第23話 5色のタマゴ
仕事帰りのペダルがいつもより回転を増していた。背中に担いだカバンが左右に揺れる。練習室を出て気になりだした。ユフはどんな風に変わっているのか、なんでマヤのところに連絡してきたのか、あれこれ考えているうちに自宅に着いた。
「あ、あの…」
玄関の門の脇に聡里優実が立っていた。驚いた僕の顔に聡里優実が真っ赤になった。
「どうしたの?」
「ノートを借りてたから。返さないとと思って…」
「そんなの学校で良かったのに。わざわざ来なくても、待った?いつもよりは早く帰って来たつもりだったけど」
何をどう話したらいいのかドキドキする。
「クラスのみんなに誤解されたくないから、学校に持っていくと、又、阿弥陀田くん冷やかされる…」
「そういうこと、気にしてないよ。どうせ勝手なこと言ってるだけだからさ。あ、ありがとう。家上がってく?」
聡里は急いで首を振った。
「そうだよね。上がるわけないか…じゃあ明日、学校で」
僕は両手でノートを受け取った。
上がるわけないか…は自分への言葉だった。そういう感じじゃない。上がるとなったら覚悟がいるし、僕の家に学校の友達は上がったことが無い。朝ヶ谷も山崎も庭とサンルームまでだった。
「あ、忘れてた。急がないと」
ボーっと聡里優実の後ろ姿を見送った後、手にしたノートを持ち直してドアを開けた。
「ただいま~」
「何してるのよ。ボーっとして、みんな不審な顔して見てたわよ。まったく間が悪いわ~あんなとこ見られるなんて」
冴ちゃんが不機嫌そうに耳打ちした。
リビングにはマヤともう一人懐かしい顔が揃っていた。
「ユフ、ユフなの?」
必死になって探してなかった事の言い訳を見つけようとしたけれど、もうそんなことはどうでもいい。ユフに会えたんだから。
ユフは…男だった。
「お~なんか照れるな。男なんだな」
僕はユフの肩や腕をバシバシ叩いて男だってことを確かめた。描いていたのと違ったけどユフはイメージがそのままで、どこで会っても間違える気がしなかった。ま、しかし、すでにユフとわかって会ったんだからその点、判断が甘くても仕方がない。
「再会の感動はそのくらいで良いかしら」
冴ちゃんが鋭く冷静に口を開いた。
「なんでユフがマヤに連絡してきたのか…そのあたりに疑問を持って頂きたいと思うのは私だけかしら。そんなに喜んで可笑しくない。シンのくせに…」
「お前、妬いてるんだろう。僕とユフがこんな風に再会を喜び合うのを見て、なんで私にはその友情を見せてくれなかったのか、なんて…
男の友情は深いんだよ。静かな湖よりも、もっと深くて神秘的なんだ」
「静かな湖って…ダメ、シンは最近イカレテル。使えない。会う意味無かったかもね」
吐き捨てるように言う。冴ちゃんの勢いにユフとマヤが苦笑いした。
「なにかあったの?そんな怖い顔して、素直に再会を喜んではいけない程の事?」
「まあ、座れよ」
ユフの声が低く響いた。かすれた男らしい声だった。
「僕はいかれちゃいないぜ。浮かれても無い。なんでそう突っかかるかな」
まさにアウェーだった。自分の家なのに寛ぐ暇もない。久しぶりに再会したユフとも呑気に話なんか出来そうにない凍った空気だった。
何故ユフがマヤに連絡したのか、それは簡単そうで複雑な話だった。
まず、ユフの親とマヤの親は昔から仲が良かったらしい。だからお互いの家族の情報は普通に持っていた。マヤは親に聞けばユフのいる場所もすぐにわかったわけだ。
マヤがそれに気がつかなかったというよりも、五人がそれぞれ別々に天使の国を飛び出した時、別れ別れになるというイメージが強すぎて、もう会えないものだと、天使の国にも簡単には帰れないところだと思い込んでしまった。だから、僕が冴ちゃんに会った時、凄い驚いたし涙の再会となった。
それがある日、マヤが学校から帰って親の様子を見ていると、どうやらユフの親と電話で話しているらしいことに気がついて、ユフが思いのほか身近にいるもんだと認識し直した。それでいつでも会えるんだと思ったら気が抜けて、用もないのに連絡取ろうなんて思わなくなってしまった。ユフも同じ感覚でこっちには関心が無かった。
