第1話 運命の人



「はぁ……あの方は何処のどなただったのかしら……」


 オリーズ侯爵家の一人娘フィリアは、中庭の見下ろせる窓辺に片肘を付いて小さく溜息を付いた。

 

 籐椅子に腰掛け、胸下で絞ったラベンダー色のドレスの裾から片足をちょこんとはみ出し、片手には羊皮紙の書類を持ってぼんやり眼下の草花を眺めている。絹糸に似た白銀の長髪は風に靡かれるまま、美しい白肌の顔は憂いを帯びて沈みがちだ。


 最近彼女はずっとこんな状態である。

 傍らに控えている侍女のミーナはその物想いが一過性の物だと解釈していたから、何も言わず怪訝そうに眺めていた。


 あれは俗に言う恋わずらいだ。

 といっても、幻想と半信半疑を織り交ぜ、その上で運命の相手になり得るかどうか考えあぐねている特殊な恋わずらいだ。


 それはあの事件の日から始まった。


 一ヶ月ほど前、執事だったバゼルと共に市街地へ遊びに出て暴漢に襲われた際、フィリア達一行はどこからか颯爽と現れた謎の騎士に助けられたのだ。

 騎士はすぐにいなくなってしまったから、彼女はその顔を見ていないし名前も分からない。けれど、見たこともない軍服を着ていて髪色が黒かったという遠目から見た記憶と、その人が落として行った『羊皮紙の書類のようなもの』だけは大切に残してある。

 不幸にも大好きな執事のバゼルを亡くした悲しい事件だったが、あれ以来心の傷を埋めるように、その騎士の後ろ姿を思い出してばかりいるのだ。


 その時付き添っていた侍女のミーナも、馬車の脇でフィリアを守りながらその騎士の後ろ姿を見たが、はっきりいって若い男だということくらいしか分からなかった。


 いくら命の恩人だからといって、顔も見ていない人物をなぜ彼女がこれほど想い続けているのかといえば、単に子供の頃発案したオリジナル星占いによって導き出した“運命の相手”の結果が『黒髪の騎士』だったからである。

 それで半信半疑のままその人を捜し求めているというわけだ。



 ミーナはフィリアの髪に優しく櫛を通した。


「お嬢様、もうすぐ例の新しい執事が挨拶に参りますよ。今日は一旦、黒髪の騎士のことは忘れましょう」

「え、ええ……そうね……。ついに来るのね。ミーナ、香占いをするから窓を閉めてちょうだい」


 侍女が風の入り込んでくる三つの窓を順番に木戸で閉じると、室内はどんどん薄暗くなっていった。フィリアのいる窓辺だけが光で溢れていき、その窓だけをガラス戸にしてもらう。


 サイドテーブルの上にある陶器製の香炉に固形の香料をのせながら、フィリアは身もだえた。


「ああ、緊張するわ……もしかしたらその執事が私の……」

「もう一人の運命の人かもしれないんですね。花占いでしたっけ……」

「そう、私が発案したオリジナル花占い。子供の頃やったそれで、私の運命の相手は『仮初めの使用人』と出たのよ」


 令嬢は再び物憂げな溜息をついた。


 子供の頃、好奇心に負けて運命の相手を三度も占ってしまった。占う度にフィリアの運命の人は増えていった……。未だ誰一人としてその姿を現してはいないが、十九歳という婚期ギリギリの年齢になった今、このタイミングで現れる新規の使用人には否が応でも期待が高まっていた。

 ちなみに、今のところフィリアの占いは精度が約六割くらいである。


 難儀なことに、この占い趣味のせいで、彼女の婚期は現在だらだらと遅れまくっているのだ。



 フィリア・オーウェン、十九歳。


 稀有な白銀の長髪と精霊に見初められたと噂される美貌を持ち、その麗らかな瞳は琥珀色に虹を通したような不可思議な色をしている。窓から白んだ日差しの差し込む場所で物憂げに佇んでいる姿はまるで絵画のようであるし、令嬢でありながら高慢でもなければ、邪気もない。


