第3話(3) 闇の書庫




 意外と心の中は少年っぽいのかもしれない。思いがけず可愛い面があることに気付いてフィリアも和んでしまった。


「すごいのね……。いつか海を見ることが私の夢の一つだわ。シドには何か夢がある?」

「……夢、ですか。……いえ、私はもう叶いませんので……」


 ランタンの明かりの中、一瞬、シドの表情が微笑の中に翳を落とした気がした。夢が叶わない……彼の夢とは何だろう? 

 訊ねる前にシドが口を開く。


「お嬢様の夢は城域の外へ自由に出かけられることでしょうか。いつか外国へ旅をされるのも良いかもしれませんね」

「そうね、私の夢はたくさんあるけれど、色んな景色を見ることもその一つよ。色んな人と出会って、色んなことを知りたいの。きっと外国には私の知らないことがたくさんあるわ。だから、その為にまず、やらなくちゃいけないことがあるの」

「……といいますと?」

「結婚相手を探すのよ。私を自由にさせて下さる優しい方をね!」


 フィリアは僅かに眉尻を下げて微笑するとシドが持っていたランタンを奪い、自分の物と合わせて後ろ手にゆらゆらと揺らした。お互いの顔は見え辛くなくなり、二人の影が書棚に揺れる。


 今、自分はどんな顔をしているだろう。

 シドが影の騎士である確率は今のところ5%……なのに相変わらず執事にこんな話題を振っている自分がそろそろ恥ずかしくなってきた。


「お父様とお母様と約束したの。二十歳の誕生日までに運命の人を見つけるって。見つからなかったら両親が決めた人と結婚することになってしまうわ」

「……さようですか。それで、見つかりそうなのですか」

「残念ながらまだよ。早く現れて欲しいのだけど」


 ほぼ懇願の眼差しでシドを見上げると、薄暗い闇の中で彼は不思議そうに視線を返して来た。


「……しかし運命とは、自分の思い通りにはいかないものです」

「……え?」

「お相手をご自分でお探しになることも良いことだとは思いますが、もし見つからなくとも、ご両親のお決めになった男性が運命のお相手だったと思えば気に病む必要もございませんよ」

「ダメよ!」


 思わず不機嫌な声をあげてしまった。何を言い出すのだこの執事は、と心中が急激に怒りに燃える。否定されたからではない、シドの運命観が許せなかったからだ。


「諦めさせるようなこと言わないでちょうだい。私はお父様やお母様には絶対負けないんだから。そんな風に諦めちゃ駄目。運命というのはすでに決まっている物だけれど、未来を自分で掴みに行くか行かないかもすでに決まっているの。それは今、現在の自分が動くかどうかで決まるのよ」

「…………」

「さっきシドは自分の夢が叶わないと言ったでしょう。諦めてはだめよ。できる限りの努力をしなくちゃ!」


 まくし立てるように声を荒げてしまった。暗闇に自分の声が余韻を残して響く。

 シドは少し驚いて、それから切なげに小さく笑った。


「……どうして笑うの? 私、変なこと言った?」

「いえ、おっしゃる通りだと思いまして。お嬢様はお綺麗ですね」

「……え?」

「その……お心が。でしたら、お嬢様も早く運命の人を見つけませんと」

「…………え、ええ、そうね」


 ランタンはフィリアの後ろ手にあるから、シドに狼狽えた顔が見えてしまったかどうかは分からない。でも、闇の中でフィリアの方からはシドが切なげに、けれど優しく微笑みかけているのが分かった。


 一つ、言葉にできない溜息をついてからシドにランタンを返す。なぜ切なげなのか、その表情の意味が気になって仕方ないのだが、このまま深入りするのはまずい気がした。ただの執事を好きになってしまいそうで。


 互いの顔が見えるほど明るくなると、フィリアは誤魔化すように笑って執事服の袖を引っ張った。


「たくさんおしゃべりしたら夢中になってしまったわ。今日は時間切れよ、もうお部屋へ帰らなくちゃ……。また次回も付き合ってくれる?」

「ええ、それはもちろん。お嬢様のご希望とあらば、どこへでもお供させて頂きますよ」


 フィリアの執事は再び形式的な儀礼でもって左手を腹に当て、軽く一礼した。するりと落ちた前髪の下に、今日一番の優雅で品のある優しい笑顔が見えていた。


 心にフツフツとシチューのように煮立って来た熱っぽさが息苦しい。

 これはまずい…………。


 結果、不自然なほど態度を元の淑女然としたものに戻し、眉尻を下げて「バゼルにそっくりね」と整った微笑を返した。


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