第11話 裕美ちゃん
その時…
ピンポーン…玄関の呼び鈴が鳴る。
「はーい」
暢子が急いで玄関に向かうと、
「どなた様ですか?」
と、扉を開けた。
「こんにちは」
「あ、裕美ちゃん」
そう言えばこの頃、裕美はアパートに来てなかった。暢子は自分の事で精一杯でバタバタして周りのことが目に入って無かった。
「どうしたの?」
掛ける言葉も見つからない暢子はそう言った。裕美に申し訳なくて声が上ずっていた。
「しばらく来てなくて、来にくかったんですけど暢子さんと話がしたいなと思って…来ちゃいました」
「ああ、遠慮しないで上がって」
バタバタと手を動かしながら裕美にスリッパを勧めた。
「あ、はい」
「あ、裕美ちゃん。いらっしゃい。暢子私ちょっと出掛けてくるわ」
「え!何処に?」
「吉野に会うのこの前学校で会ったって?」
「あ、うん、吉野…ああ」
「頼んでたことがあったのよ。行ってくる」
「うん、気をつけて」
二人だけになると安心したように裕美はホールのソファに浅く腰掛けた。ベージュのワンピースに紺色のカーディガン。何処から見てもお嬢様という格好で清楚そのものだった。暢子にこんな格好は真似出来ない。
いちいち比べてしまう自分を情けないと思いながらも印象の良い子だと改めて思った。暢子がコーヒーを入れてホールへ持っていくと、裕美がピアノの前にボーッと立っていた。
「ピアノ弾きたかったらどうぞ!」
暢子の声に小さく反応して、裕美はそっと蓋を開けて優しい曲を弾いた。裕美の曲を聞いているうちにぎこちない気持ちが落ち着いてきた。
「このピアノ色んな人が弾いたんでしょうね。ずっと此処にあったんですか?」
「グランドピアノだからね。この前河合が手入れの行き届いた良いピアノだって言ってたよ。うちのアパートで一番高価なん…あ、私…」
河合の話をしたら裕美の顔に、一瞬、暗い影が指した。
「あ、良いんです。暢子さんに気を使わせてしまって…でも、本当にわかってたんです。河合先輩、暢子さんにだけ明るい顔見せること知ってましたから。
河合先輩のあの曲、いつも暢子さんを思って弾いてるって有名でしたから。だから…その、河合先輩の気持ちはわかってました」
「そ、そうなの…」
拍子抜けするような裕美の話。
「でも、河合先輩のこと好きだったから、少しでも近づきたかったんです。安朗先輩の気持ち利用して、このアパートに出入りしたら、河合先輩に近づけるかなって」
戸惑う暢子に裕美はカラッと気持ちを白状した。
「じゃやっぱり裕美ちゃん。河合のこと」
裕美が憂いを含んだ目で見上げゆっくり頷いた。
「暢子先輩にこのアパートに来たらって誘ってもらって、河合先輩にピアノ教えてもらったらって言われて、暢子先輩にその気がないなら私にもチャンスあるかなって思ってしまって」
そんな事も言った気がする。
「ごめんね。いい加減なこと言っちゃって、きまり悪いな。知らなかったのは私だけだったんだね」
「私、安朗から付き合って欲しいって言われたんです」
「え〜安朗から、これまた新情報だな〜」
安朗が裕美ちゃんをね〜そう言えば、美緒から安朗のことを聞いていた。
「知らないことばっかだな〜」
「だって暢子さん。そっちはからっきし駄目だから」
「それで?」
「え?」
「え、じゃないよ。安朗のこと」
「ああ、河合先輩のこと気にしてたから、ずっと返事できなかたんです。でも、思い切って付き合ってみようかなと思って」
「そう」
「近いうちに此処へ引っ越してきます。暢子さんにも前から言われてましたし」
「いいねえ。若い子が入ってくると楽しいよね」
玄関が開く音がして、誰かが靴を脱いでいる。
「あ、河合だよ。今時分なら…お帰り」
「ああ、ただ…」
裕美の顔を見た途端に顔色が変わった。
「こんにちは」
「何よ!その顔。裕美ちゃん此処に越してくるんだって」
「何で?」
「何でって前から誘ってたの、理子と皆んなでさ」
