第13話 首になった理由
「もうそろそろはじめ君も一人立ちしている頃だと思って 今日来たのよ。もう接客には慣れた?」
櫻子は優しい眼差しで 肇を見つめながら声をかけた。
「いえ、まだ半人前です。僕なんかがお相手してよろしいのですか?」
「あら、上手じゃない…いいわよ、その謙虚さが魅力的よ。」
「はあ……お飲み物は何になさいますか?」
「始めはいつものカクテル、覚えてる?」
「初めての出会い…ですよね。櫻子さんが初めて来店された日を記念して バーテンダーが作ったと伺いました。」
「勉強しているじゃない…気に入ったわ。」
肇がボーイを呼んで「櫻子さんに いつものカクテルを」と言うと櫻子も
「2杯ね、はじめ君も飲んで…」
「ありがとうございます。」カクテルが届くとふたりでグラスを合わせ
「櫻子さんに初めて指名していただいた記念に……」と肇が言った。
「いいわね、」
二人のそんな様子を離れたテーブルから翔が見ていた。
翔は上得意様の雅子と言うマダムとその友達を他のホストと一緒に相手をしていた。雅子は社交的なようで、来店する時は決まって友達の奥様方を連れてくる。
その友達の奥様方は ほとんどが興味本位で社会見学のつもりで雅子に連れられて やって来るのだが 中にはお姫様気分になれる事や、イケメン揃いのホスト達が
気に入って常連になる客もいる。そう言う意味では雅子は有り難い客なのだ。
この場を盛り上げて雅子達を楽しませなくてはならないと分かっているのだが、
どうにも櫻子と肇の様子が気になってならない、何だかしっぽりと話し込んでいる
ように見えるのだ。
「ねえ、はじめ君、オーナーと出会う前は何をしていたの?」
「僕、旅行代理店に勤めていたんです。大学を卒業して4年間、旅行案内や、団体旅行の添乗員などをしていたんです。」
「そう、でもそれがどうしてこうなったの?」
「僕、お客様の貴重品を紛失してしまったようで、預かった鞄の中のダイアの指輪がなくなっていて 1千万円の賠償金を請求されたんです。会社に多大な損失を負わせてしまって 首になったんです。」
「あらー、そうなの……」
「それが4ヶ月くらい前のことで 就職活動をしながら貯金を取り崩して生活していたんですが とうとう金が底をついてホームレスになるしかないと公園のベンチで寝ていたら、オーナーに声をかけられて…」
「そう、それはラッキーだったわね。それにしても、紛失してしまったようでって
どういうこと?」
「お客様がトイレに行かれている間、鞄を預かったんです。肌身離さず持っていたんですが…僕の目の前で外されてハンカチにくるんだ指輪だけがなくなっていて…
何だか狐につままれたようでわけわからなくて…」
「ふーん、何か匂うわね。」
「えっ?」肇は自分の体や腕を匂ってみた。
「違うわよ、詐欺じゃないかと思ったのよ。」櫻子はチョット笑ってチョット呆れ顔
「あっ、ええ、社長もそう言っていました。でも会社の信用にかかわるからと、お金を払って穏便に済ませる事になったんです。大体、不用意にお客様の鞄を預かっては
いけない事になっているんです。でもトイレに行く間のチョットだけだと思ったからつい……僕がバカだったんです。」
「そうかあ…」
「ホストの仕事に慣れたら 昼間に就職活動しようかと思っているんです。」
「あら、そうなの?オーナーが残念がるんじゃないの?」
「オーナーには就職活動をしても良いと言われているんです。」
「そう…私ははじめ君にはノアで働いてもらいたいけど。」
「でも僕、翔さんにも嫌われているし……」
「翔ねえ… いい子なんだけどね。あんなに嫉妬する子だとは思っていなかったわ。
多分…はじめ君がナンバーワンの座を脅かす存在になると思っているんだろうな、」
「ナンバーワンなんて とんでもないですよ。」
「あっ…はじめ君、首元に何かついてるよ。取ってあげるからジッとしていて、」
櫻子は肌に指が当たらないように それだけを掴もうとしたがなかなか上手く掴めず
少し伸ばして綺麗にネイルした爪が 肇の首筋に当たってやっとそれを掴む事が出来た。」
「あっ、ごめん…痛かった?」
「いえ、大丈夫です。」
「糸くずだったわね、何かと思ったわ。」
その様子を翔がチラチラと見ていた。翔の目には二人がキスでもしているんじゃないかと思えるように見えていた。
「どうしたの?翔君、さっきから落ち着かないわねえ、」と客の雅子に言われてしまった。
「いや……すみません。」
「ねえ、新人さんがいたわよね。確かはじめちゃんとかオーナーが呼んでいた人、少し相手をしてもらいたいのだけど……ダメかしら……」
「はい、今他のテーブルにいますから、私と代わりましょう。呼んで来ます。」
櫻子のテーブルに行く良い口実が出来たと翔は喜んだ。それに肇を櫻子から離す事が
出来る。ラッキーだ。スタスタと軽快に歩いて櫻子のテーブルに行くと
「櫻子さん、いらっしゃいませ。すみませんがはじめを少しお借り出来ませんか?
あちらのお客様が是非にとおっしゃっておられますのでお願いします。その間私が
お相手をさせて頂きますので、よろしいでしょうか。」
「そう、いいわよ、はじめ君、勉強していらっしゃい。でも戻って来てね。」
「はい、すみません、少し行って来ます。」
「あの3名様のテーブルだ。失礼がないようにな。」
「はい、」肇は櫻子に挨拶をすると雅子達のテーブルに向かった。
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