天魔の英雄 ~十年後の未来に転生した剣聖は神をも断ち切る~

物草コウ

第一章 遅咲きの英雄

第1話 英雄が生まれた日①

 天界と魔界を隔てる境界の迷宮と呼ばれるダンジョンがあった。そこは有史以来、誰一人として踏破が出来ておらず、最古のダンジョンにして唯一の未踏破のダンジョンとして知られていた。

 天族と魔族は争い続けてきた歴史がある。境界の迷宮では高い難易度もさることながら、それに見合った資源が豊富にある。天界と魔界を隔てているダンジョンなれど、そのダンジョンの中では天族と魔族が相まみえる階層があるのだ。

 憎みあってきた両者が垣間見えれば争いになるのは必至。しかし二つの種族が戦争にまで発展しないのは、境界の迷宮のおかげでもあったのだ。


 魔王軍一万が突如として越える事ができぬはずの境界の迷宮を乗り越えて、要塞都市レグラードに攻め入ってきたのは、まさに青天の霹靂だった。レグラードは武具の生産地として名が知れ、重要拠点として防衛に力を入れている都市であった。それでも魔術に長けた一万もの魔族を迎え撃つにはとてもではないが戦力が足りなかった。せいぜい時間を稼ぎをする程度ぐらいしかできない。それもいつまでもつかわかりはしない。絶望的な状況下に都市の住民たちは皆、死を覚悟したという。


 いよいよ開戦の火蓋が落とされようとする時、一人の男が戦場に降り立った。要塞都市レグラードの巨大な門に対比して、その人物はあまりにちっぽけだった。都市を守るべく立ち上り、外壁の上で迎え撃とうとしていたレグラードの人々はぎょっとした。門の外にいつのまにかその男がいたからだ。


 レグラードの門は魔族の激しい侵攻を予想して、ありったけの都市中の素材を利用し、強固に固め、中からは誰も出られないようになっていたはずなのに、一体どうやって。今更、門を通って都市内に入ることは不可能だったが、人々は声を揃えて必死にその男に戻れ、戻れと声を張り上げた。


 「何をやっている!?早く、早く戻ってくるんだ!!死ぬ気かっっ」


 魔王軍はすでに目と鼻の先に陣取り、その数は一万。ただ一人の人間など塵芥同然である。いや、ただ殺されるだけならまだマシかもしれない。こちらの戦意を挫く為に、たった一人の愚かな人間を見せしめとして残虐な拷問にかけるかもしれないのだ。人々はその男の悲惨な未来を誰しもが思い浮かべた。


 「大丈夫。僕が時間を稼ぎます」


 後ろを振り返った男のあまりに平然とした表情。穏やかとさえいえるその顔と、距離があるというのに不思議と聞こえてくるその落ち着いた声に、呆気にとられる民衆。男はただ一振りの剣を手に人々の制止する声を振り切り、疾走した。

 その速さたるや、疾風の如き。忽然と姿が消えた瞬間には魔族軍との彼我の距離をみるみる内に縮めていく。目を見張る民衆とは別に、魔族たちはせせら笑う。ずいぶんとちょこまか動く蠅が飛んでいるな、と嘲笑したのだ。たった一人に何ができるというのか。愚かな人間にはそんなことも理解できないらしい。


 「その愚かな行為の代償を命で償うがいい」


 魔王軍の指揮官は精鋭たる魔術砲撃隊にあの人間を狙撃するように命じた。その命に従うは一個中隊。一人に対してはあまりに過剰な火力をぶつけ、他の人間どものみせしめにするつもりだった。

 いくつもの魔術陣が宙に浮かぶ。その数、百はくだらない。それだけの数の魔術が男を狙っていた。一つ一つの魔術だけをとっても人間一人殺すだけなら余りある。指揮官の令によって殺意に彩られた雨が天から降り注ぐ。

 隙間一つ、逃げ場のない絨毯爆撃が男に襲い掛かり、攻撃の激しさでもうもうと土煙が上がった。魔族の指揮官はその結果に満足そうに頷く。しかし。


 「そんな馬鹿な」


 土煙を切り払い、男が姿を現した。五体満足、怪我一つすらしていないその姿に民衆は沸き立ち、魔族たちは得体のしれない敵に僅かに動揺した。それでも彼岸の戦力差は圧倒的である。いち早く我を取り戻した魔族の指揮官は今度こそあの人間を亡き者とするべく、更なる火力を投入した。先ほどは下級の魔術でも十分だと判断したが、それでも足りないらしい。ならば、たんとくれてやろうではないか。


 「上級魔術の使用を許可する。煩わしい人間どもの口を永久に閉ざしてやれ」


 上級魔術は消費する魔力が多く、連発は効かない。その分、威力は下級・中級魔術とは隔絶としたものがあり、主に大型の対魔獣用の対抗手段として使用されていた。それだけの攻撃魔術をただの一人の人間に使用するなど、前代未聞であった。