「先輩と暢子さんの邪魔しませんから」
「そんなこと…」
「そっか」
「そっかって、河合も愛想無いよね。まったくちょっと待ちなさいよ」
暢子の話も聞かず河合はさっさと二階に上がった。
「ね!暢子さんのときだけでしょ。笑ったの」
そう言えばそうだったかな…と暢子は苦笑いした。
「あ、暢子さん今の話。安朗には内緒で…河合先輩が好きだったこと。多分気がついてるけど…」
「うん、わかった。わかった。宜しくね。気になることがあったら何でも言ってね。皆んなのアパートだからさ」
「じゃあ私帰ります。また近いうち来ます」
そう言って裕美は帰って行った。 今まで安朗のことを掃き溜めに鶴と言っていたけど、そこから言うと、裕美ちゃんは孔雀かなあ。鳳凰かなあ。と羽ばたく絵柄を想像しながら、久々に住人の増えるこのアパートを一度大掃除してやろうと暢子は思った。
「あいつ帰った?」
河合は裕美のことを気にしながらホールを覗いた。
「あなたね。一瞬にして顔色変えるの止めなさいね。まったく失礼ってもんよ」
「良かった苦手なんだ」
全然人の話を聞いていない。
「そんなの裕美ちゃんに限らないじゃない。いる人いる人みんな苦手なんでしょう。良くもそんな偏った正確になったもんだよね」
唯一強気になれる河合に暢子が叱った。
「俺の部屋に来ない?」
「はあ」
こんな時に…
河合のことはほとほとわからない。
告白した途端やわらかくなって、この前までそんな素振り全然見せなかったのに。食事に誘ったり部屋に誘ったり、みんなからどうなってるんだよと騒がれやしないかと不安になろる暢子だった。
「来いよ」
「わかった。わかったって。でも、今日食事当番だから、後で手伝ってよ」
「俺が?まさかそんなこと」
「じゃ、駄目。時間がなくなると困るし」
「…ま、やるか仕方がない」
と、あっさり河合が折れた。。それは…まさかと疑いたくなるほど素直な反応だった。
「河合がみんなの食事を作るなんて、なんか、可笑しい。本当にやったら写真とろ」
と、暢子が言った。
「早く」
「なんでそんなに急ぐわけ」
「いいから、早くしろ」
俺は何もしたいことはないとか、お前を束縛しない。みたいに言っておいて、早くしろ。とは何だ。結局所有してると思うけど…暢子を部屋に押し込むとバタンと戸を閉めた。
初めて入った河合の部屋はとても綺麗に片付いていた。
そう言えば河合は掃除も自分でやっていたし、幸太夫や安朗のようにゴミ溜めになる〜と言って無くこともなかった。同じアパートに暮らしながら誰も入ったことのない河合のこの部屋。感動で酔いしれてる暢子に『これ!』と、無造作に渡した。
「これ?」
小さな可愛い小箱。中にが何が入っているのか。
「誕生日プレゼント。20歳のな」
「ええ!私の…」
暢子の忘れていた誕生日を河合は憶えていた。
「おいおい、まだ誕生日忘れる歳じゃないだろう。俺なんか今年の暢子の誕生日にははっきり好きだって言おうと覚悟決めてたんだ。少し早まったけど」
「そう、プレゼントなんのか」
河合の決死の覚悟の前に頼りない暢子…こんなの私にもらう資格あるのかな〜ためらう。可愛の気持ちが本当だとしたらいい加減な気持ちで受け取るわけには行かない。考えれば考えるほど動けなくなった。
「どうした」
「私もらって良いのかなって」
「どういう意味」
「河合のことどう思っているのかなあって」
「俺のこと好きじゃなかったら貰えないってこと」
「うん、そんな気がする」
「じゃあ好きになれよ」
それもまた強引な…
「え〜だってこの前、今迄のままでいいとか何とか言ったじゃない。コーヒー入れてくれるんでいいとか声が聞こえるだけでいいとか…」
河合の勢いについて行けない暢子は泣き声になった。
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