それからしばらくしてユフから連絡があった。『サカが行方不明になったらしい』という連絡だった。
サカは子供の頃から手先が器用で細かいものに絵を描いたり、小さなものを集めて標本を作ったり、物事に執着しやすく、決断の館に行く前も『昆虫博士になりたい』と言っていた。
決断の館に行く前に、自分の進路に対してはっきりとした希望を持っていたのはサカ一人だけだった。
そのサカが親から反対されて、その進路を諦めきれなくて、悩んだあげく家を飛び出したらしい。親がオロオロしてユフのところに連絡して来たというのが事の顛末らしい。
「へ~そんな事があるんだ~」
僕は本気で驚いてそう言った。
「親が反対するってねえ?」
「そりゃあ反対する親だっているわよ!」
「サカは一人っ子だから」
その感覚が天使離れしていてまた、驚いた。そして、自分は出る幕が無い気がして黙り込んだ。
「僕ご飯食べていい?ゴメン、腹減った~」
あまりに冷ややかな空気に、耐えられなくなった。
「みんなは、食べたの?」
母さんに聞くと、僕のシチューを注ぎながら首を縦に振った。
「心配よね。サカのお母さんとはずいぶん会って無いけど、子供の事になると昔から心配性だったから…」
「そうなの…ああ!サカは…」
三人の方に振りかえると冷たいまなざしで、声をそろえて「女!」と言った。
「おお、女、サカ女なんだ…一人当たった。確立低っ」
これで五人出そろった。もちろんサカはまだ見つかってないけど、でもきっとすぐ見つかる。と僕は呑気にかまえていた。サカがなりたがってる昆虫博士がそんなに悪いとも思えないし、もともと収集の好きな、物事に没頭するタイプのサカならその仕事に向いてると思うし、親がどんな反対をしても、本人の希望の方が大事だと一人孤独に、母さんの作ったシチューを頬張りながら考えていた。
しかし、サカは一向に姿を現さない。
「とうとう、世界偵察隊に依頼したらしいわ。サカを探してくれるように」
「そんな大袈裟なことになったの?いったいサカの家はなんで昆虫博士はダメだって言ってるんだろう?」
「彼女の家は、世界的に有名な宝石商なんだ。子供の頃からサカは琥珀に異常な興味を持っていたらしい。琥珀を通して昆虫に目覚めたってサカのお母さんが言ってた」
「え…お前なんでここに…」
「お前たちが同じ学校に通うのは反則だろう。楽しすぎる…それで父に頼んで編入させてもらった」
「私と同じクラスよ」
だったら自分のクラスで昼休みを過ごせよと思う。なんでこんなに自由に出入りしていいんだ。このクラスの生徒が嫌な顔をするだろう。と周りを見てもこれという違和感は無い。まったく変な学校だ。
サカの家が宝石商…
「収集家と言う見方をすれば似てるよね。思考が…親はその仕事を継いで欲しかったらしくて男を望んでいたのに、されさえ裏切って女を選択したらしい。サカに男を選ばせるように教育してたらしいからね」
男になるように育てたってことか…まさかそんなこと想像もできない。家じゃそのことに関して親から何か言われた覚えがなかった。
「親の願いに逆らって女を選んだって事?」
「らしい、これ以上期待されたくないって思ってたみたいだよ。僕たちには何も言わなかったけど」
「ふーん」
こそこそと話す僕たちの事を不思議そうに見ている顔。朝ヶ谷と吾川。席も近いから気になるだろう。
「誰なの?あいつ」
「幼馴染。前の学校が気に入らなくてこの学校に編入したんだと」
二人に聞こえるようにらしくもなく声を張った。
「まったく迷惑だろう。結構偏差値高いぞこの学校。落第するなよ。恥ずかしから」
これ見よがしに強気で言い渡す。このところ恒例の昼勉強がはかどらない。入学した当初と生活パターンは変わらないのに、関係ばかり複雑になって予定どおり過ごせないのがストレスだった。
サカの消息はその後も無しの礫だった。親の意見を変えさせるために姿をくらましたのならこっちの様子も伺がいながらという事もあるだろうが、どうやらサカの家出は覚悟を決めたもので、どこでどうしているのか誰にもわからない程見事な雲隠れだった。
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