第24話 ユフの片思い

 土曜日に先輩から言われて天使の園にピアノを弾きに行った。たまたま日柄の悪い日で結婚式が入っていなかったから、子供たちにピアノを聞かせてやってくれと言われて、たまにはそんな日も良いかと出かけてみた。

 朝もゆっくり起きて、食事をとり薄いセーターをひっかけて散歩しながら天使の園に着いた。

 すると、園庭から聞き覚えのある声が聞こえてきて、僕は目を疑った。

「なんだよ。今度は天使の園に殴り込みか?」

 大勢の子どもたちに囲まれてユフが鬼ごっこをしていた。

「お前上手いことやってるよ。子供にも好かれて、ここの保母さんにも人気あるんだって、まったく友達には冷たいくせに外面は良いってか」

 子供から何を聞き込んだのか適当なことをまくしたてていた。こいつ、前の学校でどんな荒れた生活を送っていたのやら、言葉遣いが悪すぎて、影響を受けていると自覚しながら自分もだんだん言葉が激しくなっていく、不本意だった。

 ユフは暇を持て余しているのか、休みの度に天使の園にやって来て、帰りは家でモグモグと大盛りのご飯を食べて帰っていく。

 こいつが男を選ぶなんて想像もしていなかった僕は、そのあまりにもずうずうしい変貌ぶりに唖然とする。こんなはずじゃなかったと嘆く冴ちゃんの気持ちも今ならわかる気がする。

 転校して来てから、毎日顔を合わすようになって、最近は感覚が麻痺してきている。だんだん大人に近づく僕たちは何時までも子供のまま仲よくしていられなかった。

「ユフさ~聡里さんにホの字らしいよ」

 またお節介な最新情報を伝えに冴ちゃんが来ていた。

「ホの字って、阿弥陀田、やばいじゃん。せっかくの初恋だっていうのに、すかしてると持ってかれるな。あいつはどう見ても積極的だと思うよ」

 そう囃し立てられる度に、反対に冷静になる。そんなことより聡里をユフが好きになって良いのか?僕たちに普通の恋が許されるのかという疑問が増していく。

「冷静なんだね。あくまで…なんだろうね。あの落ち着きは」

「さすが阿弥陀田ってとこだな」

 黙れ!お前たちの策にははまらない。

「僕は今コンクールで忙しいんだ。他事考えてたら集中出来ないだろう」

 そうだ、しくじったら僕の力を見込んでくれてる先輩に申し訳ない。僕はあれから一度も、ノートを返してもらった夜から一度も、聡里と話をしていなかった。

 ユフの方が数倍、聡里と会話していただろう。あれだけ毎週天使の園に通っているんだから。


 昼になると時々山崎が僕を誘った。何を話すわけではないけれど…

ひところの盛り上がりも無く、静かな時が流れると言葉にできない悲しみが後を引く。男の友情は人生を楽しむためにあるもんだ…

「山崎、久しぶりにWデートする?お前吾川とゆっくり話もしてないんだろう。一人で悩むのは止めろよ。もっと堂々としてろよ。両想いになりたくないって、贅沢な話を聞かされた覚えもあるんだけど…なんか、この頃、弱気だよな~」

 この暗い状況を抱えて暮らしたくはない。とにかく山崎には元気でいて欲しい。

「Wデート?思い切ったことを言うね。誰誘うの、お前、天野?」

「いや…聡里を誘う」

 言った自分が驚いた。聡里を誘う。一線を越えようというのだろうか…ユフはどうする。そんなことは何も考えずにノープランでそう言った。

「おいおい、俺と吾川の事よりそっちの方が衝撃的だろう。お前大丈夫?」

 山崎の元気そうな声にいよいよ勢いがついてこのWデートは、実現しようと心に決めた。ユフの事は考えないようにした。僕と聡里がどうこうということも、この際思いっきり棚に上げて、好きにしてみようと、振り切ろうと思った。


 次の日柄の悪い日曜日がやってくると、朝早く家を出て天使の園に向かった。空気の澄んだ教会に朝の賛美歌が響いている。聡里の姿を伏せ目がちに探しながら、最後列のベンチにうずくまった。

