第32話 最悪の再会

 何もかも符合する。その嫌な感覚がまた襲った。マヤと冴ちゃんに何て良く似た女なんだ。天使は女になるとこうなってしまうのか…

 態度が大柄だし、づけづけ上から言ってくる感じがこれまで受けた屈辱と寸分も違わない。

 僕と聡里優実は湖畔の管理小屋に入ってサカの前に座っていた。しっぽを激しく振って、こんな飼い主でも懐かしいらしい。二月も放っとかれていたのに…さんざんまとわりついた後、シトロンと呼ばれるチワワは安心してクッションに顎を乗せソファーにうずくまっている。

「なんでこの色がレモンなんだよ」

「犬の世界では、こういう薄い茶色はレモンっていうのよ」

「へ~これがレモンって分類なのか。盲点だったな。まあ、これがレモンとわかってもサカに結びつくことはなかったと思うけどな。可愛すぎるもんなお前。聡里には似合ってると思うけど」

「なんで優実と?」

「なんとなく…」

 そう言うと聡里が可笑しそうに笑った。なんでと聞かれてこうこうですと素直に答えたくはない。僕の大切な聡里優実は他の誰とも区別しておきたい。

「聡里と知り合いなの?」

「おじいちゃんが一緒」

「え~!イストのおじいちゃんは二人の共通のおじいちゃんてわけか。はあ~世間は狭いな」

 聡里にしてみれば会ったこともないおじいちゃんなんだから説明のしようもない。今まで一度も天使の国に来たことのない聡里は何も知らない。曾祖父の顔も知らないまま人間の世界で大きくなったのだから。

「シンは嫌なやつでしょ。子供の頃からとにかく一人で何でもやって私たちの意見なんて聞いてくれたことはなかったわ」

「印象悪いな。もう良いよ。そのくらいで」

「阿弥陀田くんは良い人だと思う。優しいし思いやりがあるし…」

 相変わらずだけど、そう言う聡里に満足な気分だった。僕の人間界での毎日は間違ってなかった。

「へ~。それはそれは驚きね」

「お前そんなことよりどうするんだよ。このまま知らん顔してる気か。僕だって困るよ」

「困るって言われても私は毎日充実してるし」

「大変だぞ、親があちこち捜索かけて探してる。マヤも冴ちゃんも、聞いたらどんな顔するかな。僕どうしたらいいの」

「冴ちゃんて誰よ?」

「タナだよ。あっちの世界では冴ちゃんって呼んでる」

「タナ女になったんだ。美人?」

「そんなのどうでもいい話だよ。それより…」

「このまま黙って帰ればいいわ。どうせ、解決できる問題じゃない」

「でも、親は折れてるって話だぜ」

「それはどうかな。このままここで博士号でも取って実績上げてからの方がいいと思うんだけど。諦めがつくようにしてあげないと」

「上からだもんな。まったく最強だな」

「どんだけ嫌な思いしたか知らないでしょ。子供の時からずっとよ。私は昆虫学がしたいって言い続けてきたの。それをことごとく反対して、反対すれば良いってもんじゃないわ。ずっと平行線。それはこれからも変わらないよ」

「おばあちゃん知ってるの?イストの?」

「うん、なんとなくね。はっきり言うのは可哀想。責められるのは見てられない。だから雲隠れするしかなかったの。応援してくれてたのに、ずっと嫌な思いさせて来た。だいたい私はどっちもの孫なわけで、酪農家になったって誰にも恨まれる筋合いなんてないはずよ」

「私が代りに宝石の勉強しようか?変われるもんなら変わっても良いと思うわ。私はなにも決めてないんだから」

「え…?」

 聡里のホッとする話し方にサカが驚いて顔を上げた。

「ダメだよ。聡里には聡里に相応しい何かがあるはずだ」

「何よシンその言い方。有りよ!優実が宝石商。ちょっと想像しにくいけれど、まだ時間だってあるんだし」

「お前の方が合ってるよ。収集好きなんだろ。琥珀も好きなんだろ。お前ならどっちもできるよ」

「どっちも?」

「そうだよ。そういうこと考えてないだろう。どっちもって選択肢もあるよ」

「どっちも…」

「やりたいことは止められてもやれるんだよ。この通りな。なんとしてもやろうと努力するだろ。やって欲しいこともやってみれば良いと思うよ」

「シン、ふーん、意外だわ、的を射てる。頼りになるのね。ほんとに…」

「僕の進路は親が決めたからね。それで良いと思ってるから」

「食事の用意するわ。待ってて、船は何時?」

「3時、ああ、お弁当あるんだ。聡里が作って来てくれてるから」

「まあ、有り難いこと。シン、幸せね。もう一度考えてみる。話してみるものね。誰にも言わないで来たのが良くなかったのかもね。相談してどうかなるって思ってなかったから」

「いつ頃帰って来る?早いうちに帰って来るならこのまま黙ってるよ。あまり長くなるなら白状するから」

「そうね。早いとこ考えるから」

「よし、じゃあ見なかったことにする。な」

 僕たちはそう言って、お弁当を楽しく食べて3時の船に乗って帰って来た。聡里も黙っていることに賛成してくれた。

 余計なことを言わなくても親子で解決すれば良いことだと思っていた。みんなの風当たりも計算するとここはだんまりに限る。


 サカの昆虫学の師匠は、意外にもイストの農場で働く細菌研究家のマトヤさんだと判明したのはずっと後の事だった。その師匠と落ち合うためにサカは一人でイストに向かった。そして静かの湖がある密林地区のタルカへ入った。家畜の健康のために細菌の研究をしているマトヤさんを手伝いながら自分の道を究めたいと決心しての行動だった。


 密林地区タルカは、この世界のあらゆる昆虫が今も生きて森を作っていると言われている。

 サカがタルカ行きを決めたのはこのまま親の元にいて諍いの中に居るより、自分の決めた道を極めた方が得策と判断したから。今さら、どれだけ話しあっても解決の糸口は見つけようもないと諦めていたから…

 

 高校が夏休みに入り周りも根負けして気が塞ぐようになった頃、犬の散歩に出るような顔をして家を出たサカは、聡里の家に寄りシトロンを預けて、その足でイストに向かった。祖母の家でひと月ほど手伝いをした後、家に帰ると見せかけタルカへ向かうマトヤさんの船に便乗して姿を消した。

 船にはあらかじめ密林に入るための準備がしてあったことを考えると、この逃亡にはサカのおばあちゃんも一枚かんでいたのだろうか…

 世界的な宝石商と言われるもう一方の祖母の、サカに対する圧力に反発する気持ちがあったのかもしれない。それより前に、昆虫学を学びたいというサカの意志の方が強かった。おばあちゃんはそんな気持ちがよくわかっていたんだろう。

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