第4話(1) 執事は使用人
「シドは……使用人…………シドは……使用人…………シドは……使用人…………」
自室の籐椅子にぐったりと座りこんだフィリアはカラクリ人形のようだった。上ずった声で円い刺繍枠へひと針入れるごとに呟かれる自分へのお知らせは酷く不気味にて……傍らでそれを聞いていた侍女のミーナも変な汗をかいた。
しかしミーナはこれで良いとも思った。あのまま只の執事に心を注ぎ込んでしまったら、フィリアが大きく傷つく未来が待っていることは間違いないのだから。
世の中には叶えられない恋がある。傷が浅いうちに気付くことができたならそれに越したことはない。
しばらく何も言わずに控えていると、突然、フィリアが「ああ……っ」と悲壮な叫び声をあげてすくっと立ち上がった。
「大変なことをしてしまったわ……っ」
そしてヘナヘナと床に崩れ落ちた。ミーナが慌てて両肩を支える。
「お、お嬢様、大丈夫ですか。どうなさいました?」
「しまったわ、もう夢が叶わないと言ったシドにお説教をしてしまったのよ。夢を諦めるなって……でも、彼は切なそうに笑って……あれはバゼルのことよ。なぜ気付かなかったのかしら、バゼルが生きていなくちゃできない何かをするのが夢だったのよ。あああ……」
世の中には叶えられない夢がある。
フィリアはそんなことさえ思い至れなかった自分が恥ずかしくなった。シドはこんな自分をどう思っただろうか。生意気なことを言ってしまったから嫌われたかもしれない。もう努力しても好きになってくれないかもしれない。というか、そうじゃなくて。
「シドは使用人…………」
ただの使用人……。
運命の三人はシドじゃなくて別にいるのだ……あの占いが当たっているとすればだけれど。フィリアは再び悲壮な色を浮かべ、次に書庫へ行った時に謝ろうと思いながら床へさめざめと泣き伏した。
幼い頃から城の中で蝶よ花よと育てられてきた彼女の生活は至極退屈だった。
今では社交デビューから四年が過ぎ、そろそろ行き遅れぎみの彼女は大抵自分の部屋におり、やむなくダンスなどの習い事や趣味や勉強、そして裁縫の修行をしている。暴漢に襲われてからは偶の外出さえ許されなくなった。
しかしこんなことは序の口だ。生まれてよりずっと、これが普通の毎日なのだから。
幼い頃、つまらなそうに空ばかり眺めていたフィリアを一番に心配してくれたのは、すでに壮齢を過ぎていた執事のバゼルだった。
彼は書庫から星座のいわれや簡単な占い方が載っている本を一冊借りてきてくれた。それが転機となり、彼女は星占いから花占い、タロットから易経まで、様々な占いを研究し始めたのだ。
もちろん、占いに関する書物は全てバゼルに書庫から持ってきてもらった。
古代の大占星術師ボッサロ卿の文献によると、占いは風の笑みや空気の旋律、星のにおいや音を交えて直感で行う物なのだそうだ。
その辺の感覚はこの時代の人々にはもう掴みにくくなっているものだ。つまり誰でもできるというものではなく、それなりの知識とセンスが必要になる。
フィリアの幼い頃は今よりずっとそういった感覚が鋭かったように思う。星占いで星の数を数えれば、よく分からないままなんとなく感じ取れた“答え”が結果として当たることがよくあったのだ。
例えば、今日のお昼ご飯には大嫌いなパプリカが入っているとか、明日は来客が遅刻して来るとか、そんな簡単なものだったけれど、当たる度に両親や使用人達はいつも「すごいね」と褒めてくれた。三人の結婚相手を占いで見出した時にも反応は同じだった。
しかしそれは子供のうちだけで――どんどんのめり込んで行く内に、周囲からの反応は暗雲立ち込めるようになって行った。特に、運命の三人を本気で待ち焦がれ、中庭で日がな一日とり憑かれたようにマーガレットの花びらをブチブチ抜いている内に庭木の後ろのネズミモチを見間違えて「黒髪の騎士が迎えに来てくれた!」と騒ぐレベルに達した辺りからは、もうずっと両親も良い顔をしてくれない。
そして十五歳で社交デビューして以来、母から決まって言われるのはこのセリフだ。
「占いなんか当たるわけないでしょう。いつまでも夢を見てるんじゃありません」
悲しいことだ。肉親である母がそう思っていたなら、きっと本当は誰もフィリアの占いなんか信じてはいなかったのだ。
だから否定されればされるほど、絶対に占いを叶えてみせると、やっきになってしまう。
両親は大好きだが、その辺の事情により最近はもう食事時にしか顔を合わせなくなってしまった。
十日ほど過ぎた頃、忙しい両親と久しぶりに夕食を共にする機会がやって来た。
いつもは父親の友人や秘書官や来客者なども交えることの多い夕食だが、最近は家族が揃うとプライベートの話ばかりになるから三人だけになる。
フィリアが広い食堂へ行った時には、中央に白クロスの敷かれた長方形のテーブルが置かれ、すでに三人分のワイングラスとカトラリーが用意されていた。部屋の四隅にはペチュニアが華々しく飾られて空間を明るく彩っている。テーブルの上で温かに灯る蜀台の横にも同じ花が散りばめられているのは、執事たちが気を利かせた演出だろう。
自分の席で待っていると、すぐ後から両親も侍従や侍女を引き連れて現れ、それぞれ上座とフィリアの対面に腰掛けた。
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