第12話 恋なのかな?

「この前、誰かに送ってもらって帰ってきただろう、車で」

「え、あの人、あの人仲間でデッサン会やってるのよ。ほら前に話した山崎教授の子供の担任なの。会の帰りに送ってもらった。あ、コーヒーもご馳走になったけど…」

「あいつもお前の裸知ってるんだよな」

 知っている?

「知っているって言い方はちょっと違うな。仕事だからね。それに…当たり前じゃない。絵を描いてるんだから」

「悔しかった…」

「へえ?」

 益々理解に苦しむ。河合の思いがけない言葉に暢子は混乱した。勿論可愛の気持ちが解らない訳じゃない。だけどそれは愚問ってもんだ。

「なんかさ、お前と一緒にいるのを見て悔しいって、俺、感情的になるの上手くないからお前に伝えたいこと伝えられるかなあって、もっと上手くお前も好きになるような言い方出来ないかなあって」

 お前も好きになるような…と言われて暢子は自分の気持ちを探してしまった。

 自分の気持ち…探しても見つからない。

 でも、目の前で悲しい顔をしている河合の顔を見ていたら、このまま放おっておけない気持ちにはなる。おせっかいなのか、それが好きってことなのか?河合といると嬉しい…それが好きってことなのか?そこが解らない。

 暢子はどんどん自分に自信が持てなくなって心細くなってきた。

「そうする?開ける」

「うん、開けて」

「もらってくれるの?」

「うん」

「好きってこと?」

「好きっていうのとは違う…」

 多分違う。好きっていう河合の気持ちを受け止めてあげたいと言う反応。

「え?」

 河合が心配な顔をした。

「なんか愛おしいみたいなの…」

 そう言うと河合が凄く嬉しそうに、それで十分さというように、他所では見せない顔で笑った。その笑顔を受け入れたいと思っている暢子は、多分河合の事が好きなんだろう。

 箱の中にはもう一つ箱が入っていて、小さな指輪が収まっていた。

「わあ、良いねえ。この花の形」

 指輪などはめたことのない暢子の指に小さな花が咲いた。

「気に入った?」

 指から目が離せない暢子に河合が尋ねた。

「うん、大切にする」

「それからもう一つ、」

 と、言って暢子の頬にキスをした…。

 河合の気持ちは溢れるほど沢山で、恋愛経験の乏しい暢子は溺れてしまいそうになった。

「キスは河合としかしたこと無いよ」

 と照れると、

「良かった」

 と河合も自分の気持ちを持て余していた。

 その後、二人はこっそりと扉を開けて台所に降りた。

「あ、チョット待ってね」

「なに?」

「まあ、まあ」

 暢子は悪戯を楽しむように嫌がる河合にエプロンさせてカメラを構えた。

 かなり真面目な顔をして怒ってきたが、暢子が指輪を顔の前にかざすと、諦めてムスッとした。この指輪はかなりの効き目がある。まるで孫悟空の頭の輪っかみたいだ。

「河合もみんなと一緒にご飯食べようよ。どうせみんな河合の気持ち知ってるんだし、あんた全然解りやすいもの」

「…」

「苦手と言っていると何時まで経っても克服できないよ。もう此処でみんなと一緒にいられるのも、後わずかなんだから」

 河合は良いとも嫌とも言わなかった。でも、エプロンして台所に立っている姿を美緒に見られた。

「え?誰かと思ったら河合…プ、似合うじゃない」

 美緒に笑われてついに河合も観念した。

「でしょ、絶対良いよね。あ、美緒そこにカメラあるから写真、撮ってよ」

「ああ、これ。や〜良いね。河合顔が引きつってるよ。リラックスして。ついに暢子が鋼のような河合の心を溶かしてしまったって訳か〜お手柄だね」

 美緒の冷やかしにも抵抗できず苦笑いする河合が可笑しかった。

 二人で写した最初の写真は、相当ぎこちない笑顔でエプロンしてフライ返しもって…変だけど嬉しい記念の一枚となった。

「なに?今日河合が夕食作ってるの。信じられないな〜」

 幸太夫がからかう。河合はムスッと嫌な顔。黙々と玉ねぎを刻んでいる。少し涙目。だけど、みんなやっぱり河合の事が好きなんだな。暢子だけでなくそうなんだ。だって本当に此処の連中良い奴だから…もっとみんなの気持ちが河合に届くと良いなあと陽子は思った。

