第29話 乾杯

 3人でカレーを食べ終わったその時、駐在所の呼び鈴が鳴った。


「ルンちゃーん! ご飯食べたかい?」


 現れたのは恩田刑事課長。両手にスーパーから買ったと思われる食品満載のエコバッグを持参している。

 

 その後ろからは、


「お邪魔しますよ」


 なんと、恩田課長の奥様ではないか。


 どうやら、課長は勤務時間が終わるや否や、自宅に帰り奥様を連れ、ルンに美味しいものを食わせるべく近所のスーパーで買い物をしてきたらしいのだ。


「あらあら、もう食べちゃったのね。間に合わなかったわ」


 空になったカレーの食器を見て奥様が嘆く。その隣でうなだれる恩田課長。



 奥様にはオレも世話になったことがある。警察学校を出てすぐ刑事課で実習をしていた時、オレの指導に付いたのは恩田課長だった。そのとき、まだ23歳だったオレに、「若いんだからいっぱい食べろ! って、うちのカミさんが言ってたぜ!」といって手渡されたオレの分の弁当のなんとうれしかったこと。結局、刑事課実習の2か月間毎日弁当を作ってもらったのだ。


 今でも、たまに酒を飲んだ後などには課長の自宅にお呼ばれして、奥様からお茶漬けをご馳走になったりしている。


「課長、奥さん、いつもお世話になっております。わざわざきていただいてすみません。」


「晴臣君お久ね~。こっちの子がルンちゃんかしら? あら、こっちは駅前駅前交番にいた子よね。名前はなんだったかしら?」


「あっ、はい。緒方です! 緒方志穂美です! いつもお世話になっております!」


「あらあら、こちらこそ、うちのが恩田課長迷惑かけてないかしら? なにかあったらすぐ教えてね?」


「おいおい、俺の威厳が無くなるじゃねえか。ていうか、ルンちゃん、カレーは食ってもデザートはまだだろ! これ美味いぞ!」 


 そう言って課長がルンに手渡したのは、イチゴのフルーツサンドだった。


「ほれ! お前らも食べろ!」


 そう言うと、課長はもう一つの袋からつまみやら缶ビールを取り出し、蓋を開けて一気にあおり始めた。


「武藤! お前も飲め!」


「はい、いただきます」


 上司の酒は断ってはいけない。


 今でこそ有名無実化してしまったが、一昔前の警察組織では常識であった。


「あらあら、始めちゃったのね。じゃあ、私はお台所お借りするわね」


「お手伝いいたします!」


 そういうと、奥様はオレの官舎部分の台所に行って、お浸しやら肉じゃがやら煮つけやら、数日は日持ちしそうなおかずを作り始め、気を利かせた緒方巡査が手伝いに行く。


「ルンちゃんはジュースだな」


 課長はルンにペットボトルの炭酸飲料を手渡し、ふたの開け方を幸せそうな表情でルンに教えている。 

  

「さあ、それじゃあ乾杯だ。ルンちゃん、そのジュースを持って、上に掲げて、そうそう、じゃあ、行くぞ。ルンちゃんにカンパーイ!!」

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