第25話 ユフの逆襲

 天使の園に帰ると教会の前の階段に驚くほど暗い雰囲気でユフが座っていた。ユフはこっちの名前を神木結と言った。結とユフは音が似ていたから僕が普通にユフと呼んでも誰も気に留めることはなかった。

「あれ、二人は一緒だったの?」

 そう言われるとやっぱりバツが悪い。ユフが来ると予想がついていたのに、朝早く聡里を連れ出した。

 それは…かなり衝動的で、そうとう計画的な、聡里略奪作戦だと自覚してのことだった。

 教室は冴ちゃんと同じ南組。この学校は進学クラスが四つ。専門科目科が六つ。四つの進学クラスには、「東西南北」なんて珍しい組名が付いていた。同級生は初め相撲部屋かと思った。と感想を漏らしたので、僕は相撲部屋についてしばらくあれこれ検索した。


『恋するのもいいと思うよ。心が優しくなる』これは山崎のせりふだったし、『お前、絶対聡里に恋してるって、自分じゃ気がつかないんだよ』これは朝ヶ谷の心理分析だった。二人に良いように言いくるめられて恋に落ちた…

 いや、そうじゃない。聡里の第一印象はある種の違和感だった。冴ちゃんを見つけた時のようなピピピと体に走る電流。そう、あの時すでに僕の心の中に聡里の場所が出来てしまって、その隙間を埋めるように聡里のピースを探していた。

 今ユフを目の前にしてはっきり思う。『聡里は渡さない』まずい…この感情に当の自分がついていけてない。焦ってももうどうしようもない。それ以上に、本能的に、ユフに攻撃的な自分がいた。

「遊園地に行って来た。楽しかったな?」

 困惑する聡里に一方的に話し掛ける。振り返ると複雑そうな顔はしているものの『うん』とうなづく顔に迷いはなかった。

 ユフが立ち上がる。体格のいいユフが立ち上がると、痩せっぽっちの僕は反射的に息を飲んで身構え無くてはならない。

「なんで、二人で遊園地なんだよ!」

 その声は少し不満な時のユフのそれで、久しぶりに聞いた気がした。

「二人で行った訳じゃないよ。友達と四人でダブルデートってやつだな」

 それは挑発に聞こえただろう。ユフの顔が見る見る赤くなった。

「帰るわ…」

「なんだよ。僕に?聡里に?用があったんじゃないの?」

「無い!」

 転校して来てから毎日楽しそうにはしゃいでたユフが、一度に心を閉ざして振り向きもせず僕に背を向けた瞬間だった。

 僕に会うためならここには来ない。直に家に来るはずだ。今までも夕食を食べながらここであったいろんな事をああだこうだと得意げに話していた。

「あの…」

「なんか聡里に話したい事でもあったのかな」

 気まずい空気が流れた。

「昨日、話したい事があるって言われて…でも、話した事なくて…どうしていいかわかんなくて…」

「なるほど…やっぱり聡里を待ってたんだな~それを、邪魔したんだ…」

 ジャストタイミングでユフの告白を阻止した…?

「すみません。いつもと違った気がする」

 ユフの傷つきやすさの度合いなど見当もつかない。昔のユフは弱虫だった。でも、再会したユフは体はでかいし、態度も大柄だったから丈夫だと勝手に決め付けていた。かなりダメージを受けたのかもしれない。でも、聡里に心配かけまいとして、

「大丈夫、大丈夫、あいつは元気元気!」

 と、何の根拠もなくそう言った。

「今日はバイトが休みだからこのまま児童室へ行ってみるかな。ピアノ弾くよ。もうすぐコンクールだから愛想の無い弾き方になると思うけど」

 初めて入る児童室は、図書室の中に組み込まれた半オープンの空間で、聡里に案内されてドアを開けると、いつもは元気な子供たちが窮屈そうに本とにらめっこしていた。僕はピアノの蓋を開けてしばらく目を閉じた。

 ピアノを囲むように並べられたベンチに子供たちが自然に座る。聡里は少し離れたテーブルにゆっくり腰掛けた。

 先輩のおかげでここの子供たちは音楽を聴く姿勢が出来ている。弾いてみようという子供がいないのは残念だけど、ピアノの前に誰か座るとちゃんと静かにピアノの音に耳を傾ける。それはこの年の子供たちにしては凄いことだと思う。

 あとは自由に好きなように音符を追いかければ良かった。頭の中にたたき込んである楽譜を追いかけるだけだった。

 鼻の奥をくすぐるカビの臭い。人の心の複雑さには疎い僕が、匂いや自然の美しさに感動してしまうのは何故だろう…音符と音符の間にいくつもの邪念が挟まって音が生まれる。子供が周りにいることも忘れる、冷静じゃない。観客置いてきぼりの迷ピアニストだった。


「今日はありがとう。あ、子供達もすごく喜んでた」

「そうかな、ユフみたいに遊んでやるわけじゃないし、つまんなかっただろうな。あ、こいつか?朝言ってた。良く出来てるな~まったく一緒で色だけ違う?」

 小さな犬が中庭でしっぽを振っていた。

「良く出来てるなって…」

「黒いところが薄茶色で形は同じ。何て言うの名前?」

 抱き上げると小さ過ぎて軽過ぎて飛んで行きそうだった。

「さあ、なんて名前、かな…」

「またユフと話してみるよ。このまま放っておけないしね」

「ごめんなさい。私が黙ってたから…、とっても、とっても良い演奏でした。私たちだけで聴くのもったいなかった」

「今度は楽譜持ってきてちゃんと弾くよ、じゃあ」

 自分のために時間を使った。そんな思いに浮かれていた。落ち着こう落ち着こうと思っても心のどこかが浮かれていた。


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