あなたはだれ?
冥府に降りたその日からユリアは繰り返し同じ夢を見るようになった。
勇者と呼ばれる男と旅をする夢を。
追体験をしているかのように流れ込んでくる幸福と絶望をユリアは持て余していた。
ぼやけて顔の分からない勇者と旅をするのは楽しかった。
旅路は過酷なものだろうに、夢の中のユリアが感じるのは勇者と共に歩ける幸福だった。
けれど、決まって夢の終わりにはいいようのない絶望に支配される。
それが何故かは分からない。旅の終わりに何が待ち受けていたのか、どうしてこんなに不安と絶望に支配されているのかは、肝心なところが抜け落ちているらしい断片的な夢から読み取ることはできなかった。
朝になると決まって濡れている頬にため息が漏れる。これではまるで、生きていた頃のようだ。ふと頭をよぎった考えに唐突に理解した。両親を心配させていた夢はこれだと。未だに同じ夢を見続けているのだと。くしゃりと顔を歪めて大きく息を吐く。
分からないことが多すぎる。冥王からされた説明はここに来た時にジークにされたものとほぼ同じだった。そなたの好きにせよとの言葉を頂いたが、勝手の分からない冥府に慣れるのに精一杯で好きにする余裕なんてない。
「せめて、ジークさんのお手伝いが出来ればいいんだけどなぁ」
冥府でそれなりに高い地位にいるらしい彼は多忙だ。
その合間にユリアの面倒を見てくれている。正直申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
困ったことはないか、不自由はしていないかと何かと気に掛けてくれる。
冥府に来た時に感じた懐かしさが薄まることはないが、違和感も抱かなくなった。
なによりも、彼の側は安心する。
ぐるぐる巡る思考をそのままに身支度を済ませたタイミングで扉が叩かれる。
「お嬢さん、今日はどうされますか?」
「ご迷惑でなければ、今日もご一緒してもいいですか」
ここ数日でお決まりになったやり取りに、扉を開けた先でジークが微苦笑を零した。
「私はかまいませんが、退屈ではありませんか?」
「はい。知らないことを知るのは楽しいです」
迷惑だったかと思ったが、どうやらユリアを気遣ってのことだったらしい。
安心して素直にそう答えたユリアにジークは目を見開いて数秒固まった。
「ジークさん?」
「……遠い昔、同じことをおっしゃった方がいらっしゃったので」
「そうですか」
ジークは懐かしむような、とても優しい目をしてジークはそう答えた。
なんとなくモヤっとした心に首を傾げながらジークの隣を歩く。
ジークの邪魔にならないように気を付けながら、彼の仕事を見学する。
冥府に降りてからのユリアの日常だった。
「ジークさぁん!冥王様がぁあ!!」
半泣きの役人がそう駆け込んできたのは、午後の仕事が始まって少ししたころだった。
ジークは盛大に舌打ちして顔を歪めた。
「俺は知らん。どうせ女神関連だろ」
「だからジークさんを呼んでるんですよぉおおお!」
「我々の手に負える訳ないじゃないですかぁ!」
縋りつく部下を鬱陶しそうに払いのけジークは溜息を吐いた。
ぱあぁあと顔を明るくした部下たちがキラキラした瞳をジークに向ける。
「お嬢さん、私は少し外します。ご自由にくつろいでいてください」
心底不服そうに紡がれた言葉にユリアが頷きかけたその時、心なしか弾んだ低い声がそれを遮った。
「必要ない」
その存在を認めた瞬間ユリアは無意識に膝を折った。
「頭が高いぞ。冥官」
「チッ」
続いて女性の声とジークの舌打ちが聞こえた。
跪いて頭を垂れているユリアに白魚の手がそっと触れた。
「顔をよく見せておくれ。妾の愛しい子」
「朝の女神様……」
自然と零れた自分に声にユリアは目を見開く。
目の前の美しい人は驚き固まるユリアなどお構いなしに、慈愛に満ちた表情でそっと頬を撫でた。
「迎えに来るのが遅くなって悪かったのぅ。さぁ、妾の宮に還ろうぞ」
「、」
言葉の出ないユリアの手をとり、女神がそっと立たせた。
混乱する頭でユリアは縋るようにジークを見た。
諦めたような顔でこちらを見ていたジークはユリアと目が合うと、大きく目を見開いてとっさに動き出そうとした。
ジークが動くより先に冥王がそれを制する。
「姉上。残念ながらその娘を連れていくことは罷り通りませぬ」
「これはもともと妾の物じゃ。そなたの指図を受ける謂れはない」
眦を釣り上げた女神に冥王は淡々と言葉を紡ぐ。
「いいえ。その娘は我と盟約を交わしております。
なによりもここは冥府、全ての権限は我にあります」
その言葉に女神はギロリと冥王を睨み上げた。
「騙しおったな!」
「人聞きが悪い。我はきちんと会わせて差し上げたではないですか。
さぁ、対価を頂く時間です」
青ざめた女神の肩を抱いて冥王が口元を綻ばせる。
ちらりとジークとユリアに視線を向けた後、冥王は朝の女神と共に姿を消した。
「……ということだ。冥王の仕事は机の上にでも詰んでおけ。
流石にン百年も篭ったりはしないだろう。……たぶん」
疲れ果てた顔でそう部下を追い払ったジークは固まったまま涙を流すユリアにそっと近づいた。
「大丈夫ですか?」
ジークが困っている。
そう思うのに、動けない。
朝の女神に連れて行かれそうになった時に、目があったジークが頭から離れない。
分からない。分からないけれど、知っている。
いつも、守ってくれた。いつも、いつも。最後の瞬間までずっと。
そして、最後の最後、同じような顔をさせてしまった。
「あなたは、だれ……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます