忘れ去られた記憶

 双子の創世神の片割れである夜の男神より冥府の王としての認識が広がったのはいつ頃からだっただろうか。

 冥王ではなく夜の男神として自分に膝をつくものはいなくなって久しい。

そう思っていた。

 冥王は自分にひざまずいた少女を思い出して唇を歪めた。

 此度こたびの名はユリアと言ったか。驚く程にユリアリアとよく似ている。

 なにより驚いたのはユリアの中にユリアリアが存在していることだ。


「さて、どうしたものか」


 冥王はそっと目を伏せ、思考を巡らせた。

 ユリアリアは朝の女神の愛し子だ。長きに渡り朝の女神の寵愛を受けた魂。

 否、その言い方は語弊がある。

 朝の女神の手元を離れてなお、それは途絶えることがない。

 魔王さえ出現しなければ、手放すことなどなかっただろう。

 手放したつもりなどなかったのかもしれない。

 朝の女神は愛する世界を守るため、魔を浄化する力を持った愛し子を一時的に世界に送り出した。その役目を終えればまた、朝の女神の御許に戻り、必要になればまた送り出す。

 聖女として魔を浄化し終えた愛し子の魂は必ず朝の女神の御許に戻ってくる。そのはずだった。

 だが、朝の女神の予想よりもずっと人々のマイナスの感情は大きく、魔の成長速度が速かった。結果、愛し子の力では太刀打ちできなくなった。世界滅亡の危機にどうしようもなくなって魔王を倒す者を創り出し送り出した。小さな計算違いがどんどん大きくなり、魔王共に消滅するはずだった魔を倒す者ジークハルトが生き残り、愛し子ユリアリアが魔王と共に死んだ。

 本来ならば、その生を終えた時点でこれまでの愛し子と同じように冥府などに寄らず、朝の女神の御許に戻るはずだったユリアリアは冥府に下り、夜の男神に願った。

 朝の女神の御許に戻ることではなく、世界を廻ることを。

 そして夜の男神はその願いを聞き入れた。

 ユリアリアとして生きたすべての記憶と引き換えに、輪廻を――――世界を廻ることを許した。当然輪廻を巡る度に記憶はリセットされる。稀に残っている人間もいないこともないが、ユリアリアに関しては夜の男神直々に手を下した。

 夜の男神の存在が人々に忘れさられ、冥王となった今も、確かにユリアリアの生の記憶は冥王の手元にある。

 ユリアリア記憶の入った小瓶を手に取り眺める。


朝の女神あねの一番の計算違いはユリアリアとジークハルトの感情だろうな」


 冥王に言わせれば計算違いというより、ただのケアレスミスなのだが。

 夜の男神が創りだしたユリアリアと朝の女神が創り出したジークハルト。

 その二人が惹かれ合わないはずがない。

 我らは双子の創世神。二人で一つの存在なのだから。

 荒々しい足音が近づいてくるのを聞きながら口元を緩ませる。


「説明しやがれ」


 予想と違わず現れたジークの低い声にクツリと笑みが零れた。


「そうだな。流れに身を任せるのも一興か」

「俺は、説明をしろと言っているんだが?」

「我ながら少々甘すぎるかもしれぬな」

「冥王!!」

「うるさいぞ、ジーク。我は忙しい」


 ひくりと口元を引きつらせたジークに冥王は大げさにため息を吐いた。


「説明ならそなたがあの娘にしておったではないか。

 用がそれだけなら下がれ」


 ジークを追い出し大きく息を吐く。

 我ながら甘すぎる。が、致し方ないだろう。

 愛しい女のために創り出した我が子と愛しい女の気配をまとう魂だ。

 ジークとユリアがどのような選択をするかは分からないが、最後にもう一度だけ慈悲を与えてやってもいいだろう。

 小瓶の記憶を戻してやることはしないが、おそらく時間の問題だ。

 忘れ去られた記憶をユリアが取り戻すのが先か、ジークが腹を括って動くのが先か。


「我を模して創られておるくせに、あれはヘタレだからな」


 どちらにせよ、もうすぐだ。

 愛し子が戻らないことに嘆いて引きこもっている朝の女神もそろそろ重たい腰を上げるだろう。

 大切な世界を救うために創り出した勇者のモデルが夜の男神である時点で答えは明白な気もするが、そろそろ認めさせてもいいだろう。

 泣き虫で、意地っ張りで、おつむが少々弱い、愛しい姉神。

 夜の男神の唯一。

 いつまでも見逃してもらえると思わぬことだ。

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