第7話 告白?

 三者懇談の日は朝から雨だった。恨めしそうな顔で窓の外を見ていると、

「この時期、雨って珍しいよな」

 と、雲の様子をうかがいながら幸太夫が寝ぼけ眼で言う。

「先輩、今日俺、野音でライブっす。ヤバイっすよ」

 と、安朗がわめいた。

「大丈夫よ、昼から止むって天気予報で言ってたよ」

 とおだやかな美緒の声がした。

「昼から止むのか…」

 暢子は通信を机の上に広げて時間を確認した。4時、美術室。

「へえ懐かしいな〜中学の美術室だって4時か〜」

 美術室と確認して三者懇談にいく煩雑さも忘れて興味が湧いた。わら半紙に刷られた活字を追いながら、さあどうするかなと今日一日の行動を決めかねていると、階段を降りて来る音がした。それは暗い湿った音で、何か不吉な予感が迫ってくる。重たいイメージが徐々に近づいて爆発しそうな気配がした。

「あ!」

 その正体は思った通り河合で、降りて来ると暢子の前にドカッと座った。暢子を見て睨んでいる。二人の間に重苦しい時間がしばし続く。

「……」

「何?」

 暢子はたまらなくなって声を出した。

「お前この前言ってただろう。芦田にピアノ聞かせてやれって」

「うん、言ったよ」

 確かに言ったがそれがどうかしたのか。何か暢子の発言が河合に迷惑でもかけたのか?

「何か誤解してるかなと思って」

 睨んでいる顔とは裏腹に落ち着いた声でそう言った。

「誤解?」

 誤解ってなんだろう。そんなに睨まれるほど悪い事を言った覚えのない暢子だった。

「お前がどう思ってるか知らないけど、俺、芦田のこと何とも思ってないから」

「何ともって?」

 河合の言おうとすることが暢子には解らない。

 嘘だ。私は河合が祐美ちゃんのこと好きなんだってずっと思ってたけど…と河合の目に語りかけた。

「お前時々つまんないこと言うだろう」

「……」

 つまんないと言われても…困る。暢子は河合の剣幕に焦り始めた。

「あれ止めろよ」

「なんで急にそんなこと言うのよ」

 ついに喧嘩腰になって暢子がぶつつくと、それに反応して河合もハッキリと言った。

「最近何となく芦田が俺のこと意識してた。そういうの嫌だから誤解のないようにと思って、芦田にはそんなようなこと言っておいたから」

「え!裕美ちゃんに何言ったの?」

 態度が河合らしいなとは思ったけど、何を言ってるんだかはよく解らない。まったく唐変木って感じだった。誰が河合が、私が…暢子は戸惑っていた。

『あ、それから俺お前のこと好きだから…な」

「ええ!」

 今なんて言ったの。と、暢子は混乱した。顔を上げると河合が優し顔で笑って、暢子のことを指差した。好きって…頭の中が真っ白になった。

「私のことが好きって…今言った?」

「ああ、一年の時からずっとな」

「そう、一年の時からずっと…!」

 突然の告白に暢子の頭はショートした。でも考えてみると…

 そうだ。そう言えば思い当たる節がある。河合はこのアパートでは暢子が一人の時以外ほとんど顔を出す事はなかった。ピアノも暢子にしか聞かせない。何か一度に顔が赤くなった。そっか、河合は自分の事が好きだったのかと、呑気に感心してる場合じゃない。

 唐変木は…暢子だ…

「あの?」

「ん?」

「ひょっとしてそのことを裕美ちゃんに…」

 暢子は自分の勘違いなら良いが裕美が河合のことをずっと好きだと思ってきた。確かに裕美が河合のことを好きだと何度も感じることがあった。

「ああ、そうだよ。俺の好きなのは暢子一人だからって」

「うそ?」

 暢子はぶっ倒れそうになった。そういうこと言うかな…としばし顔を眺める。言うか。河合なら残念ながら…その結論に達するのも早かった。

「嘘ついたって仕方ないだろう。そうなんだから」

 そりゃあそうかも知れないけれど、裕美ちゃんはどうなってしまうんだろう…

「裕美ちゃん、なんて…」

「私もそうだろうと思ってましたってサ。俺お前としか話ししないからな、普通わかるよ誰だって」

 心臓はドキドキ早鐘のように鳴っているけれど、何だか人のことを話しているみたいで、それを自分の事だとは到底想えなかった。

 河合は何処までも平常心のまま、暢子に優しい視線を向けた。

「それって告白なの?」

「そんなんでもないな。別にどうしたいってないし、今のまま、お前見てるだけで俺は良いし、このアパート毎日一緒にいられるからな。お前コーヒーも入れてくれるし、俺と話して無くてもどっかから楽しそうな声も聞こえてくるし」

 そう言って立ち上がると、河合はコーヒーを自分で入れて、何事もなかったかのように椅子に深く腰掛けて新聞を読み始めた。

 これだけ平気な顔して人に告白する者もいないだろう。…暢子は狐につままれたみたいに目をパチクリした。

『今のままでいい』って今そう言ったような。別にどうしたいって無いとか。こういう妙な奴だって、3年間知らずにいた現実に驚いた。暢子の反応を楽しんでいる余裕さえある河合にこの先何を話すべきか、このまま立ち去るべきか、考えあぐねながらも、そのままにするのも逃げるみたいで悔しくて、

「あ、あの、私、今日山崎教授の子供の三者懇談に行くんだ」

 と、なるべく平常心で今一番気になることを話した。

「え?それバイト?」

「ううん、そんなんじゃない。先生に頼まれたのよ。行ってくれないかってサ」

「学校へ行くんだよな」

 ちょっとは真剣に相手してくれる顔をして、新聞から目を話して暢子の方を向いた。

 目が合うのは困る。心の準備の無い暢子には戸惑いが隠せない。

「うん、中学3年生だって、この間、ほら、雨に振られて帰ってきた日、ジョギングの途中でバッタリ二人に会ったのよ。子供の顔を知ってるのが私しかいないから、行ってくれないかって」

 手をバタバタ動かしながらあの時の状況を再現した。

「へえ、子供が嫌がらないかな。全然知らないお前が三者懇談だろ」

「そうだよね〜そこよ足が重いのは。ま、行くだけ行くか、最悪子供が逃げても話は聞いてこれるでしょ」

「お前も人がいいから大変だな」

 と、言うと何事もなかったようにまた、新聞に目を戻してコーヒーを飲みながらそう言った。

「あの〜裸婦モデルのこと気になる?」

 顔色をうかがいながら聞いてみた。

「俺が?」

「うん、だってさっきの話によると…コホ、自分の好きな人の裸を皆んなに見られるわけでしょ」

「ああ、あれ、今の所平気だけど…そのうち俺だけのものにしたいって日も来るかな…」

 と、不敵に笑った。胸がキュンとした。これは可怪しい…

 暢子にとって河合からの一方的な告白。なのに言われた自分がコントロールできなくなってる。

「でも、どんなふうに描かれてるか気になるからデッサン展は見に行くことあるよ」

「へえ〜そうなの、どう?」

「どおって綺麗だと思うよ」

「そう」

 良かった。って喜ぶ暢子も単純だけど、綺麗って言われたら悪い気のする女はいない。

 しかし、待てよ…なんで好きな女の裸を他人に見られて、今のところは平気。とか余裕なことを言っていられるのか?裕美のことで気を悪くして自分をからかっているだけで、本当はなんとも思って無いんじゃないかと何処までも疑った。

 単純な暢子をからかって喜んでいるとしたら相当手が込んでいる。混乱した頭の中で、どっちに転んでも答えの出ない問答を一人繰り返す暢子だった。

 河合はそれからしばらくして学校へ出掛けて、暢子は一人になった。預言者美緒の言った通り昼から雨は上がり、軒先の木々も美しく葉を光らせていた。

 人生で始めての告白。それも世界で一番気難しい人種だと思っていた河合からの…

 はたしてあの告白は本当なんだろうか。もし、本当だとして、暢子が素直に受け入れれば何の障害も無いと言われればその通り。暢子と河合を囲むこの環境は、二人が愛を静かに育むには何の支障もなかった。

 正直悪い気はしない。でも、人生で始めてのこの一大事をどう受け止めたら良いのか暢子はただうろたえるばかりだった。

 暢子は2時を回ってからようやく重い腰を上げ、支度をして中学へ向かった。色々あったけど気を取り直してまずは三者懇談、三者懇談と自分に言い聞かせた。

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