「なんか嬉しいね。一緒に御飯食べれて」

 暢子は一人ではしゃいでいる。

「先輩包丁なんて持って、怪我したらどうするんですよ」

 後輩らしくピアニスト河合の指を心配して安朗が言った。

「そう言えば河合の手って綺麗だよね。指も長いし、暢子より綺麗なくらいよ。比べてごらん」

 暢子と河合が顔を見合わせて手を出すと、

「あ!」

 みんなの目が指輪に止まった。

「それ?」

 おそるおそる聞く。とうとうそうなってしまったか…

 暢子は少し照れながら、

「河合にもらったの」

と、照れ笑いした。

「なんであんたが河合に指輪をもらうのよ!」

 理子が納得いかない顔でぶつつく。

「先輩…」

「ん?」

「うちの科じゃあ、河合さんが暢子先輩に惚れてるのみんな知ってますよ。口には絶対出さなかったけど」

 安朗が遠慮がちに言った。

「本当なの。ねえ暢子!」

 理子は口を開けたままみんなの顔を交互に眺めた。

「う、うん、私と理子が知らなかっただけみたい」

 理子に拗ねられていびられるんじゃないかとビクビクしながら暢子が言うと、

「え〜やられたな〜」

 と、やけに嬉しそうに笑った。

「今日、暢子の誕生日だったんだ」

 ニタニタと笑っていた河合がみんなの食卓について初めて口を開いた。

「え!そうなの」

「なんだおめでとう」

「忘れてた。言ってくれたらご馳走したのに」

「ううん、何よりのご馳走。こうしてみんなで一緒に肉じゃが食べれるなんて、入学して三年目で最高に嬉しい一日だった」

「いやあこれはショック。バースデイか、それじゃあ仕方ないな」

「なにが仕方がないのよ。二人のデレデレが…」

 河合は照れくさそうに、でもまんざらでもないように優しく笑った。

「ねえなに、私がいない間に、いつの間に二人はそういう事になったわけ?」

 と、理子が今更ながら聞いた。

 暢子は、この期に及んで自分の気持ちが確認できなくて困っていたけれど、この幸せな気持ちは、やっぱりそうなんだって、だんだん確信が持ててきた。

 気が付かなかっただけで、ずっと河合の事が好きだったのかも知れない。ずっと…

「あ、これ食べたらケーキ買ってこよう」

「そうすね」

 それから…安朗と河合が二人でセッションしてくれて、美緒も美声で歌ってくれて、暢子はとても、とてもハッピーなバースデイの夜を過ごした。


「あの河合があんたのこと好きだったなんてね」

「うん、ビックリでしょう。なんか空気みたいだったっていうか、そこにいるのに慣れてて、好きとか、あ!、と言う間に飛び越してた感じ。改めて好き?って聞かれるとよくわからない。居心地は良いのよ。だから好きってことかなってさ」

「ふうん、好きって色々あるんだな〜」

「理子のは?」

「私は憧れに少し救済入ってたかな。四十で独身って思ってたから、そんなの寂しすぎるって…だけど先生女々しくないし、頼りがいあるし、よく考えれば落ち着きあって本物だったんだよね」

「奥さん、幸せ者だね」

「うん、凄いよね」

 二人があれこれここ何ヵ月間のことを語っていると、下からピアノの音が上がってきた。いつもより明るい元気な曲。河合にとっても良い日だったのかなあと暢子は思った。こんな風に喜んでくれた理子の事も正直驚きだった。

 山崎の失恋の傷も癒えていない今、河合のことまで話せなかった。それなのに二人のことを自分のことのように喜んでくれた理子の思いに触れていた。

「もう隠し事無い?」

 不機嫌そうに言う理子に、少し考えるふりをして、

「ないない」

 と、笑う暢子だった。 

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