 少しの知恵は必要だと考え込む。この教会にまぎれ込んだ時から気持ちは決まっていたが、実際どうやって事を運ぶかまだ何も決めていない。

 天使とは名ばかりで讃美歌も良く知らない。なのに、久々の清々しさに気分が晴れやかだった。

『オッス、デートしない?』そう気安く言えたら聡里も気軽に乗ってくれるだろうか。誘いたくても誘えなかったこの重たい気持ちを聡里に伝えるのも嫌だった。

「おはようございます」

 悩んでいるうちに、聡里に先に見つけられてしまった。

「あ、終わった?」

 神聖な日曜のミサを終わった?も無いもんだ。

「ちょっと出かけない。山崎と約束してるんだ」

 山崎との約束なのか、Wデートの約束なのか、曖昧にわからない感じで聡里に声を掛けた。

「え、今からですか?…ま、いいか…上着持ってきます」

 そう言って駆け出した聡里の後ろ姿がなんとなくウキウキして見えたのは、僕の慾目だっただろうか…

 今日のデートは山崎との打ち合わせで遊園地に行くことにしていた。たまには楽しみたかった。このところの憂鬱な日々を払いのけたいとお互い思っていたし、高校生らしく元気に明るく過ごしたいと二人の気持ちが一致していた。

 聡里は少し後ろを遠慮気味に付いて来た。そろそろ秋の気配の漂い始めた歩道は、時々枯れ葉が風に吹かれて舞っていた。駅前のコーヒーショップのテラスで山崎と吾川と落ちあった。

「まあ、聡里さんなの?」

 と、吾川は意外な展開に少し慌てながら、僕の顔を不思議そうに見た。

 そうか、一回目は冴ちゃんだったな。吾川は今日も冴ちゃんが来るに違いないと思っていたんだろう。

「おはようございます」

 聡里がペコリと頭を下げた。

「あ、親友の山崎。吾川と付き合ってるんだ」

 親友と紹介されたのが嬉しかったのか山崎が上機嫌な顔をした。

 四人で丸テーブルを囲むとWデートの恰好がついてモチベーションが上がった。

「なんか楽しそうね」

 吾川が皮肉っぽく言うのも、たいして響かないくらい気分が良かった。聡里はなかなか話をしないが、僕と山崎、吾川は会話が弾んだ。

 お決まり的に、僕と山崎はコーヒー、吾川がレモンティー、聡里はホットミルクをたのんだ。牛乳を飲むとおなかを壊す僕も、ミルクをたのんだ聡里のチョイスがオシャレに感じた。ミルクなんだ~。馬鹿馬鹿しいけれど正直な感想~ホットミルクは大きめのマグカップにナミナミに注がれて店員さんが危なっかしそうに運んできた。

 三人の会話に少し照れながら隣の席の仔犬を気にする聡里、

「犬好きなの?」

 と聞くと、

「園の中庭に同じ犬がいるの?茶色のチワワ」

「へ~そんな話聞いた事無かったな。最近なの?」

「うん、ここのところ二月くらい…すっごく可愛いの」

 そういう聡里の目線の先に白黒の大きな眼の仔犬が、何かを訴えかけるような眼でおとなしくしていた。

「そうか、これがチワワね」

「メロメロなのね…」 

 吾川がそう言うと、

「だろ、こいつのこういう顔はなかなか見れない。来て良かったろ」

 とか何とか言いながら僕と聡里をネタに楽しんでいた。

「さあ、予定通り遊園地行くか~」

「遊園地に行くの?」

「うん、今日は思いっきり楽しもうって計画だから」

「遊園地に行ったこと無いかも…」

 吾川が言うと、

「私も…」

「俺も」

「僕も、何だよ。誰も行ったことないの?」

 忘れてるだけだよ。普通の人間の家庭なら遊園地に、一回くらい行ってるって…僕はそう思った。普通行くんだろう。子供の時に親に連れられて…

 『遊園地』その楽しそうな響きだけで山崎と意気投合して、絶対そこだって決めたけど…本当に楽しめるかどうかはわからなかった。素直な吾川がピント外れに、

「楽しそう!」と乗ってくれたのがせめてもの救いだった。


 手始めに四人で恐る恐る観覧車に乗ってみる。小さな入り口から四人が慌ただしく乗り込むのは至難の技で、あれならゆっくりだから怖くないだろうと選んだのに、慣れない団体様は初端からドキドキだった。

