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 息が落ち着いてからも暫くの間、メイコちゃんはその場に蹲って動こうとしませんでした。


 怠惰。実に怠惰です。ナマケモノにコンクリートジャングルを生き抜くことはできません。

 無駄に在社時間が長いことを立派な社会人の条件だと勘違いしている中年サラリーマンほど救えない存在は他に類を見ませんが、あんまり怠けてばかりいるのも考えものです。

 人生は適度な労働あってこそ。苦を知らば楽を知る。定時まではビシバシ働きましょう。


 尚、当ダンジョンの規定労働時間は二十四時間。社員同士の距離が近い、アットホームな職場。

 つまり残業は物理的に不可能。実にホワイトですね。


「……う……うぅ、うあ……」


 唐突にメイコちゃんが、震えた声音で唸り始めました。


 と言うのも、当ダンジョンには些細な仕掛けが施されており、立ち止まったまま幾許かの時間が過ぎると、酒が切れたアルコール中毒者の如く、強い不安感や恐怖心に襲われる仕様となっています。

 まあ、不安や恐怖などと言っても、そう大したものではありませんが。定職にも就かず実家暮らしでダラダラ過ごす最中、同級生の出世や結婚を聞かされた時の感覚を何倍かに強めた程度の、小さなしこりです。


「は、はっ、はっ、はっはっはっはっはっ」


 些か過呼吸気味に立ち上がるメイコちゃん。

 堪忍袋の緒が切れた両親に怒鳴られ、数年ぶりに就職活動を始めるニートの如く、一歩を踏み出します。


 そして──ぽっかりと空いた落とし穴に、真っ逆さま。


「がっ、は……!?」


 それは見事な、さながら人生にも似た転落ぶり。

 思い切り背中を打ち付け、肺の中の空気を残らず押し出されるメイコちゃん。


 でも安心、安全、安保条約。

 この落とし穴は掛かった相手の体格や体勢に合わせて、深さや底面素材が緻密に変動する優れもの。

 骨折や内臓破裂などの重傷にギリギリ至らない、以降の活動に支障が出るラインを僅かに下回る域まで、ダメージを抑えてくれるのです。


「あ……っ、っ……あぁっ……」


 頭の接触部がマイクロビーズクッションだったため、メイコちゃんの意識は快晴同然にクリア。

 たっぷり五分間、穴の底で悶え続けました。






「……ざっけんな……」


 ようやっと舌の根が回るようになったメイコちゃんの第一声。

 捻りの無い悪態。教養の度合いが窺えるというものです。


「ああもう! マジで最悪! ざけんな、ざけんな、ざけんな!」


 忌々しげに天井を睨み、拳で床を打ち付け地団駄。

 そうそう、その意気。簡単に折れてしまっては面白味がありません。瀬戸際を撫でるように行きましょう。


「よくもアタシをこんな目に……!!」


 当ダンジョンは細かな配慮に余念が無い、痒いところに手が届くつくりなので、通路まで上るための梯子も当然、設置済み。

 乱暴に手を掛け、跳ねるように駆け上がるメイコちゃん。


 ──ちなみに豆知識として、アリジゴクは獲物の蟻が巣穴に嵌まった際、ただ待つだけに留まらず、自発的に砂をぶつけて追い落とすことが間々あります。


「あ」


 最後の一段。

 縁を指先が掠めるまで、あとほんの数センチ。


 唐突に梯子の金具が外れ、メイコちゃんは再度、背中を強く打ち付けました。

 勿論、意図的な仕掛けです。風流ですね。





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