 プライドをいたく傷つけられたのか、勢いづいた人間どもを再び恐怖で染めようと思ったのか。あるいは、すでに半分の距離まで詰められたあの男に対する恐怖を本能的に察知したからだろうか。


 「魔術構築を開始。魔力注ぎ、集い、詠唱せよ」


 砲撃隊の隊長が指揮を執り、兵たちは魔術を詠唱する。魔力の高鳴りに呼応するように巨大な魔術陣がいくつも宙に浮かんだ。数こそ先ほどと比べて少ないが、魔術陣は複雑な紋様を描き、込められた魔力は比較にすらならず、大気をびりびりと震わせる程であった。

 互いの干渉を嫌い、強大な威力を持つ魔術が時間差で放たれる。先陣を切るのは大きな、それこそ家を一つ飲み込むほどの火球であった。赤々とした灼熱は触れてすらいないのに、通り過ぎるだけで周囲の草花を瞬時に灰と化す。男へと真っすぐに突き進むその速度は、男が見せた風の如き速さと遜色ない程であり、巨大さも相まって回避は困難であった。避けたとしても熱波が伝わり、ただでは済まない。吸い込んだ空気から熱が伝わり、臓物を焼き尽くす事だろう。追撃する魔術も続々と放たれており、確実に男の命を刈り取ろうと死神の鎌は振り下ろされる。


 「………は?」


 呆気にとられた声を出したのは誰だったか。魔族の指揮官か、砲撃隊の隊長だったか、それともただの一兵士か。いや、その誰しもか。開いた口が塞がらくなったのは最前線にいた兵士たちであり、信じられぬと血走った目を限界まで広げたのは指揮官であった。必殺の一撃であった業火を男は避けるでもなく、防ぐでもなく、その剣で斬ったのだ。

 それは思わず美しいと見とれてしまう程の剣の軌跡だった。一切ぶれることなく、男の左の腰元から斜めに切り上げられた一撃は、敵であるはずの魔族さえ立場すら忘れ、魅了した。

 二つに綺麗に別たれた火球は男の後方で大爆発を起こし、ようやく魔族たちは我に返る。火球の爆風を利用して更に男は加速していた。男を狙っていた直線的な魔術はそれだけで回避され、上空から飛来する数々の魔術はあまりの速さに捉えきれず、地面に大穴を掘るばかりで役に立たない。


 「人間風情がっ!!曲芸如きでいい気になるなよ!!!」


 魔族の指揮官の判断は迅速だった。距離は未だ十分に離れている。まだ魔術の優位性は覆ることがない。点の攻撃が効かないなら面の攻撃を。威力は多少落ちるものの、範囲攻撃に長けた他の上級魔術ならば効果範囲は広大であり、ひ弱な人間なら直撃すれば一撃で片がつく。

 始めに命令を下した魔術はタイダルウェイブ。優に五メートルは超える津波が押し寄せ水圧によって圧死させる水の魔術である。

 次なる魔術はサンダーストーム。暗雲の中から絶えず降り注ぐ雷撃は一瞬のうちに対象を感電死させる雷の魔術である。例え最初のタイダルウェイブが避けられようとも、地上にいるならば水が残り、雷撃が水を伝い逃れぬ事などできない。二重の罠であった。


 「放てっ!!!」


 指揮官の命令によって行使された魔術は、詠唱が完了した瞬間に即座に発動された。男の姿さえ見えなくなるほどの大津波が突如として発生し、怒涛の勢いで押し寄せていく。空を飛行でもしなければ回避は不可能だった。

 男は真正面に突っ走るだけで対抗策をとることなく、タイダルウェイブはあっという間に男の姿を飲み込んだ。束の間、魔族たちはあまりの呆気なさに拍子抜けしてしまったが、それは早計過ぎた。

 ぎょっとした顔をした魔族が宙を指を差す。指の先を他の魔族たちが次々と視線を向けると、その先には大津波の上を渡っている男がいたのだ。波の上を走っている………?どうやったらそんな芸当が出来るのか、あまりに現実味のない光景だった。だが事実、目の前でそれは起こっている。眼前の光景を否定しようとするかの如く、狂ったように魔族の指揮官は叫んだ。


 「奴を、奴を早く殺せ!!」


 空が黒い雲で覆われ、稲光が舞う。暗雲の中から音よりも速い天の雷が男に降り注ぐ。雷の魔術は何よりも他の魔術より速度が圧倒的であった。見てから防ぐのは不可能に近く、魔族同士の戦いであれば魔術障壁を事前に展開する等の防御手段が一般的に用いられる。いかにあの常識外れの男であろうと、今度こそは確実に仕留められる、はずだ。そのはずなのだ。