「回ってるとゆっくり見えるのに、乗る瞬間は速攻なのね」

 素直な吾川らしい感想だった。

 狭い空間に大勢で乗り込んだ僕たちは、近すぎてどうしたらいいのかわからなくて、窮屈に行儀よく座った。そのうち、山崎が山の裾野にうちの結婚式場が見えると騒ぎ出し、天使の園の教会を見つけて聡里も目を丸くした。

 そうだ、あの給水塔は登ったことがある。あそこから見える夜の風景は奇麗だった。一面、星を散りばめた海がどこまでも広がって、ずいぶん高いと思ったのに、この観覧車はそれよりはるかに上にあった。

「奇麗な空ね~眺めるの久しぶり」

「ああ、そう言えば吾川、宇宙飛行士になるんだって?」

「え、うん、宇宙船に乗れなくてもいいの。計画するとか、クルーの体調管理する医者とか、宇宙と関わる仕事がしたいなって」

「へ~」

 聡里が驚いた顔で反応した。

「聡里は何かなりたいものとか、あるの?」

 この時の僕の聴き方があまりにも優しかったと、のちのち思い出したように山崎との会話に上る。

「何も考えてない…」

 と、しょげて答えた聡里の顔は、まるで無心な子供の顔で、吾川と三つ四つ違って見えたと二人は言っていた。

「だろ、そんなもんだよ。なのに、この二人は真剣に考えすぎて、お互いの進む道を邪魔したくないって毎日ため息ついてんだよ。付き合う身にもなれって話」

「まあ、そうなの?」

 と、驚く吾川の横で、照れくさそうに山崎が笑った。

「だけど、本気で考える必要はあるなってさ」

「二人とも優秀だから選択肢いっぱいで悩めるんだよ」

「あら、朝ヶ谷君は聡里さんこそ優秀だって前に言ってたわ。でなきゃ進学早々休学なんて出来ないって」

「そんなこと無いです…進学決まったあと調子が悪くなって、他の学校を受ける時間も無かったから、先生がとにかく行けるようにしてくれたんです。

でないと、行くとこ無かったから…」

 消え入りそうな聡里の声はいつになったらもっと張れるようになるんだろう…話す内容はともかく、話し方が心配になる僕だった。

 山崎と吾川はジェットコースターに挑戦すると言って、二人とも怖い怖いと言いながら長い順番待ちの最後尾についた。僕は絶叫系のマシーンに乗る気がしなかったから聡里とベンチに座ってメリーゴーランドを眺めていた。

「すいません。私が苦手だから…」

「僕も駄目。後でもう少しゆったりしたの探そう。初心者があんなの乗ったら危ないよ」

 ここだけ静かだ。風が気持ち良く流れている。

「ユフが天使の園に通ってるんだって?」

「え、あ、神木さん。子供たちに人気だから。いつも何か抱えてやって来て手品とか見せてます。楽しそうですよ」

「あれ、あいつ、聡里を狙ってるんじゃないの?」

「狙って…そうなんですか?私とは話しもしないし、会うこともないから」

 なんだ。冴ちゃんの話は本当じゃないらしい。

「あの、また演奏に来て下さい。教会じゃなくて児童室のピアノ…いつも使う人いなくて寂しそうだから…」

「児童室のピアノ?弾く子いないの?」

「たまに遊びで弾く子はいるけど、そんなに熱心な子はいないな~」

「そう、じゃまた行くかな」

 それはとても静かな時間だった。底抜けに明るく過ごそうと計画したはずなのに、やっぱり聡里といると静かになる。でも、悪い気はしなかった。

眠けも襲ってこなかった。

 聡里を見ると眠気が起きると言う現象はどうやら思い違いのようだった。

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