恨めしい、愛おしい

 冥王が脱走したと部下に泣きつかれたのは、ちょうど聖女様かのじょの様子を見ようと水鏡に向かっている途中だった。

 盛大に舌打ちした俺は悪くないはずだ。

 あからさまに怯えた顔をする部下をひと睨みしてジークは踵を返す。

 あのクソ野郎。普段は引きこもって動かないくせに、なんでこんな時だけ脱走しやがるんだ。

 また決裁書類を溜め込んだのか。朝の女神がまたやらかしたのか。それとも、ただただ朝の女神への執着いつものびょうきが顔を出したのか。なんにせよ迷惑すぎる。

 聖女ユリアリアの魂を見守ることはジークに許された正当な権利だ。それを邪魔するやつは双子の創世神であろうと、冥府の王だろうと許さない。

 つまり、冥王はコロス。

 今なら冥府に堕ちた時にとりあげられた朝の女神の力が使える気がする。その力をもってしても瞬殺されるだろうが、そう言う問題ではない。やらねばならない時があるのだ。

 心の中でブチブチ文句を言いながらジークは冥王の居そうなところへ片っ端から部下を向かわせた。


「無理です。ジークさんじゃないんですから!」

「そうですよぉ。俺たちが冥王様を連れ戻すなんて出来る訳ないじゃないですかぁ」

「はっ、だったら決裁書類が溜まっていくだけだ。俺は知らんぞ」

「「ジークさぁああん」」


 泣き言をいう部下を脅かし、蹴とばして捜索に向かわせて、ジークも冥府と現世の境界へと足を向けた。いつもなら探さない場所だが、何故かそこに向かわなければならない気がした。

 しいていうなら勘だ。だが、今までの経験からジークは自分の勘を信頼している。

 さっさと冥王を連れ戻して、彼女の様子が見たい。

 ……見つけた。


「王よ。黙って姿を消すのはお止めいただきたい!」


 ゆったりと振り返った男の瞳に反省はない。

 上等だコラ。

 ジークの怒りが一段階上がったところで、何か閃いたという顔で冥王がじっとジークを見た。


「ちょうど良い。ジーク。この娘が次へ向かうまでの世話をせよ」

「は?この娘って」


 王の影に目をやると少女がひとり跪いている。

 その姿にジークは息をのんだ。


「せいじょ、さま……」


 口の中だけで呟いたそれを拾ったのはおそらく冥王だけだ。

 固まって動けないジークに冥王はしたり顔で頷いて姿を消した。

 それでもジークは動かない、動けない。


「あ、の」


 戸惑いに満ちた少女の震える声に、我に返る。


「……失礼。お気づきかもしれませんが、ここは冥府。

 本来ならば全てリセットされ真白な魂で転生していただくのですが、貴女の状態では障りがあります。

 ですので、しばらく冥府に留まっていただきます」

「はい」


 必死に取り取り繕って言葉を紡ぐが、無垢な反応が、知らない人間を見る瞳が苦しくてたまらない。

 なんとか彼女を客室に送り届けて、大きく息を吐く。

 彼女が冥府に戻る度、新しい生へ向かう様を何度も見送ってきた。

 けれど、こんなに近い距離で接するのは初めてだ。

 いつも、遠くからゲートをくぐり新しい生へと向かう彼女を見守るだけだった。

 なのに、彼女がすぐそばにいる。触れられる距離にいる。

 冥王は何を考えているのか。ユリアリアの魂にジークが干渉することを禁じたのは冥王なのに、そのユリアリアの魂が冥府に留まる間の世話をせよとは。

 引き裂かれそうなほどに胸が痛い。なのに、彼女と言葉を交わせることに幸福を感じる。

 ジークを覚えていないユリアリアを恨めしいと思う。

 それでも幾度世界を廻っても変わらないユリアリアが愛おしいとも思うのだ。


「それにしても早すぎやしないか。一体何があったんだ」


 彼女の最後を確認しよう。

 ジークはもう一度大きく息を吐いて、冥王に説明を求めるために足を踏み出した。

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