 「なんだ、なんなのだ。これは現実か。あれは本当に人間か………?」


 サンダーストームは確かに発動した。波の上を疾走する男の周囲一帯を粉砕せんとばかりに、激しい光と轟音と共に雷は雨の如く襲い掛かった。この魔術の性質上、単体の敵に対する命中率は高くないが、直撃せずとも関係はない。降り注いだ雷は地上に到達すると、魔術で発生した水の中を生き物のようにうねり狂う。水に少しでも触れていれば全身を黒焦げにする程の電流が暴れまわる事だろう。だがまたしても魔族の思惑は外れる事となった。

 雷撃は絶えず男を攻撃しているが、何故かダメージを負っている素振りもない。すぐ傍に雷が落ちても、感電している様子もない。直撃しそうな雷撃は刹那の見切りで避けられるか、造作でもない事かのように切り払っている。音を置き去りにする程の速さを誇る雷撃を、だ。どうなっている。これはなんなのだ。起きていながら悪夢でも見ているかのようだった。


 動揺がもはや抑えきれない程に魔王軍の中で広がる中、誰一人としてそれに気づかなった。男がほんの少しだけ、波の上の空中を走っている事を。男の全身がほんのりとした光に纏われている事を。

 それは気と呼ばれるものが起こした現象だった。魔族の魔力に対して、人族の奥底にあるといわれる気。生命の力を根源とされているもので、人族であれば誰しもがもっているといわれている力だった。

 だが、例え気の力と言えど、荒唐無稽な現実を実現可能とするようなものではない。普通の人間であれば精々が少し力持ちになるとか、少し足が速くなるとか身体能力の強化が主である。けして巨大な火球を二つに切り裂くとか、雷を感電する事無く切り払うとか、水の上を走るなんておかしな芸当が出来るものではなかった。


 そうして男が辿り着いた場所は、魔王軍と目の鼻の先。到達する前に殺されると誰しもが思っていたその距離を零とし、無傷のままに踏破した。

 ありえない事を成し遂げた男の姿は凡庸であった。どこにでもいるような中年の男は、一般兵に支給されている軽装のレザーアーマーを着込み、万の軍勢を前に泰然としていた。すでに戦士としてもピークを過ぎているような男が先ほどの光景を生み出したなど信じられないような事だが、ただ一振り、その手に持っていた剣がぱちぱちと帯電しており、それが嘘ではないと証明していた。


 「う、うわあああああああ!!!!」


 男のすぐ傍、最前線にいた一人の魔王軍の兵士は恐慌し、我を忘れて男に切りかかった。男のどこにでもいるような貧弱な人族の姿が、普通すぎるその姿故にあまりに不気味で、心の均衡が保てなくなっていたのだ。他の兵士たちは誰一人としてそれを止めることが出来なかった。すでに止める間もなく近寄られていたし、まだ動揺から回復していなかったからだ。

 交差は一瞬だった。気づけば魔族の兵士は男の後ろで地に倒れ伏し、男はその場から動いてすらいないようだった。血も何も流れていない所を見ると、気絶させられたのだろうか。何をされたのかすらわからない。人族より身体能力でも反射神経でも上回っているはずの魔族たちが、一挙手一投足すら見えなかった。


 「こ、殺せ!!!その人族を殺せ!!!早く、早くしろ貴様らっっ!!!!」


 魔族の指揮官の取り繕うことすら忘れたその声は、本陣にいた魔族たちの我を取り戻す事には成功したが、最前線の兵士たちに届くことはなかった。彼らは一歩も動くことが出来ない。凪いだ海のような深い瞳でこちらを見据える男に、金縛りでも受けたかのように動けなかった。

 男はその隙を見計らったように跳躍し、いとも容易く前線の兵士たちを飛び越えた。驚異的な身体能力を前にして、間抜けにもぽかんと空を仰ぎ見る魔王軍を尻目に、躊躇なく周囲全てが敵の中に男は飛び込んだ。ここまで入り込まれてしまっては魔族お得意の魔術も使えない。指揮官は焦っていた。周りに怒鳴り散らし、あの化け物を早く、早くどうにかしろと喚いていた。だから、男が指揮官の声を強化された聴覚で拾うことが出来たのは当然のことだった。

 男は押し寄せてくる魔王軍を相手に一歩として引くことなく立ち回る。時に駒のように回って回避し、時に矢継ぎ早に襲い来る剣と槍を己の武器で受け流し、二の太刀いらずの一撃の元に兵士たちを無力化させていく。まさしく言葉通りの無双。鳥肌が立つほどの実力であるが、真に恐ろしきはこれ程までの大立ち回りをしているというのに、誰一人として魔族を殺していないということだろう。戦場であるというのに、血生臭さは少しもなかった。まるで劇場で見る演武の如く、男は舞い続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る