それから

「では、続けますね。」

 彼はなんてことのない様子で、針を動かし続けた。皮膚の表面を細い先端がツツツと進んで、たまに引っかかる。ひどい痛みはでないが、血が滲むくらいの擦りむき方、表皮よりももっと深い、真皮には届かないであろう、くらいの強さで肌が傷つけられていくのが分かる。気を紛らわそうと真っ黒な天井を見た。壁と同様、塗り立てのようなぬめぬめしさを保ち、黒光りしている。表面の凸凹が乱反射して艶やかさが余計に目立つ。その黒い空間をじっと見つめていると、吸い込まれていくような不思議な感覚に陥った。2001年宇宙の旅の冒頭シーンを思い出す。オープニングのクラシックの代わりにストーンズが遠く聴こえる。

 この黒い空間をいとしゅんも見つめたんだろうか。

 いとしゅんだけじゃない、今までどれほどの人がこの万年床に横たわり、この漆黒を見つめて、何を思ったんだろうか。チリチリと肌を刺す痛みと共に何を感じ、何を考えたんだろう。

 段々と天井が近づいてきた。私を包み込むようにタールのように覆いかぶさってくる。二の腕の感覚はもうない。意識がぼんやりとしてきた。天井が完全に私を覆った。真っ暗な空間に不思議と恐ろしさはない。

 このままタールとひとつになって溶けてしまいたい。

 ふわふわとした気持ちに包まれる。なんて気持ちがいいんだ。

 タールはとろとろになって私の表面を覆い、目から鼻から耳から毛穴から染み込んでくる。

 意識がブラックアウトした。




 目を開けると見慣れたグレーの天井があり、カーテンの隙間からほの白い薄い朝日が差し込んでいた。無理矢理上体を起こすと頭がガンガン鳴り、孫悟空の緊箍児きんこじさながら締め付けられる。あまりの不快さに顔を盛大にしかめながら、辺りを見渡すと自分の部屋だった。深い脱力感が全身に行き渡った。最近よく夢か現実か分からない世界を視る。

 大きくため息をついて腕を折ると、左の二の腕に何かが張り付いているような気がする。Tシャツを捲り上げると、白血球と滲んだ血に塗れた髑髏が顔を出した。

 世界に細い光が差し込んだ。白っぽかったオレンジ色の光は徐々に濃さを増していく。何かが動き始める音がした。




              第一章 完


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刺青 古庄花江 @hanaefurusho

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