第30話 氷の解ける音
サンミナルの駅に行くにはまず天使の国に入らなければならない。あの坑道を通ってそこを目指す。
給水塔の下の階段では無く、山の尾根にあるトンネルから入ることにする。その秘密の場所を目指して黙々と歩いた。
「ここ、もしかして…」
「来たことある?僕は初めて、いつもは給水塔から下りるんだ」
「え、給水塔?そこってもしかしたら天使の国に行く…」
「そうだよ。父さんから許可ももらった」
「…」
聡里は驚いて黙りこくった。
「行ったことが無いの。天使の国へ…」
「行ったことが無い。一度も?決断の館にも?」
「決断の館?」
「決断の館に行ってないの?じゃあ、天使じゃないの?聡里は」
「うん、多分、私は、天使じゃない」
「でも、天使の国を知ってるんだよね」
「お母さんから聞いたことがある。天使の国があってお父さんはそこで生まれたって。お母さんもお父さんもカリフォルニアに住んでいるの」
「お母さんは人…なんだ、ね。ふーん、それってありなんだ。僕はずいぶん悩んだのに、聡里のお父さん凄いな」
凄いよ。好きってだけで突破できる何かが確かにあったんだ。と思った。僕なら条件を理由に諦めたかも知れない…
聡里は人と天使のハーフらしい。どおりで微妙に周波数が違った。初めて会った時、違和感だと感じたピピピはそれだったんだ。
「僕が天使だって知ってた」
「ううん、直ぐには解らなかった。ただ、不思議な運命は感じた。天使の園の園長さんが天使だって知ってたから。あ、この子出していい」
「いいよ、狭くて可哀そうだ。そうか、親父が天使だって知ってたんだ」
バスケットから飛び出したチワワは小さな足でとっとと歩いた。
聡里が人と違うことをまだ誰にも話してなかった。話したら最後、マヤや冴ちゃんに取られそうな気がして、このまま秘密にしておこうと自己防衛本能が言わせなかった。
聡里には簡単にはわからないバリアがあるから、まだ誰にも気付かれていない。
「この森を抜けると僕の生まれたサンミナルがあるんだ。そこに列車が走ってる。そこからイストに行く。イストから船に乗って…何て言ったかな保養地なんだけど。子供の頃遊びに行った静かな湖ってところがあるんだ。凄く奇麗な透明な水、水が虹色に光るんだよ」
自分の生まれ故郷の天使の国に自慢するものは他に無かったか、必死に探した。もちろんボントールのトーンズも比べられない程美しい。どこもかしこも美しいことは変りないのに、静かな湖は特別なんだな。と改めて思った。
聡里といろんな事を話した。聡里もわからない事だらけで今まで生きてきたから、不安な毎日だったって、それを見かねて聡里の母が家の親父に聡里を預けたらしい。
聡里の祖父はイストの人で、今からイストに行くと聞いてとても喜んでいた。
「わたしもおじいちゃんがイストにいるって聞いてる。どんなところか行ってみたかった」
「おじいちゃん、イストの人なんだ」
坑道を抜けて天使の国に入ると青空が素晴らしく広がっていた。
「ここが天使の国?」
「うん、僕の生まれ故郷。誰にも内緒だから心苦しい。言えないことが多いからみんなに悪いなって、親友に内緒って残念だろ。朝ヶ谷や山崎に悪いっていつも思ってる。聡里に話せて良かった。聡里にも話せないなら恋、出来ないなってさ」
「自分のことを話せないのは寂しいよね」
聡里は、今までの緊張が何故だかわかった気がした。と言っていた。全部話せるって良いことなんだとしみじみ言っていた。
僕たちは内緒が多くて悲しい。説明のつかないことはどう切り抜ければいいのか。切り抜ける事がもう、限界に感じていた。
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