んでいった。
「………はぁ、………はぁ」
息も絶え絶えに辿り着いたのは、小高い丘の上の一軒家。変わらない佇まいに安心を覚え、緊張の糸が途切れて体が崩れ落ちそうになる。すんでの所で踏みとどまったレガードは、最後の力を振り絞るように歩き、そしてようやくその戸を叩いた。
「アレン………様。アレ………ン、様」
弱々しく叩くその音は、果たして家の中に届いているだろうか。か細いレガードの声は誰かに聞こえているだろうか。朦朧とした意識の中で、ただうわ言の様にレガードは囁く。何度となく繰り返し、だが届くことなく、そうしてついに全ての力を使い切ってしまい、レガードの意識が消えかけようとした時。いつだって彼を救ってくれた、彼にとって誰よりも憧れてやまない英雄が現れた。
「レガード?」
(あ………)
戸が開けられ、その先にいたあの人の顔は少しだけ驚き、だがしかしレガードの身を案じるように心配そうな瞳をしていて………。それを見たレガードは本当の最後の力を振り絞りる事が出来た。
「これ、を」
鞄を開けることすら時間をかけて取り出したその手紙を、レガードはアレンに確かに手渡した。彼は任務をようやく成し遂げる事が出来たのだ。そこでレガードの意識はふっ、となくなり、体は自然と前のめりに倒れていく。
「………頑張ったんだね、レガード。今は少しだけおやすみ」
ぼろぼろになったレガードを、アレンは優しく受け止めた。レガードは顔も体も汚れきっていて、服は何度も転んでしまったのか、擦り切れている箇所があった。その姿を見れば、過酷な道程になったことは想像に難くない。
すー、すー、と寝息をたてる彼の体を支えながら、アレンは手渡された手紙を見た。そこにある証を見て、事の重要性を察する。ただ今は、今だけは。腕の中で静かに寝入っている彼を癒す事だけを考えよう。アレンにとってもレガードは大事な家族の一人なのだから。
ゆっくりとレガードの体を横に向けてから持ち上げる。成人男性を軽々と持ち上げるその姿は、アレンと同じ年代のものからすれば驚嘆に値する事であるし、少しでも武を齧っているものからすれば、その体幹の強さ、揺ぎ無さに唸る事だろう。日が昇り始め、朝特有の澄み切った空気が漂う中、アレンはレガードを抱えながら廊下を歩いていくのだった。
アレンは一人、手紙の中に書かれていた文章をじっくりと眺めていた。レガードは先ほど、隣の部屋に布団を敷いて寝かせている。あの様子ではしばらく起きる事はないだろう。憔悴していた様子から、食事の一つでも作らなければならないな、とアレンは思ったがそれも彼が目覚めてからの話である。今はレガードが決死の思いで届けてくれた手紙を読むべきだろう。
「………」
王族からの手紙という事である程度は察していたが、それは旧知の中である人族の王アルベルト・グレンフィルドからの手紙であった。畏まった事が嫌いな王様は、率直な性格が文章にも表れており、中身は簡潔で短かった。
「魔王復活の神託あり。助力を求む、か」
アレンは溜まりに溜まった思いを吐露するように、長く長く息を吐きだした。嫌な予感があった。それはレガードが訪れた時ではなく、今日の事でもない。ここ数日前から何か良くない事でも起こるような、そんな悪い予感があったのだ。これがその予感の正体だろうか。いや、きっとそれもあるだろうが、自分自身でも感じ取っている、あの事も関係しているだろう。来るべき時が来た、ということだ。
「お爺様………?」
心配そうな声を上げたフィオが、いつの間にか向かいの襖の間立って、不安げにこちらを見ていた。その傍ではいつも元気で溢れているはずのレオが、火が消えてしまったかのように静かに寄り添い、瞳はフィオと同じく不安の色を宿している。あまりに集中して考えていたせいか、子供たちが起きてくる時間に知らずになっていたのだろう。アレンは気持ちを切り替える為に、一度その手紙を机の上に置いた。
「フィオ、レオ。二人ともおはよう」
いつもはとても嬉しそうに朝の挨拶をしてくれる二人だが、今日だけは違った。アレンの様子が違っている事を、子供の鋭い感性で感じ取っているのだろう。誤魔化すべきか、アレンは一瞬そんなことを思ったが、それは正しくない。いつだって子供たちとは真正面から向き合ってきたのだ。例え、どんなに驚くべき事だろうと正直に伝えるべきなのだ。それに、アレンはもう覚悟を決めている。その結果、大切な家族と離れる事になったとしても、未来の為に出来る事を成し遂げる。
(そうだよね。エルミア)
かつて共にいた幼馴染の彼女の名前を心の中で呟く。自由奔放で、どこまでも続く空を愛していた彼女は自分のこの思いを応援してくれるだろうか。それとも、馬鹿な男だと笑っているだろうか。考えても詮無い事を考え、そしてアレンは子供たちに向き合い、傍に来るように話しかけた。
「お爺様」
「じいちゃん」
二人は迷わずアレンの傍へと歩み寄り、アレンを挟み込むようにして両隣に座った。未だに不安そうな顔をしている二人にアレンは心苦しくなるが、これから話す事は子供たちに少なくない衝撃を与えることになる。二人は故郷を魔族によって奪われたのだ。何も感じないということは絶対にない。
(だがそれでも、越えてくれると僕は信じている)
二人はアレンから手解きを受けながら、すくすくと育ってくれた。それは体だけではなく、心身ともに。レオは誰かに元気をあげられるような溌溂な子に。フィオは賢くも強い意志を持つ大人も顔負けな子になってくれた。だから、きっと大丈夫。
「二人とも、実はね………」
「これは一体どういう状況なんでしょうか………?」
レガードが意識を取り戻したのはアレン宅に着いて数時間後の事だった。すでに昼過ぎになっており、その事に気づいて慌てて飛び起きたレガードではあったが、全身に圧し掛かる疲労と空腹に再び倒れそうになるのを堪えて居間についた時には、何故か外でアレンと向かい合いレオ、フィオが練習用の木剣を手に対峙している場面に出くわした。
「レガード。もう体調は大丈夫なのかい?」
「え、えぇ。なんとか起きれる程度には………。すごくお腹は減っていますが」
「そうか。すまないが、食事は自分でとってくれると助かるよ。台所におにぎりを作り置きしているからね」
「それはとても助かりますが、アレン様たちは一体何を?」
レガードと会話をしてくれるものの、視線は子供たちに固定されていて、片時も外れない。アレンにしては珍しく、不作法ともいえる態度である。
「今は最初で最後の練習試合といった所かな」
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