第2話 英雄が生まれた日②

 「ひ、ひぃ………」


 終幕は間も無く。息が乱れる様子もない男は、情けない声をあげる指揮官の喉元に剣先を突き付けていた。男の背後には倒された魔族が地面を埋め尽くして転がっている。最前線から最奥に陣取っていた本陣までそれは続き、まるで黒い道のようになっていた。その光景を見て、魔族の指揮官はがくがくと震える体を止めることが出来なかった。殺される。この人族の皮を被った化け物に自分はもうすぐ殺されるのだ。


 「降伏してください」


 逃れられぬ死を感じていた指揮官は、その言葉を理解するのに数秒の時間を要した。男から発せられる落ち着いた声色は、奇しくも指揮官に僅かな冷静さを取り戻すことになった。

 眼前にいる男はこの地獄絵図を作り出した張本人だというのに、何を。そこで指揮官はようやくその事実に気づく。男の背後で、殺されたと思った兵士たちが身じろぎをしていることを。地面に血の池が出来ていないことを。


 (人族には他種族にも甘い奴らがいると聞いたことはあったが、まさかこの男もそうか?)


 魔族は闘争に生きる種族だ。戦いともなれば、生きるか死ぬかしかない。人族のそんな性質に、嘲笑と共に馬鹿にしていたものだが、事ここに至ってはチャンスであるといえる。

 と、その時、倒された一人の兵士が震える体でどうにか体を起こし、携帯していたクロスボウに矢を装填している様子が指揮官の目に入った。指揮官は口の端が上がるのを我慢して、男の気を逸らすべく話しかける。気を引く為とはいえ、人族に命乞いまがいの言葉を吐くなど業腹ものであるが、それも一時的なものだ。あの矢で男を貫き、態勢を崩した所を自らのこの手で引き裂いてやろう。さぁ、もう少しだ、撃て、体の何処でもいいから当てろ。そうすれば私が絶対に殺してやる!!!


 兵士が構えていた魔族特製のクロスボウは、魔術刻印が刻まれており、刻印武器と呼ばれている。魔族の怪力にも耐えうる作りをしており、限界まで張り詰められた弦から放たれる矢は魔術の補助を受け、狙い撃った場所に精確に飛び、驚異的な威力と速度を誇る。人族のクロスボウとは比較するのも烏滸がましい。男からは完全に死角から、確かに矢は放たれた。


 「貴方の殺意はとてもわかりやすい。後ろの兵士がまだ隠せていたぐらいだ」


 後ろを振り向くことなく、突き付けた剣が微動だにすることもなく、男は何でもないことのように矢を手で掴んで止めた。まるで最初からそこにでもあったかのように、男の手の中に矢があった。

 ぽとりと落とした矢を指揮官は茫然と目で追っていた。呆けた顔をしたのは数秒ぐらいか。その直後、指揮官は喉元に剣を突き付けられているというのにその状況も忘れ、激高した。

 ふざけるな。なんだこれは。悉く、悉くこちらの企みを打ち破り、愚直に正面突破してきやがって、何様だ。こんな奴が現実にいるものか。許せない。ふざけやがって、私の手で絶対に殺してやる!!!!


 突如として魔族の指揮官の体から魔力が迸る。可視化できる程の膨大な魔力に男は一早く危険を察知して、後ろに飛んで距離を離した。際限なく高まる魔力に周囲にいた魔族の兵士たちも慌てて逃げ出した。

 実力主義の魔族は軍の中での位が強さを証明しているといっても過言ではない。指揮官クラスともなれば、一騎当千の力を持っている。感情が高ぶり、暴走した魔力は指揮官の実力以上の力を引き出す。

 上級の更なる上である特級魔術を指揮官は行使しようとしていた。この魔術が放たれれば、絶対的なる破壊をもって全ての生物を殺し、緑豊かなこの地を死の大地へと塗り替える事だろう。


 「ふ、ふはははは!!!どうだこの力は!人間風情が調子に乗りやがって。私に一時でも恐怖を与えた事、この僅かに残された時間で悔いるがいいっ!!!逃げるか?無様にも逃走するか?それも良い。ならばこれをあの人間どもにぶちこんでやる!!!人族よ、我が圧倒的な力の前にただ成すすべもなく死ね!!!」


 男はすでに詠唱に入っている指揮官を止めることはしなかった。今止めてしまえば暴走した魔力が破裂して、何が起きるかわからない事を直感的に察していた。指揮官の頭上にはすでに魔術陣が展開され、太陽と見間違わんばかりの光球が徐々にその姿を大きくしていた。それは遠方で戦いを見守っていたレグラードにいる民たちからも、はっきりと視認できる程の輝きと巨大さだった。


 すでに周囲には誰一人としておらず、男と魔族の指揮官のみが対峙している。例え魔術障壁を使える魔族であろうと、あの魔術の前では紙も同然の防御力しかない。兵たちは男によって気絶させられた兵士たちを引っ掴み、遠くへ遠くへと避難した。


 「………」


 男は剣を左の腰元に添え、抜刀の構えをとる。そして深く深く呼吸を繰り返し、気を循環させて高めていく。心は波紋一つない水面のように、焦り一つすらない。空気から直接伝わるほどの圧倒的な力を前にしても、見据える瞳は穏やかに。しかし、理不尽を強いる暴力の前には力強さを秘めて立ち向かう。この力は己ではなく、誰がために。この手に届く距離にいる人々を救う為に。

 男の全身から陽炎のように気が揺らめいて、光る。波の上を走っていた時とは違うはっきりとした変化に、さすがに魔族の指揮官もそれに気づいた。だが何をしようとも関係はない。全身から今まで感じたこともないような魔力が迸り、その全てをこの魔術に込めている。己の生命力さえ代価とした、決死の一撃。それに歯向かう事、それすなわち死、である。


 「塵も残さず、魂さえ滅びよ、人間!!」


 魔族の指揮官が放った特級魔術フレアは地面をまるでバターのように溶かしながら突き進む。通った跡の地面は赤熱化しており、じゅうじゅうと煙をあげていた。今までの魔術に比べればゆっくりとした歩みながらも、その巨体はレグラードの門より遥かに大きい。眩く光り輝く光球は人であろうと、頑強な物質であろうとその全てを劫火によって消滅させる事だろう。それは眼前にいる男とて例外ではない。


 「ふぅーーーー………」


 だというのに、男は逃げない。破滅から目を逸らそうとしない。迫り来る死を受け入れようとしない。息を鎮めながら、一人、孤独に抗う事を選んだ。

 果敢に立ち向かうその姿は、だかしかし、レグラードの民には無謀にしか見えなかった。男が起こした数々の奇跡を目の当たりにしても、あれに叶うわけがないと諦めた。無駄なあがきだ、あんなものに抗う事なんて。

 あの破壊の権化はそのままこのレグラードを飲み込み、この都市は跡形もなく消えるのだと外壁の上で誰しもが諦観していた。最後の時を少しでも親しいものと過ごせるようにと、啜り泣きながら別れの言葉を繰り返していた。だが、一人の少女だけは違った。


 「頑張って………頑張って!!負けないで!!!」


 幼い声で力の限り叫ぶその声は、可憐な少女によるもの。少しでも男に声が届くようにと、外壁の縁から体をぎりぎりまで伸ばして言葉を届ける。男の姿など黒い点にしか見えないほどの距離なれど、少女には関係がない。勝手に期待して、勝手に絶望して、勝手に諦めて。身勝手な周りの大人たちを叱るように、一生懸命に声を上げる。


 (大丈夫だよって言ってくれたもん!!!)


 あの男の人はここを出る前、魔王軍が来ると震えて隅に固まっていた私に優しく声をかけてくれた。がくがくと震える体を暖かい体で抱きしめて、落ち着く優しい声で安心させてくれた。周りがあちこちに必死に駆け回って、誰も私を気にかけてなんてくれなかったのに、そんな中で私を見つけてくれた。嬉しかった。とても頼もしかった。だから信じる。みんなが信じなくたって、私が信じる。だから、負けないで!!!!


 「………」


 果たして、遥か遠くにいたはずの少女の声が届いたのか、男は目を伏せてふっと笑った。確かに、その声は男の元に届いていた。あぁ、確かに自分一人しかいない戦場なれど、一人で戦っているわけではなかった。その事に気づけなかった未熟を恥じ入る。

 少しずつ、少女に呼応するように自分を応援してくれる声が増えていく。守るべき人たち。そして自分の心を守ってくれている人たち。信じてくれるその言葉が自分の心をより強くしてくれる。希望をのせたその思いがより一層上の高みへと連れて行ってくれる。

 男の全身を漂っていた気が凝縮し、男の体の内に全て収束する。一見してただの人に戻った様子ではあるが、その実は違う。体中を気が満たし、血液を、その細胞さえも励起させた男は人としての限界を遥かに超えていた。


 見上げても上が見えないほどの巨体な光球はすでに目と鼻の先。絶対なる死を告げるように、まだ触れてすらいないというのに男の体を焦がす。常人であればすでに悲鳴をあげていてもおかしくない熱波の中、男は伏せていた目をかっ、と見開いた。極限まで高めた気を昇華させるべく、己の武技に全てをかける。

 そして意志が、皆の意志が、現実を凌駕する。


 「空牙裂昇!!」


 神速の抜刀術は纏った気が武器にまで波及し、眩い光を放つ。気の大本である生命力を現すかのような力強い光。光球と対比すればなんとも小さい。だけれどその輝きはけして負けてはいない。一筋の閃光が世界を切り裂く。

 勝負は一瞬であった。その結果、男は光球を斬る事が出来なかった。あまりに巨大すぎる為、あまりに内蔵されたエネルギーが多すぎる為。力の力とぶつかり合いでは男に最初から軍配など上がるはずがなかったのだ。だからこそ、その技をもってして男はその魔術を弾いた。