 これだけの要素を持ち合わせていながら、通常十五歳から結婚相手を探し始める貴族の娘が、十九歳にもなって未だ相手すら決まっていないというのはなかなかのピンチだ。

 それは跡継ぎの息子がいないこの侯爵家において由々しき事態であり、もちろん本人も泣きたくなるほど重々承知していることだった。


 フィリアは期待の眼差しでミーナを見た。


「あなたはもう、その執事に会ったんでしょう? どんな人だった?」

「とてもしっかりした方でしたよ。元々この城で働いていた方ではありませんから、ちゃんと仕事ができる人かどうかはまだ分かりませんけど」

「かっこよかった?」

「ええ……なかなか」


 ミーナは、今朝方使用人の朝礼で紹介された新しい執事のことを思い浮かべた。


 背はそこそこ高く、かっこいいというよりはスタイリッシュと形容する方がしっくりくるかもしれない。前任執事のバゼルの孫で、以前は侯爵領内にあるナルス高原の屋敷で屋敷守をしていたそうだ。執事としての所作が丁寧でしっかりしていたが、わりと暗そうというかクールな印象の青年だった。


 ミーナは思う。占いとは魔道と並んですでに過去のものとなりつつある古代の学問だ。それを信じすぎることは危険であるし、例えそれが当たっているとしても、執事が運命の相手だったら酷く面倒なことになるのではないかと。


 そんな心配をよそに、フィリアの目は急激に気力をとり戻した。


「そう、かっこよかったの……もしその人が『仮初めの使用人』だとするなら、表向きは単なる執事だけれど、それは仮の姿であって、本当はもっと別の驚くべき正体を隠しているはずよ。これまでこの城で働いていなかっただなんて、それだけで可能性が高まるわ。だって城の誰もがその人のことを知らないんだから」


 ついに現れたわ、と感慨深げに一人で頷いた彼女を見て、ミーナは心の中でこっそり首を横に振った。令嬢は色々と思い込みが激しい。どこまでも夢を見ているこの人に、その人はバゼルの孫で、以前は屋敷守をしていた普通の使用人なんですよ、とはどうしても言えなかった。


「で、でも、お嬢様、使用人なら他にもたくさんいますし、あまり期待しすぎない方がいいと思いますよ。侯爵家の執事に任命されたということは、その方だってきちんとした身元証明がなされているはずですから」

「それは確かにね……、でも、必ずしもそうとは言い切れないんじゃないかしら。その人がとてつもない身分の持ち主だとしたらどう? よく考えてみて。部外者であるその人を執事に就かせる為に、オリーズ家の内外で何か強大な力が働いたはずよ。そんなことができるのは当然限られた人間だけ……例えばどこかの国の王子様とかね……」

「お、おうじさま、ですか…………また、なぜどこかの国の王子様がこの城の執事に転職を……?」

「それはもちろん恋よ。私に恋をしてしまった王子様が、私に近付くために人知れず潜入して来るというわけ……」


 また、とんでもない方向へ発想が飛んで行った。


 ミーナは思わず顔を強張らせた。説明するまでもないが、王子なら普通に求婚してくるはずである。そもそもナルス高原の屋敷は侯爵家の所有だから、そこから来た使用人は部外者ではない。

 この後現実を知った令嬢が落胆する姿を思うと心が痛んだ。今すぐ本当のことを話してしまおうか――侍女がそう悩んでいる間に、フィリアの発想はさらに別の方向へ飛んで行った。


「そうそう王子様といえば、子供のころ私のオリジナルタロット占いで運命の人を占ってみたら、そっちでは『偽りの王子』と出たのよね。『黒髪の騎士』『仮初めの使用人』そして三人目は『偽りの王子』だった……自分の未来に関することを占ってはいけないとよく言うけれど、本当にそうね。毎回違う人が出るなんて想定外だったわ。もし三人同時に現れたら一体誰を選べばいいのか分からないじゃない…………あれ……?」


 フィリアは美しい柳眉を捻らせながらブツブツと独り言を呟き、ふと何かに気付いて瞠目した。

 その瞳は急激に輝きを放ち始める。


「ああ、黒髪の騎士だわ……!」

「……???」

「そう、そうだわ。今日現れる執事の正体はきっと黒髪の騎士よ。この間私を救って下さったあの騎士! 彼は裏でうちの使用人の人事を操れるくらい強大な力を持った英雄騎士なのよ! きっと私に会うために潜入して来たんだわ。そうよ。そうに違いないわ。そして彼はそのうち自分の正体が『王子』だと偽りはじめるの。あの三つの占い結果は、全部一人の男性を予言していたんだわ!」

「…………っっっ!!」


 ジャワーンと、ドラでも鳴りそうなほど完璧な推理が完了した。


 侍女がかける言葉を探している間に時は満ちた。


 ついに、運命のノックが鳴り響く――。



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