 抜刀した姿勢のまま、どっと襲い来る疲労にさすがの男も荒い息をつくが、けして地に手をつくことはない。あまりの負荷に耐え切れなかったのか、剣の刀身がぼろぼろ、と崩れ去る。装備していた防具は熱によって焦げ、服も所々が穴が開いてる始末であったが、男に目立った傷もなく無事だった。

 と、その時、男の背後で大爆発が起きた。空気が爆発の余波で振動し、レグラードの民、そして全魔王軍にまで伝わる。音の方に首を向ければ空中で咲く巨大な花。特級魔術フレアは要塞都市レグラードに一つの損害も与えることなく、空に散っていった。だが、その威力は計り知れない。レグラードから射線は逸れたものの、並び立つ山脈に激突し、ごっそりと山頂から中腹まで削り取っていた。あれがもし、レグラードに放れていたかと思うと背筋が凍るものがある。


 「ば、化け物が………」


 自分の力に絶対の自信を持っていた魔族の指揮官はその光景を見たが最後、そう呟いて、意識を失ってどうっと地面に倒れた。魔力を暴走させ限界まで込めた全ての魔力、そして生命力をも代価に行使した魔術だったのだ。当然の帰結ともいえる。

 男は倒れた指揮官を目にしてから、近くに放置されていた武器を拾う。そして頭が現実に追い付かず、硬直していた魔王軍に剣の切っ先を向け、声を高らかに上げた。


 「僕は貴方たち、全てを相手取ってでもレグラードを守ります。けしてこの先には通しません」


 あれだけの事をしたというのに、男にはまだ余力があるかのように魔族の兵たちは感じた。いや、まだ底知れぬ実力を隠しているようにも。男の確固たる意志を前にして、嘘ではない、この男は本気でまだ万の魔王軍を相手に戦うつもりだ。その姿を目の当たりにした兵士たちの心がぽきりと折れる。闘争心の塊といわれる魔族の本能を力で押さえつけられる。その恐怖心は瞬く間に感染していった。


 「て、撤退!!!撤退ぃぃぃぃーーーーー!!!!」


 我先にと逃げ出す魔族兵たち。後方に待機していた兵士たちも、男の異様な戦闘力こそ目にはしていないが、あの特級魔術が何故かレグラードから逸れていく姿は見ていた。恐怖に彩られた顔を隠すことなく撤退していく同族たちを目にして、何かとんでもない事が起きていると感じ、共に逃げ出していく。

 最後の魔族の姿が見えなくなるまで、そしてそれからしばらくの時が経つまで、男は剣の切っ先を下げることなく、油断なく魔王軍が撤退していった行く先を見据えていた。


 そしてようやく敵の気配がなくなった頃、レグラードの方から割れんばかりの歓声が生まれた。戦いの行く末を見守っていたレグラードの民たちだ。男からはかなりの距離が離れているというのに、聴覚を気で強化しなくても聞こえてくる。男が振り向けば、皆が笑顔でこちらに手を振って、感謝の言葉を叫んでいる様子が目に入る。男はほっと息を吐いてようやく鞘に剣を納めた。戦いの終わり。しかし、これで終わりという事はないだろう。圧倒的な力を見せつけはしたが、戦力的に不利な状況は変わらない。


 (今度は戦力を分散させ、直接レグラードを狙ってくるかもしれない………)


 人族の勝利条件は増援が来るまで耐え忍ぶことである。早馬を出しているものの、それがいつになるのか、果たして本当にくるのかわからない。それでも男はけしてこの人々を見捨てることはない。一時の勝利に湧く民衆たちを見て、男は改めて決意を固めた。最後の最後まで戦う覚悟を。


 この日、この時、一人の英雄が生まれた。彼の名はアレン。ただの凡夫だと、何処にでもいるかのような男だと思われていた、世に埋没していた遅咲きの英雄。後に数々の偉業を成し遂げる彼の英雄としての物語は、ここから始まった。その後の軌跡を簡単ではあるがここで話そう。

 彼は十日間にまで及ぶレグラード攻防戦にて獅子奮迅の活躍を見せ、見事、隣国の軍が来るまで守り切った。その後、魔族軍の侵攻に浮き立つ人族たちをまとめ上げ、人族だけでは対抗する事は難しい、今こそ団結する力が必要だ、と方々を諭し、国交が断絶していたエルフの国との橋渡しを行った。

 初めは非協力的だったエルフ族もどうやったかは語られていないが、結果として、対魔族との協力態勢を築く事になる。その後、人族の希望とまでいわれる勇者パーティーに加入。彼は頭角をめきめきと現し、破竹の勢いで魔王軍を撃退し、ついに仲間たちと共に魔界との境、最難関ダンジョンといわれる境界の迷宮の攻略に成功。

 そして最後の戦いといわれる魔王城の決戦にて、アレンは一騎打ちにて魔王を討ち果たした。そうして長きに渡る魔族との戦いに終止符をうったのだった。

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